第9話 思いもよらぬ里帰り

 ニグスキ王国と開戦し、山側を背に土地の利を知り尽くして戦うニグスキ側に、リズパン王国は苦戦していた。戦力の上ではリズパン王国の方が遥かに有利であるのだが、奇襲や夜襲を得意とするニグスキに、リズパンはジリジリと戦力を削がれる一方で、負けることはないが勝てない状況にダニエル王の怒りは徐々に高まっていった。


 そんな中、海を渡って山側からキスコチェ王国を抜けてニグスキ王国の背後をつくという作戦の指揮を、アダムが任されることになった。

 すでに騎士団の精鋭と一般兵士達は海を渡り、キスコチェ王国でアダムの到着を待っている状況だ。

 そして今日、アダムはうちのマロンのお婿さん候補から正式なお婿さんになった黒馬ブラックの背に跨り、山側からキスコチェ王国へ向かおうとしていた。隣にすり寄るマロンと、その上で船酔いでグッタリしている私を連れて。


 なんで私がこの場所に……って、私が一番思っているよ。


 表向きの理由は、こっちの山越えの手段だけど、私の案が丸々採用されたからだって。私が言ったのなんか、山賊を案内人にすすめたのと、滑らない靴作りぐらいでしょうが。

 で、本当の理由は私を一人王宮に置いておくのが不安だから。王太子妃を害して成り代わろうとする人物は沢山いて、王太子のいない王太子宮の警護では心もとないそうだ。ならば連れて行けばいいだろうというダニエル王の一言で、私の早い里帰りが決定したって訳。


「姫さん、悪阻か?」

「そんな訳ないでしょ」


 グッタリする私に、頬に傷のある厳つい男が声をかけてきた。ちなみにこの傷、昔マロンに蹴り飛ばされた時に岩に激突してできた傷だ。つまりは、山菜採りに山に入った私を、身代金目的で襲ってきた山賊の頭領が彼って訳。今回の山の案内人で、ヤン(自称だから本名は不明)という。


「なんでだよ、姫さん嫁に行ったんだろ?ヒヒッ、姫さんがガキ過ぎて手出されてないとか?しゃーねーよな。姫さん相手じゃおっ勃つもんもおっ勃たないか……って、おいおい、これはなんだよ」


 私の横にいた筈のアダムが、いつの間にかヤンの横に移動し、短剣をヤンの首元につきつけていた。


「僕の妻を馬鹿にしないでもらおうか」


 僕の妻!ヤバイ!なんか萌えた。


 美形だけど自己肯定感が低い根暗な残念君だと思っていた我が夫が、私の為に手練れの山賊に刀を向けるとか、それだけでも頑張ってる感にキュンキュンするのに、「僕の妻」とかなんか新鮮過ぎて萌えるわぁ。


