20本目の幸福

bond58

第一話

「私達、別れましょう。」

花火大会が終わった夜空を見上げながら陽菜はそう言った。先程まで目の前には光の玉が赤や緑に変化しながら形を変え、それを見上げる人々を祝福しているかのような煌びやかな光景を映し出していた。終わった後は寂しさを感じつつも先程の光景が目に焼き付いており胸がすくむ想いで帰路に着く者が大半だろう。夜空はいつもの静寂を取り戻し、また明日も変わらぬ日常を静かに見守っている。

「へっ、、な、なんて?」

蓮介は不意に聞こえた言葉に戸惑いを隠せず、声が裏返ってしまい情けない返事をしてしまった。いつも冗談を言って笑わせてくれる彼女は少なくとも場の雰囲気を壊すような冗談を言う子ではない。それでもいつもの冗談だと信じてもう一度聞こうと振り返った僕を見て彼女ははっきりと言った。

「別れましょう。そう言ったの。あなたの自信の無さにはもううんざり。いつまでもはっきりしない人といて私は幸せになれない。」

陽菜の大きな瞳は僕の全てを見透かしているように真っ直ぐ向けられていた。僕はその目を見る事が出来ず顔を逸らしながらやっとの思いで「ごめん。」と絞り出す。我ながら情け無い話だ。思い当たる節がありすぎる。陽菜が真剣に将来を考えて僕の事を見てくれた結果出した結論だろう。

「じゃあね、さようなら」

こちらを一瞥し綺麗に背筋を伸ばしてゆっくり歩いていく彼女は月の光も相待ってとても美しく見えた。その姿は僕が伸ばした手を躊躇するほどの艶麗さがあり、先程の花火の景色などとうに消え失せていた。

「はっきりしない、、か」

心に重く残った言葉は普段から言われている事だ。何をするにも決め切れなく、他人の顔色を伺っているだけで自分が無い。陽菜と喧嘩をした時はよく言われた言葉だ。花火大会の前もどこで花火を見るか決めかねているうちに人が少ない良い場所を取られ、花火が見えずらい場所で見ることになってしまった。随分前から楽しみにしていた陽菜にとってはかなりショックだっただろう。地元だから良い場所を知っていると啖呵切って案内したが、いざ着いてみると見やすい場所が二箇所あり、どっちが喜びそうかなと悩んだ結果、はっきり決め切れなかったのだ。職場でもそうだ。患者様から聞かれる事をはっきりと答えられなくて不信感を持たれ、別の人と担当を変わって欲しいと言われたことが幾度となくある。その度に上司や同僚から励まされるのだが最後はいつもはっきり答えてあげろよと言われる。理学療法士という人と関わる仕事に着いて9年経つが新人と同じような事を今だに言われている。原因は分かっている。はっきりと答えられないのでなくはっきりと答えて間違っていた場合、相手を傷つけてしまうのが怖いのだ。そんな事を言い出したら全てどうしようもない事ももちろん分かっている。結局は自分がはっきりしないので相手を傷つけている事も。でも出来ないのだ。全身の血が無くなったかのような寒気と地に足がついていないような感覚が身体中を飲み込んで声が出なくなってしまう。元々人と話す事は好きであり、人のために役立つ仕事がしたいと思ってこの道へ入ったが自分の性格がここまで仕事に弊害をもたらすとは思いもしなかった。もう少し自分という人間を知っていれば別の道を選んでいただろう。それでもこの仕事をやめられないのは患者様が良くなった事を笑顔で話してくれる瞬間が幸せだからだ。その幸せも話を聞いてくれて褒めてくれる相手がいるからこそさらに強く噛み締められる幸せだったが、夜空に散る花火のように一瞬で無くなってしまった。悲しさよりも虚しさが勝ってしまい涙も出ない。

「取り敢えず、一服しよう。」

そう言って加熱式タバコを取り出した。リラックスして気持ちを切り替えようと折れないようにタバコをゆっくりと刺す。タバコを吸い始めたのは就職してから。ストレス解消になるからと同僚に勧められて吸い始め気づけば立派なヘビースモーカーだ。

「充電、無くなってるじゃん、、」

悪い日に畳み掛ける不幸はよく聞く話だ。聞くだけなら何とも思わないがいざ自分に降りかかってくるとこの世で一番不幸なのは自分では無いかと思ってしまう。いつもは自分を癒してくれる加熱式タバコは充電が無ければただの荷物だ。決して重くはないがポケットに入っていると安心する存在感がとたんに鬱陶しくなる。

