サガシモノ列車

星影

思いもよらぬ出会い

 うるさい。


 電車の踏み切り音も。

 車のエンジン音や走行音も。

 自信ありげに話す人の声も。

 誰かのイヤホンから漏れる音楽も。

 駅内放送のニセモノの人の声も。

 風で草木が揺れている音も。

 目の前を横切る鳥の声も。

 嬉しそうに激しく鳴く虫の声も。


 うるさい。



 ――周りから入ってくる音なんて、どうでもいい。

 いつもそう思ってしまう。

 だって、自分には関係がない。

 自分には意味のないものだから。

 ならば、音なんて、別に鳴らなくてもいいじゃないか。

 鳴らせる必要なんて、ないじゃないか。

 私は、はあーっと大きな、そして長いため息をつく。

 古びた最寄り駅のホームの階段で立ち止まり、目の前を呆然と見つめる私。

 時折、「寄ってください」「邪魔なんだよ!」などという、罵倒に似た文句を吐かれるが、当然、私の耳には入ってきても、すべて自分の思考によって遮断される。

 私は、やがて文句を吐かれるのに腹が立ってきて、ローファーの蹴る音を大きく放ちながら階段を上り始めた。

 ただ、仕方なく。


 階段を上り終え、いつものように、天井にぶら下がる電光掲示板を見上げる。

 もう、いつも乗る学校の最寄り駅行きの電車は、発車ベルを鳴らして出発してしまったらしい。

 次の電車が来るまで、あと十ニ分。

 もうすぐで電車が来るはずだから、構内のベンチに座って小説でも読んでるか。

 私はまた、はあっとため息を漏らし、そのまま改札へ進み始める。

 学校指定の鞄に忍ばせていたICカードをかざすとーーふいに、誰かにバンッと強く押された。

「わっ」

 思わず驚いた声を漏らして、即座に振り返った。

 しかし、しんと静まり返っているだけで、そこには誰もいない。

 だが、私はそのあとも同じように何者かに押され、《ここにあるはずのない、不気味な、深紅に染まる改札》に連れ出された。

 そこを通ると、どこにでもあるような駅のホームが前方に広がっていて、老若男女と、さまざまな年代の者が複数人いた。

 ここは、いつものホームだ。

 そうだ、何も疑うことはない。

 ――なんだ、今のは、誰かに押されたという思い込みだったのか。

 そう胸を撫で下ろしていると、電車が静かにすべってきて、私の目の前で、キーッと甲高い音を鳴らしながら、ゆっくりと停止した。

 私は、またもや何者かに押され、《学校行き》の電車の中に入ると、私を押した何者かは、急にどこかへ消え去ってしまった。

 今、何が起きているのかさっぱりわからないまま、そっと、誰もいないソファに座る。

 電車が発車ベルを鳴らして走り出すと、窓の外の景色は、まるで動画を早送りするように入れ替わっていった。

 周りは静寂で、乗客は私以外に誰もいない。

 元々、こういう静かな場所は嫌いじゃないため、何も気にすることはないが、いつもの馬鹿馬鹿しい喧騒はないので、違和感を覚える。

 こんなことを思ったことなんて、今までなかったのに。

 今日は何だか、自分が自分じゃないみたいだ。

 私は自分のことがよくわからなくなって、髪の毛を掻き混ぜるように、頭をぐしゃぐしゃに掻きむしる。

 その後、我に返って、両手を離して膝下に置いてから俯き、ちょっとした考え事にふける。

 ――今のは本当に何だったのだろう。電車が発車する前に『どこ行き』なのか放送されなかったけれど、乗るべき電車は本当にこれで合っているの?

