第三章 出版 夏➁
2 夏
先生と再会してからちょうど二週間後、私は横浜市内のとある高校に来ていた。
「お! 夏目、来たか!」
日曜日で誰もいないその高校の一年四組の教室に入ると、先生が待ち構えていた。
「朱美ー! 久しぶりー!」
「え!? 美月も来てたの!?」
「当たり前だよー! 困ったことがあったら何でも言ってねって言ったじゃん! だから今回は、
「そっか。本当に、ありがと!」
「ねえ、朱美……」
「わっ!?」
振り返ると、そこにはもっと意外な人物がいた。
「一花!? なんで一花までいるの!?」
「ちょっと! 何その言い方!? いくら親友だからってひどすぎ!」
「違う違う! だって、まさか一花がこっちに来てるだなんて思わないから……」
「私だって一回ぐらい東京来てもいいでしょ!? しかもいつの間にか西野さんとめっちゃ仲良くなってるし! だから私、朱美が東京行くの嫌だったんだから! すっかり東京に染まっちゃって!」
「とか言いつつ、もういろんなとこ行ったんでしょ?」
「あ、バレた?」
一花はいつものように、照れた笑顔を見せる。
「実はこっち来るのめっちゃ楽しみにしてた……、って、危ない危ない! 朱美、いつの間にこんな話術身に付けたんだ。東京って、ホントに恐ろしい……」
「そんな大袈裟な……」
「とにかく、朱美のピンチに即行で駆け付けたんだから、一回くらいご飯ご馳走してよね!」
「……一花、ホントにありがと!」
改めて先生の方に向き直る。
「てか先生、他の人も呼ぶなら先に言っといてくださいよ! いきなり先生の高校来いって言われて、それでみんないるんだから、ホントにビックリしちゃいましたよ……!」
「その方が面白いだろ?」
先生の笑顔には、
「とにかく、今日はみんな、わざわざ来てくれてありがとう! そして今日が、『月が、綺麗ですね。』奪還大作戦の、記念すべき一日目だ! まずはこの日を盛大に祝おう!」
「なんか、海外の戦争映画みたいですね」
美月が冷静にツッコミを入れる。
「宇宙戦争っぽい」
一花が合いの手を入れる。
「……とにかく、今日は作戦内容を伝える大事な日だから、皆集中して聞くんだぞ!?」
たった一年の間で、私たちがどれくらい大人になったかはわからないが、一年前にはあんなに遠くに感じていた先生が、これほど近くに感じられるのだから、その分だけ、前に進めたのかもしれない。
「それじゃ、内容説明はこの人にやってもらうから、皆心して聞くように!」
「え? まだ他に誰か来てるんですか?」
「ああ。この作戦は、彼なしでは成り立たないからな」
先生がそう言うと、私たちのいる教壇側のドアが開いた。
その人物が、ゆっくりとこちらに近付いてくる。
「ご無沙汰だね、朱美ちゃん」
その人はまさしく、心の内で予想し、期待していた、あの人に違いなかった。
「お久しぶりです、尊さん」
一花と美月には尊さんの存在を大まかには伝えていたため、二人ともそれぞれイメージと本人を結び合わせているのが
「奏さんは、お元気そうですか……?」
尊さんは、一度だけ
「とりあえず、家で安静にしているらしい。最近は奏のお母さんも家にいるらしいから、早まるとか、そういう心配はしなくて大丈夫だと思う」
「そうですか。よかったです」
こちらに関しては、二人の反応は対照的だった。
実際に奏さんと会い、恩を感じ、また今の彼の状況を聞いていたであろう美月は、心配そうな顔をしている。一方で、奏さんの存在自体を信じていなかった一花は、本当にいたんだというような驚いた表情を浮かべていた。
「……よし。それじゃ彼の復活を祈るためにも、尊くんにこれからのことを話してもらおうかな。いい? 尊くん」
「はい。わかりました」
また戦争映画のような言い回しを含ませた先生の誘導により、尊さんは教壇に上がった。一方私たちは、生徒たちの机にそれぞれ座っている。その構図はまさに授業のようだったが、話している内容は、全くそれに似つかわしいものではなかった。
むしろどんな授業以上に、ワクワクし、ソワソワし、それに怖さと隣り合わせな、これからの私たちの話だった。奏さんと私で創り、尊さんがずっと完成を待ってくれていた、『月が、綺麗ですね。』を取り返すために、あの強敵二人と戦う、唯一の手段だ。
「──という感じなんだけど、どうかな?」
尊さんが作戦の概要を締め括った。
「なんか、すごくワクワクします!」
美月が湧き上がる。
「ちょっと不安だけど、朱美のためなら」
一花も協力の意を示してくれる。
「二人には大変なことをお願いしちゃうけど、それでもいい?」
「もちろん! 朱美と奏さんにはたくさん恩がありますし、それに、二人の小説、私もすごい楽しみでしたから! 喜んで協力します!」
「ありがとう、美月さん。一花さんも、大丈夫?」