「タバコ吸いたいなぁ」と声に出して言ってしまった。今1番リラックス出来る物を無意識に指しているあたり相当吸いたいのであろう。早く帰って充電しようと思いながら帰路に着く。先程の花火大会はこの地域のメインイベントであり、他県からも大勢の人が訪れていた。人が集まる場所では必ずゴミが出る。見渡せばそこら中にゴミが散乱していた。マナーのなってない人間が大勢いる事だ。さらに気分が悪くなる。歩きながらふと下を向くと街灯に照らされて見覚えのある形状の物が見えた。加熱式タバコ本体だ。誰かが忘れていったのであろう、縁石の上にちょこんと置いてある。加熱式タバコはライターがあれば吸える紙タバコと違って本体が無ければ吸えない。その本体を無くしてしまったのであれば持っているタバコは何も意味を成さない。可哀想になぁと忘れた人を思って加熱式タバコを手に取る。見た事の無い形状だがタバコの挿入口があり、同じく加熱式タバコを吸う蓮介はすぐにこれが分かった。おもむろに電源を入れてみると「ブゥゥッ」と音がして電源が入った。まだ使えそうだ。試しに自分のタバコを刺してみる。ギュッと音がして奥まで差し込むことが出来た。

誰のかわからない物を使うのは気が引けたが一刻も早くタバコを吸いたい蓮介は一本だけ吸わせて下さい、終わったら元の場所に戻しますからと心の中で思い電源をつけて息を大きく吸い込んだ。その瞬間、今さっきまでこの世で一番不幸だと感じていた心が澄み渡る青空のように晴々しくなっていく。味も普段吸っているタバコの味では無い。例えるなら人生で一番美味しいものを食べた時の味と似ている。こんな美味いものが世の中にはあったのかと豪快に平らげていく様に周りは好奇の目を向けるがそんな事はお構いなしに次から次へと口へ運んでいく。食べた後は幸福感に満たされ幸せを噛み締めながらまた食べたいと思う。以前上司に連れられて行った普段は絶対に立ち入らないであろう有名な高級料理店の一品を思い出した。大きく息を吐きながらもう一度吸う。また同じ味がした。先程よりも美味しく感じる気がする。普段ならゆっくりと時間をかけて吸うのだがとにかく早く吸いたいという気持ちが抑え切れない。限界まで息を止めた後の呼吸に近い形で早々に一本吸ってしまった。

「こんな幸せがあるのだろうか。今なら何でも出来そうだ」心の声が漏れる。謎の幸福感に包まれて踊り出したくなる。タバコの味が違うのは嫌なことがあった分、美味しく感じたのだろう。いつも自分を元気づけてくれてありがとうと心の中で感謝をのべ、使い終わった加熱式タバコ本体を元の場所に戻し幸せな気分で不意に走り出した瞬間、落ちていた石に躓いて転んでしまった。誰も見ていなくて良かった。ニヤけた男が走って転ぶなんて見ている人からすれば笑いものだ。ぱんぱんとズボンについた埃を払って立ち上がると目の前に小さなものが見える。拳ぐらいの身体の大きさで赤い髪、ギョロッとした目、身体と同じぐらいの大きさであろう耳を持った小人がそこに立っていた。

「おいお前、俺が見えるか?」

上半身は裸で緑色のズボンを履いたそいつは子どものような無邪気な声で話しかけてきた。怖いものが苦手な蓮介は普段なら大声を出して腰を抜かしたであろう。しかし先程の幸福感がまだ残っていたのか、不思議と驚く事は無く無言でコクコクと首を縦に振る。街灯に照らされたそいつはこちらの顔をじっと見てニッと笑いさらに話し始める。

「それ、使ってみてどうだった?幸せだったろ。」

今度は驚きを隠せなかった。目の前に現れた奇妙な生物が自分がタバコを吸って幸せな気分だった事を知っているのだ。普通では考えられないが事実だ。一呼吸おいて返事をする。

「幸せだった。この世で一番の幸福感を味わえたよ。」

「そうだろう。良かったよ幸せになってくれて。良ければやるよ、それ。」

そう言ってそいつは元の場所に戻した加熱式タバコ本体を指差した。

「それはな、俺らの世界の加熱式タバコ本体だ。名前はラブエル。これでタバコを吸うと幸せになれるんだぜ」

間が抜けたような顔をしていたであろう蓮介を笑顔で見ながら奇妙な生物は続けて話す。

「俺の名前はジジ。人間を幸せにするためにやって来た悪魔だ」

ニコッと笑うそいつの口は中は赤く、鮫のようなギザギザの歯が大きく目立っていた。


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