 そんなことを考えていると。

 二つのソファの真ん中に貫く通路の奥の方から、規則正しいリズムで鳴る足音が聞こえた。

 その聞こえた方を見ると――見るからに容姿のよい、自分と同じ年齢くらいの黒髪少年が、微笑みながら私を見据えていた。

 そして、彼は突然、真面目な顔になってこう言った。

「――今日も、《サガシモノ列車》は、人が多いな」

 ――今、なんて。

 彼はなんだか妙なことを言った。

 今日と《サガシなんとか》は人が多い――と。

 いつも私が乗る電車は、通勤・通学時間のため、満員電車並みに人が多い。

 それに比べてこの電車は、明らかに人が少なすぎる。

 というか、そもそも人が私とこの彼しかいないのだ。

 だから、彼が言ったことは絶対にあり得ないはずだ。

 いいや、別にそれが聞きたいわけではない。

 ああ……そうだ、《サガシなんとか》のことだ。

 この人は、一体、何を言っているのだろうか。

 私は、そんな思考になる前に、まるでひとりごとを呟くように話しかけた。

「えっ、少ない方じゃないですか――って、え……あなた、今、《サガシなんとか》って……」

 きょとんとした表情で彼に疑問をぶつけると、彼はなぜかにやりと笑った表情でこう言った。

「そうか。あんたは、この列車に乗るのは、初めてなんだ」

 得意げに笑っているみたいだが、目は全然笑っていない。

 彼はもたれていたソファから離れ、どんな意味があるんだか、道の真ん中まで移動し、私に輝かせた瞳を向けた。

「――ようこそ、《サガシモノ列車》へ」

 彼は、両手を大きく広げ、私を迎え入れるようにそう言った。

 そして、何か言いたげのように――。



 彼は、《レント》と名乗った。

 私の隣に座りながら、目立った息継ぎもしないで自己紹介をしている様は、まるで、自分の好きな小説の好きなシーンを、楽しそうに語っている人そのものだ。

 父母ともに働いているだとか、三歳年下の可愛げない妹がいるだとか、いろいろ話してくれた。

 私との共通点は、学生であること。

 そして――いつも一人でいること。

 友人がいないわけではないし、友人を作る努力をしていないわけでもない。

 ただ、ずっと一人でいる私を、みんなは察して避けていくだけ。

 それは彼も同じらしく、私は自分に似た彼に少しだけ興味を持った。

 そんな、一人ぼっちだけれど、どこか無邪気な彼は、私の名前を陽気な声で呼んだ。

「なあ、アカリ」

「……なに」

 そう言うものだから、ぶっきらぼうに返事をしてしまった。

 私の名前は、アカリ。

 下の名前で呼び合おうと言ったのは私だけれど、苗字以外で呼ばれたのは家族だけだったため、驚いてしまった。

 その反動で出てしまったのが今の返事で、正直、突き放したように思えて申し訳ない。

 ネガティブな思考をしていた私の脳内を知っているわけがないレントは、不思議な表情をしている。

 彼は組んだ足の膝に頬杖をつき、私のほうを見て、先ほどの会話の続きをしだす。

「あんたは、《何をさがしにきた》んだ?」

「さがす……? なんのこと……?」

 私は首を傾け、必死で言葉の意味を理解しようとする。

 つまり、私がどんな《サガシモノ》をしているか――ということなんだろうか。

 自分が今探しているモノを、天井を見上げながら、頭の中で思い浮かべてみる。

 今持っている、恋愛小説の続巻。

 たった二人の友人からオススメされた、恋愛✕推理小説。

 あとは――すべての音を遮断する、イヤホン。

 みたいなことを、きっと彼は言ってくるとは思ってもいないだろう。

 私が無言でそんなことを考えていると、レントは肩をすぼめて苦笑した。

「この列車は、《サガシモノ列車》と言うんだ。自分に《サガシモノ》があるとこの列車が判断したら、勝手に連れ去って、いつの間にかここに乗っていたりするんだ」

「ああ……だから、さっき、誰かに押されたんだ……」

「ま、そういうことだな」

 一つの疑問が彼の解説によって解消され、安堵のため息をつく。

 しかし、疑問は山ほどある。

 それを解消させる前に、私はとりあえず、彼の言う《サガシモノ》について考えてみる。

「つまり、忘れ物……みたいな?」

 彼は首を横に振った。

「いいや、忘れ物ではない。それなら、過去の話になっちまうだろ」

「それじゃあ、なんだって言うの」

 怒り気味にそう言うと、彼は少し目をそらし、眉を寄せながら考えごとをしはじめる。

 そして、思いついたのか、私のほうに視線を定めて腕組みをする。

「まあ……そうだな。こいつを見ればわかる」

「これは、本……?」

「ああ。この列車に積まれている、ここの説明書だ」

 説明書なんてあるのか。

 なぜかレントの隣に置いてあったらしく、どうぞと差し出してくる。

 私はそれを手にとって本の表紙をめくり、一ページ目を声に出して読む。


『ここは、何の変哲もない列車。だが、乗って、次駅まで移動するものではない。その列車に乗る者は、必ず、なにか《サガシモノ》をさがしているらしい。

 赤ん坊は、母からの《愛情》を。小さい子供は、よく使っていた《玩具》を。児童は、まだ手に入れていない《友情》を。学生は、児童の頃に夢見た《恋愛》を。社会人は、子供から卒業して失くした、小さい頃の《思い出》を。定年退職した者は、仕事をする《楽しさ》を。老人は、これまでの人生で手に入れることができなかった《喜怒哀楽》を。