「妻?王太子さんの?だって姫さんリズパンのハーレムに入ったんじゃねぇの?百番目くらいの夫人になるから、まず相手されないだろうって聞いたぜ」

「百人は大袈裟よ。何人だっけ?アダムパパリンの奥さんの人数」

「アダムパパリンって……」


 ヤンは呆れた顔をしているけど、そこに呆れる前に首元の短剣をどうにかしないものかね。馬に乗って移動中な訳で、なんかの弾みでグサリとか、流血沙汰は見たくないな。


「現在主宮殿と後宮にいる妃と夫人は合わせて三十五人かな」

「そりゃ羨ましい話だな。俺の嫁さんだって三人なのに。で、姫さんは王太子さんの何番目の嫁さんになったんだ?」

「あんた、山賊の分際で三人も奥さんがいるの?貴族でもあるまいし」

「妻はロッティだけだ」

「じゃあ愛人がわんさか?」

「ロッティだけだと言っている」


 やだ、そんな言い方されたら、「愛されてる!」とか勘違いしちゃうじゃん。女嫌い……というか女性恐怖症が過ぎるせいなんだけどさ。


「奇特な王太子さんだな。まぁ、確かにお姫さんが一人いりゃ、飽きることはないだろうけどよ」

「失礼ね。私は玩具の類じゃないのよ。それよりもねぇ、あそこチカチカして見えるんだけど、あれって何かな?」 


 さっきから気になっていたが、木々の間でまるで合図を送っているよう何かが光っている。木漏れ日とかそういうんじゃなくて、明らかに人工的な何かだ。


「ありゃ、うちら山賊の合図だな」

「ヤンのとこ?」

「いや……、あれは……」


 すると、ヒュンッと空気を切る音がしたと思ったら、後ろの木にダンッと何かが刺さる音がした。さらにヒュンッヒュンッと音が続く。


「ロッティ!頭を下げて」


 アダムが剣を抜き、飛んできた矢を切り落とす。


「木の上から狙われてる!」


 私が木の上を指差すと、ヤンが懐からパチンコを取り出して私の指差した先を素早くうった。見事命中し、人間が一人木から落ちてきた。しかし、矢は他からも飛んでくる。

 ヤンが指笛を吹くと、遠くからも指笛が二回返ってきた。


「仲間を呼んだ!とりあえず撤退だ」


 馬に体をぴったり這わせるようにして馬を走らせ、矢の攻撃が当たらないようにする。しかし、矢の一本がヤンの馬の尻に刺さった。細い矢だというのに、馬はバッタリと倒れてヤンは空中に投げ出され、藪の中に転がり落ちていった。藪の向こうに崖があったらしい。


「ヤン!」


 慌てて馬を止めようとしたが、アダムがマロンの尻を剣の鞘で強く叩いた。


「止まるな!走るんだ!」

「でもヤンが!」


 藪の中から鋭い指笛が三回響いた。これは、私が昔ヤンから聞いたことのある合図。一回は集合、二回は了解、三回は逃げろ。


 私は二回指笛を鳴らした。ヤンが生きているのなら、自分一人でなんとかできる筈。


「アダム様、行くよ!」


 私はマロンの腹を蹴り速度を上げた。しばらく走っていると矢の数は減り、さらに川を越えて崖を登った時には矢は飛んでこなくなった。マロン達だからこそ走れた道だ。しかし、安全を考えてさらに進み、私とティアラだけが知っている洞窟の入口でやっとマロンの足を止めたのだった。


「アダム様、ちょっと休憩よ」

「ここは?」

「私とティアだけが知ってる抜け道。そんでもって、山賊達が近寄らない場所」

「近寄らない?」


 私はマロンから下りて手綱をひいた。アダムにも同じようにしてついてきてもらう。私にはよくわからないけれど、ある匂いのせいで通常動物はこの洞窟には入らない。同じく、山賊達もこの場所は呪われていると近寄ることはない。

 マロンは私について何回もこの場所を訪れているから、嫌がることなく洞窟を進んでくれ、ブラックには始めての場所だが、マロンがいるからか暴れることなくついてきてくれている。


「……これは」


 洞窟を進んでいると、いきなり吹き抜けになった場所に出た。その下には泉が湧き出している。湯気の出た泉が。


「この匂いが動物が近寄らない理由。ほら、そこの吹き抜けたところから匂いが外に漏れていて、この辺り一帯は鳥もいないの。山賊達は動物が近寄らないからこの洞窟には化け物が住み着いているって信じているわ。ほら、この水温かいのよ。岩肌を伝う雨水と合わさって、ちょうど良い温度でしょ。こういう温かい水のことを、温泉って言うのよ」

「温泉……」


 この洞窟、しかもうちの王宮の裏庭にある洞に繋がっているの。小さい時に隠れんぼをしていて見つけたんだけど、それからは山に山菜採りに行く時の近道として使ってたんだよね。温泉はたまに浸かったけど、疲労回復に抜群の効果ありよ。あとは美肌ね。私のソバカスには効かないけどさ。

 私が知る限り、温泉に浸かる文化はこの世界にはない。だから、うちの家族の中では温泉って名付け親は私ってことになっている。


「ちょっと入ってこうか?疲れ取れるよ」

「えっ?!」


 私は言うが早いか、さっさと靴を脱いで靴下も脱ぐと、乗馬ズボンの裾を折り返して膝上までまくり、泉の端に腰を下ろして足だけを泉につけた。つまりは足湯だ。


「ほら、アダム様も」

「ああ……足湯ね」


 アダムがボソリとつぶやいたのは、私の耳には届かなかった。


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