第12話 匂い立つ
全く間に合いはしなかった、彼の誕生日に。
それでも僕は持ってきた、用意できたそれを。
秋口はもう過ぎていた。コートはまだ必要ないが、冬の制服を着ていても時折震えがくる。襟の後ろを吹き過ぎてゆく乾いた風に。
日はもう暮れていた。部活を終えての帰り道。
並んで歩く僕らの上、空は墨を流したような黒一色。隔絶された宇宙の色。まるで彼と僕しかいないみたいな、静かな宇宙。時が全て止まってしまったかのように、静かな。
そこに僕らの足音が響く。目印のように点々と続く、白い街灯の下を二人で歩く。数えるほどしか民家のない、田畑の中の田舎道。
無言でいて、なぜだか二人とも無言でいて、靴音の他は道着を入れたスポーツバッグ、その金具がぎしぎしと鳴る音。それだけが大きく響く。
それと、僕の中で。鼓動の音が密かに、けれどやたらと大きく響く。彼に聞こえないか心配なほどに。
用意してきた、プレゼントを渡す。それだけだ、たったそれだけ。
なのに、僕は逃げ出したかった。知らないふりをして、このまま何も渡さずに帰ってしまえば、どんなにいいかと思っていた。
僕の内で、スカートを履きたい僕が小馬鹿にしたように笑う。
その僕の態度に、僕はうなずく。
――そうだね、君の思うとおりだ。あり得ないよね、やめるなんて。
あれだけ頑張って用意したから。誰のためでもなく、僕のためでもなく、彼のために用意したから。
僕の内で、袴を履いた僕が重くうなずく。
その僕に、僕はうなずき返す。
――そうだね、君の思うとおりだ。あり得ないよね、逃げるなんて。
一度やると決めたこと。彼に勝つと決めたのと、同じ重さで決めたこと。
スカートを履きたい僕と、袴を履いた僕と、何者でもない僕が同時にうなずく。
僕らの意見は一致した。いや、最初から一致している。別物ではない、最初からそれは。
僕は思う――あり得ない。今さらやめて逃げるなんて、何がどうなってもあり得ない。
鼻から息を深く吸う。乾いた空気が体の芯を通り抜け、研ぎ澄ますように冷ましていく。口から大きく息を吐く。
斬り殺そうと思った、自分の中の揺れるものを、怖れる気持ちを。
そうして僕は想う、いつか見た彼の剣を。敵を斬り殺して終わる、ごく短い舞いを。
その剣が僕の中で、僕を斬る。
スポーツバッグのジッパーを開け、汗まみれの道着をかき分けて包みを取り出す。控え目な色の包装紙に簡素なリボンをかけた、両手に乗るぐらいの平たい包み。片手で持てる軽さのそれを。
歩きながら彼に突き出した。
「おめでとうございました。誕生日」
「……過去形?」
しばらく口を開けていた後、そうつぶやいて。彼はとにかく、包みを手に取ってくれた。
僕は素早く手を引っ込め、バッグを閉める。
そうするうちに彼は立ち止まっていた。
「何だよ急に……って、ああ。言ってたやつだな、誕生日に何かくれるって、和風のを」
お前よく覚えてたなー。そう言いながら、彼は包みを打ち返し打ち返し眺める。
僕が何も言えずにいると、彼は笑った。
「なんか、悪ィな。無理させたみてェで」
僕は勢いよく、首を横に振り回す。
「そんなことないよ! 約束したし、気持ちだよ気持ち」
彼は肩を揺らして笑う。
「約束だけはちゃんと守るからなー、お前は。立派な奴だよ……いや、ありがとう」
開けるぞ、と言って、彼の手がリボンをほどき、包装紙をはいでいく。
その手がつかみ上げ、広げたのは。
全体が深い赤色をした、和風の上着。中にもこもこと綿の入った、
いつだったか、魔女が祖母の部屋から持ってきてくれたのは和服の型紙だった。僕はその中から
それなら室内着として――着て出歩くような出来ばえでなかったとしても――使えるし、あまりサイズを気にしなくていい。それに彼は、冬は寒くて浴衣を着ないと言っていた。その間に着る和のものとしていいだろうし、彼の誕生日より後に使う時期が来る。