 それらをさがすために、今日も僕らは列車に乗る。

 名前は――《サガシモノ列車》』


 そこまで読み終えると、私は活字を指でなぞり、考察を始める。

「最後が《彼ら》とかじゃなくて、《僕ら》になってる。つまり、この作者も、ってことかな」

 すると、レントはそれだけで納得したのか、真剣な顔で私の推測に肯定する。

「つまりこれは、ここに乗った、俺たちと同じ境遇に会った人が執筆したものってことだな」

「なるほど……」

 見入るように、その説明書に書かれた文字を眺める。

 そして、ふとあることが頭に浮かんだ。

「なんだか、小説の冒頭部分みたいね」

 好きな小説を思い浮かべながら、ふふっと微笑む。

 私の言ったことが意外だったのか、彼は目を丸くした。

 そして、ふむふむと目を閉じたまま頷く。

 ――よく百面相を浮かべる人ね、あなたは。

 私は新たな彼の一面を覗いたような気分になって、また微笑を浮かべる。

「へえ。あんた、よく小説を読むんだ」

「……まあね」

 私は少し照れくさくなってそっぽを向いた。

 ――この人とは、少しだけ、気が合うのかもしれない。

 彼の優しい笑みを浮かべた顔を見ながら、そう思った。

 私はふいに、なんだか話がそれている気がすると思い、口を開く。

「ねえ、レントは何をさがしているの?」

「俺? 俺は……そうだな。今は《愛せる人》を捜してる」

「愛せる、人……」

「そうだ」

 その彼の言葉に引っかかった。

 愛せる、人。

 それは、私も捜している――かもしれないモノ。

 ――そうだ。私も、ずっと捜していた。

 私が愛せる人、私を愛してくれる人を、心の奥底で、ずっと。

 そう自分の気持ちと向き合っていると、自分の口が無意識に動き、誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。

「恋……」

「……なんだって?」

 やはり聞こえなかったらしく、彼が聞き返してきた。

 こんなこと言うのはとても恥ずかしいのだけれど、と思ってしまった私は、自分自身に「こんなことで恥ずかしがるのか?」と問うてみたくなるほど、今の――いや、今日の私は《変》だ。

 一度、少し熱くなってきた頬をパチンっと音を立てて叩く。

 彼は私の謎の行動に眉を寄せたが、すぐに素に戻った。

 そして、私は真剣な眼差しで彼に見据えた。

「私は――《恋》を探してる」

「恋……か。俺と一緒だな」

 頬を緩ませて、笑みを浮かべるレント。

 別にこの解答は意外ではなかったのか。

 彼は私の言葉に疑問を持つことなく、話を続ける。

「それじゃ、もしかしたら、この、俺とあんたとの出会いは――《運命》なのかもしれないな」

 彼の口から出てきた言葉に驚愕し、「運命……」と呟く。

 それから、心の中でその言葉を連呼し、本当にそうなのか、と自分に問いかける。

 そんな私は見ていた彼は、優しい笑みを浮かべて、こくりと頷いた。

「そう。同じ《サガシモノ》を持つ二人が出会い――今、ここにいる。まあ……性格は全然違うけどな」

「は……?」

 私は、最後につけ加えられた言葉に疑問を抱いた。

 レントは私の耳に近づき、こう囁く。

「あんた――猫、被ってるだろ」

 悪魔のような、含みのある囁き声に、私は肩をびくっと震わせた。

 今まで一度も、誰かに気づかれたことなんてなかったのに、まさか、今日初めて会った人に気づかれたなんて。

 彼を一瞬、怖い存在だと思ってしまい、震え気味に声を漏らす。

「……被ってない」

「それじゃ、その性格は元々だって言えるか?」

 そう言われて、何も抵抗することができないまま、開いていた口を閉じる。

 何も言えないのが、悔しい。

 猫を被っていることは本当だ。

 しかし、恥ずかしすぎて、他人にそのことを言えない。

 結局、私は無言を貫き通すことにした。

 レントは《私が猫を被っている》というのが真であることをその場の雰囲気で知ると、嘲るような笑い方で頬を緩ませた。

「やっぱり、被ってるよな。だってさ、アカリって名前、きっと《明るい》だとか《灯す》だとかいう意味が含まれてるだろ? 人って、名前通りの性格なんだよな。家では明るいけど、他人の前では大人しい。そんな感じがする」

