第7話

 伊笹は、季月の背中を見ながら思った。


 あの方は何かに追い込まれたように見える。ひたすらに、国のために尽くすのは良いのだけど。ただ、心身共に疲れてボロボロになってしまわないか、心配だ。なら、わたくしがお支えしなければ。

 伊笹は秘かに決意をしながら、勉学に励む季月を見守った。


 季月が卯木の屋敷に居候するようになってから、二月が過ぎた。季節は秋から、冬に変わっている。まだまだ、学ばなければならない事は多い。一人で勉学する事が殆どだが、時たまに卯木や息子の浅葱あさぎから講義をしてもらう事もある。今日もそうだった。


「季月殿、今回は他国について話して進ぜよう」


「よろしくお願いします」


「まず、この東夜国とうやこくは今から六百年程前に建国された。先代の久霧陛下で初代から数えると、二十代目になられる。今のあなたの妹君でもある夜霧陛下で二十一代目だな」


 ふむと頷きながら、季月は帳面に筆で卯木の話す内容を書き込む。卯木はお茶で喉を潤してから、続きを話す。


「……初代は名を確か、朝霧様とおっしゃったはずだ。この方が妹で巫女姫でもあった宮月くうげつ様と協力し合い、この土地にはびこっていた魑魅魍魎を封じ込めた。そして、穢れた気を浄化し、東夜国を作ったと言われている。今でも、目には見えぬが。東夜国には強力な結界が張られている」


「成程、宮月様の名は初めて聞きました」


「それはそうであろうな、あまり宮月様は表には出てこぬ。が、儂は昔に初代の朝霧様が遺した手記を読んだ事があってな。そのおかげで知る事ができた」


 また、頷きながら季月は帳面に書き込んだ。なかなかに興味深い内容ではある。二人の講義はしばらく続くのだった。


 昼頃になり、伊笹が昼餉のお膳を持ってやってきた。卯木は立ち上がり、静かに部屋を出て行く。季月は手をついて一礼しようとしたが、止められた。


「……仮にも、あなたは先王の御子。安々と儂のような臣下に頭を下げてはならん」


「ですが」


「構わんよ、口で言ってもらえたら。それで充分だわい」


 卯木はそう言って、からからと笑う。そのまま、彼は去っていく。季月は仕方ないかと思いながら、伊笹に気がついた。


「あ、伊笹。いたんだな、すまない、気が付かなかった」


「いえ、わたくしの事はお気になさらず。けど、季月様。あまり、根を詰め過ぎませんように」


「心配を掛けて悪いな、俺なりに気をつけてはいるんだよ」


 季月が苦笑いしながら、言うも伊笹は引き下がらない。お膳を彼の前に置く。そのまま、後ろに回った。


「お食事が終わったら、あん摩でもしましょうか?」


「……いいのか?」


「構いません、そのために申し上げたのですから」


 伊笹はにっこりと笑った。季月は断っても、彼女なら無理にでもやるだろう。さすがに伊笹の性格も分かってきていた。最後には頷いたのだった。


 昼餉を食べ終えると、伊笹は若い侍女にお膳を下げるように言った。侍女がそれを持って部屋を出て行く。足音が遠のいてから、伊笹は季月にうつ伏せで横になるように言った。


「分かった、最近は肩が凝っていたように思うしな」


「ええ、とりあえずは。首筋からしていきますね」


「頼む」


 季月が言ったら、伊笹はおもむろに彼の頭の付け根辺りからあん摩を始める。最初は軽く揉んでみて、様子を見た。


「力加減はどうですか?」


「ううむ、もうちょい強めでもいいぞ」


「分かりました」


 伊笹は頷いて、少し先程よりも強めの力で揉み解した。徐々に背中へと移っていく。


「……伊笹、結構慣れているな」


「よく、旦那様や奥様のあん摩をしていますから」


「成程」


 話しながらも、伊笹は慣れた手付きで背中の凝りも解した。腰や腕、肩に足と全身を一通りしていく。季月はしばらく、眠気と戦うのだった。


 半刻はんとき程が経ち、あん摩は終わった。ふうと息をつきながら、伊笹は季月から離れる。


「さ、終わりましたよ」


「ありがとう、だいぶ体中が解れたように思うよ。次も頼んでいいか?」


「構いませんよ、また肩が凝ったりしたら。おっしゃってください」


 季月は頷く。伊笹はやりきったと言わんばかりに、笑った。それを見ながら、また胸が高鳴る。季月は複雑になりながらも勉学を再開した。

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