改めて魔女の祖母に頼んで借り受け、写しを取って作り始めたのだが。裁縫経験のない僕には難しく――魔女に教えてもらいたかったが、彼女だってろくな裁縫経験はない。制服を無理やり改造した他は――、こんな時期までかかってしまった。
おぉ、と彼はつぶやいて、何度も
「これ、お前が作ったのか」
僕は何も言えずうつむいた。
売ってたやつだよ、と言い張りたかったが。よれた縫い跡や、端の辺りを無駄に何度も縫い止めてある辺り、誰がどう見ても手作りだ。一目瞭然だ、魔女の制服が手縫いによる改造だと、分かるのと同じぐらい。
この型紙を見たときには、これだ、と思ったのだが。
やはり、やめておけばよかっただろうか。男から――クールな男同士のつき合いである、その友人から――手作りのものなんて。おかしいだろうか。
おかしかっただろうか、僕は。
僕が重くうつむく間に彼は、半纏を持ち上げ。その生地の中に顔を埋めた。
すン、と鼻を鳴らす音がした。
ふふ、と息をこぼす音がした。笑うように。
「匂いがする」
僕が目を瞬かせるうち、口を開くより先に彼は言った。笑って。
「匂いがするな。
思えば。練習後、帰って風呂に入るより先に、ずっとこれを縫っていた。青く道着の跡が残る手で。汗と、
よく考えれば今日だって、道着と一緒のバッグに入れてきた――わざわざ別のバッグに入れてくるのも、変に意識しているようで、彼に意識させるようで嫌だった――。
頬が歪む。唇を噛み締める。肩に重く、何かがのしかかる。
しまった。
しまった、何をやってる――ガサツか、ガサツな男だ僕はただの。なんてことを――
そのとき。彼の手が、僕の背を叩いた。強く、痛いほどに。僕の思考を全て、ぶち抜くほどに。
「ッたくオイ! すッげェなお前!」
僕はよろめいて、一歩足を継いだが。
彼はそのまま、ぱんぱん、と何度か背を叩いてくる。
「えェ? お前、すッげェな! これ作ったの!? わざわざ? 練習の後にか……一人でやってる、自主練の後にか……」
す、と真顔になって言う。僕の目を見て。
「すげェな」
「……ん」
うつむいたまま、僕はそれだけ言えた。なんだか、唇を尖らせて。
鼻息をついて彼は言う。
「おン前はさァ……律儀だな、ホント。市販の和物が見つからなかったからって、作るか普通」
うつむいたまま僕は思う。
それは違う。見つからなかったんじゃなく、僕が作りたかった。
彼は言う。
「いや、でもすごい手間だったろこれ、よくやったな」
うつむいたまま僕は思う。
ううん、何にも。君のためだから。
でも手間はそう、手間はかかった。肌触りを気にする君のため、触り心地のいい生地を探して。暖かなそれを裏地にして、中綿を詰めて。君の好きな
「ありがとう」
それだけ言って君は背を向け。包み紙を畳んでカバンに入れ。
音を立てて、
僕は口を開けて、それを見ていて。星空を背にした君を見ていて。神話のような光景だと――あり得ない光景だと――思いながら口を開いた。
「ちょ……いいよ、やめときなよ。匂いつくよ」
君は不思議そうに目を瞬かせる。
「いや、いいだろ。もう匂いついてンだろ」
「……ん」
僕はそれだけ言い、なおいっそう、うつむいた。
彼が歩く。
僕も歩く。
君は歩く、
嬉しげに君は言った。
「いいな、これ。どこへでも着て歩けるぜ。ハワイだって」
「……着んなよ。常夏じゃねーか」
言いながらも思う。帰ったら、僕も着よう。もう一着作ってある同じものを。
上手く作れる自信がなかったので、一度先に作ってみた。同じ生地で。お揃いのを。
それを着よう。きっと同じ匂いがつく、それを。
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