 頬杖をつき、私の視線を射抜く。

 私は思わず特大のため息をついた。

 他人の前では猫を被った方が楽だと思って始めたことだった。

 しかし、それがばれてしまったのなら、もう隠す必要はなくなる。

 仕方あるまい。

 そう思いながら、頭の片隅では、彼になら、素で話しても楽しくやっていけそうだな、と考えてしまっている自分がいる。

 なんだ、このモヤモヤしたような複雑な気持ちは。

 「素のままで接するほうがいいわ!」という天使の囁きと、「ずっと猫を被っていたら、面倒事はないぞ!」という悪魔の囁きが耳の中でこだまする。

 そして、私が選んだ囁きは――天使のほうである。

 いつまでたっても猫を被ったまま生きていては、何も始まらない気がする。

 ここから一歩踏み出すためには、ありのままの自分を曝け出す必要があると、私は思う。

 そう思うと、なんだか心が温かくなってきた。

 しかし、それと同時にある思いが沸々としてくる。

 レントに向けての怒り。

 こう思っているのは私だけではなく、彼もそうなんじゃないか。

 私は、むっとしながら反発した。

「レ、レントだってそうでしょ。なんだか、悪戯好きな、そんな名前っぽい、」

 すると、彼は私の頬をつねりながら睨み、私の話を遮ってきた。

「悪戯好き、なわけないだろ。というか、名前で性格を決めつけんな」

 彼もむっとこちらを睨みながら、そう言い返す。

 気に障ってしまったのか、彼はフンッとそっぽを向いてしまった。

 ――あなたもそうしたじゃない。

 内心では、そう言われてちょっと照れくさいんじゃないの? と思ってしまったところで、首を横に何度も振る。

 それから、ほくそ笑んで悪魔のようにこう言ってやる。

「人のこと、言えないよ」

 笑いが堪えきれなくなり、くすくすと小さく漏らす。

 そうして笑っていると、レントは驚いた表情をして、私につられて笑った。

 この時間がとても楽しいと思ってしまったのは、きっと気のせいだろう。

 そう思いたい。

 なぜなら私は、できればずっと、一人でいたいから。

 何の音も聴かずに、ただ一人で自分の道を歩みたいのだ。

 こんな思いは、彼にだってわかりやしないだろう。

「まっ、そういうわけだな。くくっ、アカリは面白いな。俺、そういう人、好きだ」

 そう言うと、レントは顔を綻ばせ、無邪気に笑った。

「っ……!」

 その表情に、私は顔を赤くする。

 この人から、優しい音が聞こえてきたような気がした。

 燦々と降り注ぐ太陽みたいな、あたたかい音。

 初めての心地よい音に、私の胸は、トクン、と一音だけ鳴る。

 その音に、私はぎょっとした。

 初めての感覚に、胸騒ぎがする。

 私はそれを中に押し込むように、ぎゅっと制服のシャツを掴む。

「ははっ。照れるなって」

 そう指摘されて、私はもっと顔を熱くさせる。

 ――今の私の顔は、きっと林檎みたいに真っ赤なんだろうな。

 いや、そうじゃなくて、本当に反応すべきなのは、彼の先ほどの言葉だ。

 照れるな、と言われると困る。

 今の彼の表情、いろいろと反則すぎて、耳まで赤くなっちゃいそうだ。

 あんな男子の微笑みを今まで見たことがなかったから、余計に反応してしまった。

 私は半ば投げやり気味に反発する。

「その顔で、照れないわけないじゃない。私はちゃんと、あなたと出会ったこと……運命だって、思ってるから」

「そうか」

 予想外の少し冷たい反応に、私は頬を膨らませる。

「その反応、一番困るんだけど」

 そう言った後、なぜか静寂が訪れ、会話が途切れた。

 それから数分が経ち、彼のほうから話しかけてきた。

「ああ、そういや、ちゃんと友達はいるのか?」

「いるに決まっているわ。二人だけど……」

 目をそらしながらそう答えると、レントは安堵のため息をついた。

「よかった。あんた、猫被っているからいないと思って、本気で心配した」

「心配しなくても大丈夫だから。私、友達が一人できると、その後はずっと仲良しでいられるから」

 そんな、したこともない雑談を交わしていると、ふいに時計が目に入った。

 時刻は、八時ちょうど。

 つまり、朝のホームルームが始まるまで、あと三十分しかないということだ。

「もうこんな時間じゃない! 早く学校に行かないと」

 焦ってドアの前まで行こうとすると、突然、レントに腕を掴まれた。

 その反動と列車が突然揺れたのとが合わさって、私は足をふらつかせた。

 振り返ると、彼はいつにも増して真面目な顔で、首を横に振っていた。

「あんたの目的地はまだだ。もう少し待っておけよ」

「でも……遅刻するでしょ」

「まあまあ、落ち着けって。もう一度、この本を読めよ」

 私は冷静な態度で彼から渡された本を手に取り、その場でページをめくった。


『ーー乗っている時間は、現実世界の秒針は進まず、仮想世界のような場所である《サガシモノ列車》の秒針だけが進む。そのため、現実世界では何も起きないし、降りるとすぐに記憶が強制的に頭から消され、「何をしていたのだっけ」状態になってしまう。

 しかし、《サガシモノ列車》に乗った後、翌日にもう一度乗ると、ここで過ごした記憶は戻っている。

 《サガシモノ列車》に乗る者は、ほとんどの確率で、初めて乗った者にその話をするとき、「《夢》みたいなものだ」と言うそうだ』


 パタン、と音を立てて本を閉じ、私は目を瞑った。

「……そう」

「本当に、《夢》みたいなんだ。時間が経つと、ぼーっとしすぎて、みんな、何やってるんだ、って顔して、俺に体当たりしてくるだよ。あれ、何なんだろうな」

「そう……なんだ……」

 きっと、普通の人がこんなことを聞くとびっくりするのだろうが、私はそうはならなかった。

 なぜなら……私もよく、立ち止まって呆然としていると、人がぶつかってくるから。

「……だから、私も、よく人と当たるんだ」

 そうひとりごとのように呟くと、レントはぽかんとして、私を小馬鹿にするように呆れた声を上げた。

「あんた、ここに一度も乗ったことないのに、そんなこと起きるのか?」

「もともと無口だし、よく突っ立っているから」

「それはあんたが悪いんだろ」

「それはそうだけど……」

 責め続ける彼の言葉に、私はだんだん自分への自信がなくなっていく。

 しかし、彼はそんな私を見て、「アカリには他にもいいところがあるから、そんなに気にすんなよ」と言った。

 先ほどまで私のことを悪く言っていたくせに。

 まあ、彼がそう言ってくれたなら、あまり気にしないようにするか。

 そう思ったとき、私は彼の今の格好が視界に入った。

「そういえば、レントも……高校生?」

 淡い水色のシャツ、オレンジ色の無地のネクタイ、うっすらと入ったチェック柄の紺色のズボン、そして、紺色のジャケット。

 どこか見覚えのあるその制服に、私は目を見張った。

「どこからどう見てもそうだろ。制服着てるんだし」

「確かに……って、その制服……」

 そこで、私ははっとした。

 ーー私の学校の制服じゃ……?

 私は自分を見下ろし、今着ている制服を確認する。

 レントの着ている制服に似た、デザイン。

 違うのは、ネクタイではなくリボンであるというところだけで、デザインも色もまったく同じだ。

 私は先ほどから強く鳴る鼓動を抑えたくて、ぐしゃっと胸元のシャツを掴む。

「……ん? どうかしたか?」

「……ううん。なんでもない」

 私はそう誤魔化し、もう一度、自分の制服を確認する。

 何度見ても同じだった。

 彼は私の謎の行動に疑問を浮かべたのか、瞬きを繰り返した。

 しかし、呆れたため息をつき、苦笑を浮かべた。

「まあ、いいけどな」

 ふと窓の外の景色が気になって前を向くと、そこには、あるはずのない、澄んだ青い海が水平線を引っ張って広がっていた。

 「こんな景色ってあったっけ?」とレントに訊いてみたら、「まあ、この列車は仮想世界みたいな場所にあるわけだし、別にあってもおかしくはないんじゃないか?」と答えてくれた。

 「そうかもね」なんて返事して――と、なんでもない雑談に花を咲かせていると、彼はよいしょっと声を上げながらソファから立ち上がった。

「もう目的地に着くみたいだ。また、明日に乗るときには――」

 彼が言い終える寸前、列車が前にがくっと揺れた。

 その衝撃で、彼と同じように立ち上がった私の体勢が崩れ、だんだんと彼めがけて前のめりになっていく。

「――あっ」

「お、おいっ!」

 気づいたときには、彼との距離が目と鼻の先だった。

 倒れていく毎に、二人の顔が熱を帯びていく。

「「…………!」」

 ヒュッと、二人して息をのみ――そこでぴたりと止まった。

 私の胸の下に、レントの腕が回っている。

 突然の出来事に、私の心臓が飛び跳ねた。

 彼の熱くなった右腕と、ほんのり赤く染まっている頬を交互に見る。

 ――あれ、今、どんな状況なの?

 私は数十秒間という時間を使い、頭の中を整理する。

 私が目的地に降りるためにドアの前に行こうとして、ソファから立ち上がって。

 そうだ。それで、急に列車がブレーキをかけるものだから、体がどんどん前に倒れていったのだっけ。

 そうしたら、目の前にレントがいて。

 彼が、倒れる私の勢いを止めるために、全身で私を受け止めたのだ。

「大丈夫か?」

 そんな言葉が、耳の近くでこだまする。

 囁くような甘い声に、びくっと体を震わせた。

 紅潮するこの感情を隠すように心がけながら、いつもの声で返す。

「だ、大丈夫。ありがと」

「いや……」

 彼はようやく、自分が今、何をしているのかに気づいたようだ。

 バッと私の肩を持って離し、私の顔色をうかがってからそっぽを向いた。

 ここからではよく見えないが、レントの耳が真っ赤に染まっているように見える。

 私はその理由が気になり、思わず彼に訊いてみた。

「どうしたの?」

「……なんでもない」

 尋ねたのに返事が曖昧で、結局わからなかった。

「また次も乗るんだったら、《サガシモノ》を言ってから降りるんだぞ」

 彼は先ほどの行動を頭から振り払ったのか、 私を笑顔で真っ直ぐに捉えた。

 心から本当に笑っているようだ。

 それが自分のことのように嬉しくなり、私も微笑で返す。

 こくりと頷いて、私は頭を回転させることにした。

「……わかった。私の、次の《サガシモノ》は――」

 ――《レント》。

 そう、無音で口を動かすと、私は微笑みを浮かべながらくるっと体を反転する。

 ドアの前に立ち、列車が完全に止まるのを待つ。

 彼は私の口の動かし方に妙な感情を抱いたのか、目を丸くさせて、顔をうっすらと赤く染めた。

「……い、今、なんて」

「ふふ。じゃあね」

 私は、彼と出会った後、初めての――いや、私の憶えている限りの、最大級の笑顔を浮かべた。

 レントに手を振ると、ようやっと停止した列車のドアの向こうに足を出し、右肩にかけたカバンをぎゅっと握った。

「あ、ああ。またな」

「うん」

 一歩踏み出す度に、少し寂しさが残るような、そんな感覚がする。

 でも、もう振り返る意味なんてなくて、私はぐっと前を向き、ひたすら歩みを進める。

 列車のドアが閉まる頃には、もう、あの少年と過ごした記憶は、風が煙を巻いていくように消えていった。



「あれ……私、なにしてたんだっけ……」

 いつの間にか立ったまま寝ていたのか、気がつくと駅の階段の前に立ち尽くしていた。

 辺りを見渡していると、人々が自分を避けて、階段を上っていく。

 通勤通学の時間がピークを迎えており、私の周りには、様々な音が流れていた。

 さっきまでは、音がすべて嫌なものだったのに、なぜか今は、何も思わない。

 いいとすら思う。

 そんなことなんて、今まで一度も思わなかったのに、突然どうしたんだろう、と自分に疑問を抱く。

 しかし、呆然としながらも、目の前のことだけに意識を傾けようと気張る。

 こんなところで、ずっと突っ立っているわけにはいかない。

 学校に、遅刻してしまう。

「行かなきゃ」

 「まもなく、――線――行きの列車が発車します」という放送が、天井の方から聞こえてくる。

 その列車が、自分が乗るものであるということに遅まきながら気がつくと、私は足早にホームへと進んだ。

「……行こう」

 そのとき、なぜか心の奥底に、ぽっかりと穴が空いているように感じた。

 なにかが足りないと、そう思った。

 しかし、なにが足りないのか、考えてもよくわからなくて、私はその場から離れ、駅の改札をくぐった。

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サガシモノ列車 星影 @Hoshikage

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