「はい。私、朱美がいたから、今まで楽しくやってこられたんです。それに、高校のときから朱美の夢が小説家だってことは知ってました。そんな朱美の夢を踏み
「ありがとう、一花さん」
二人はお互い、照れたように目を見合わせた。
「あの、私は何をすればいいのでしょうか?」
「朱美ちゃんは
「……わかりました」
本当に大変な時期。今はまだ、想像することすらできない。
「先生も、本当にありがとうございます。提案していただいただけでなく、こんなに手伝ってもらえるとは」
「当たり前だよ。教え子のためだし、それに、君の言っていた信念に深く共感したんだ。それを邪魔する奴らを
「あの……」
私の声が、清々しい先生の声を
「先生はいいんですか? 教師って立場なのに、こんなことに巻き込んでしまって……。それに他のみんなも、私たちのためにここまでしてくれて、本当にありがたいし、嬉しいんですけど、その反面、皆さんに申し訳ないっていうか、ここまでやってもらえて、その恩を返せるかなんて不安になっちゃって……」
「教師って立場だからだよ」
「え……?」
先生の声が、弱々しい私の声を包み込む。
「今、俺が夏目を見て見ぬふりして、そのまま夏目が傷つくのを止められなかったら、それはこのことが問題になって教師を辞めさせられるよりも、何倍も辛いし、何倍も後悔すると思う」
私の声ごと清々しくするような、そんな力がある。
「それに、あの小説は正真正銘君たちの作品なんだから、世の中は絶対に正当な判断を下してくれる。それでも俺の行動が問題だって言われたなら、教師なんてこっちから辞めてやるって話だよ」
私は今まで、他人のためにこんなに何かをやったことがあっただろうか。
私のために、他人がこんなにしてくれたことがあっただろうか。
「朱美ちゃん、これは、人を嗤って、人を傷つけることを
「……尊さん」
創作は人々を、喜ばせたり、楽しませたり、時に怒らせたり、哀しませたりする。
そんな作品が世の中に
「だから君は、恩を返そうとか申し訳ないとか思わないで、自分のために立って、自分のために戦うんだ。俺たちもみんな、そうやってここに集まってるんだよ」
「……はい! ありがとうございます!」
「……朱美」
美月がゆっくりと、私の肩に寄り添った。
「私は今まで、そんなこと考えずに、ただなんとなく生きてたんだ。でもこっちに来て、辛いことも悲しいこともいっぱいあって、そのとき初めて、私は誰のためにもなれないで、ただ生きてきただけなんだって気付いた。だから、そんな辛さや悲しみが少しでもなくなる世界になってほしいし、そのために、朱美と奏さんの小説が、朱美と奏さんの小説だからこそ、この世界の人々を喜ばせたり、楽しませられるって心の底から思う。だから最後まで力の限りサポートする。絶対、あいつらギャフンと言わせてやるんだから!」
「美月……! ありがとう!」
「朱美!」
一花が反対から、私の手を握った。
「私も何があっても、最後まで朱美を支える。朱美たちの力になる。だから……、こんな私と、これからも、親友でいてね!?」
「一花……、うん! もちろん!」
そうか。みんな自分のためにも、すべてを懸けて前に進める人たちなんだ。
「それじゃ皆さん、これからよろしく頼みます! 弁護士の人とも既に話は済んでるので、明日から早速やっていきましょう!」
それなら、私だって、
「奏に、良い報告を届けてやろう!」
自分の夢のために、自分の信念のために、すべてを懸けて、前に進む努力をしよう。
「はい!」
そして、同じ夢と信念を持つ奏さんのために、前に進む道を作ろう。
いつかまた、奏さんと、夜空に浮かぶ綺麗な月を眺めるために。
我々の作戦の第一段階は、簡単に言えば、盗作に関する抗議活動、及び署名活動だった。もちろんいきなり『月が、綺麗ですね。』が盗作された作品だと抗議するのは、唐突過ぎて世間から相手にされないと予想されるため、まずは自らの作品が盗作の被害に
そうやってある程度基盤が出来上がってきた頃、尊さんが「最近話題の『月が、綺麗ですね。』は盗作された作品」という噂を流した。最初はただの噂の域に過ぎず、さらには先のインタビューでの牽制により逆に非難を受ける流れになったが、奏さんの執筆データを公開し、それと徐々にボロが出てきた五木あおいのインタビュー内容を照らし合わせ、どちらがより作品の趣旨との整合性があるかなどを検証するネット記事を掲載することで、少しずつ、当小説のファンからもそのような声が上がり始めた。
一方で、そんな我々の活動を、既に攻撃を仕掛けてきている相手側が黙っているはずがなかった。権利の主張をし、元となる原稿、すなわち奏さんが相手の詐欺師に直接手渡したものだが、それを公開するなど、一定の対抗をしてきた。しかしその頃には、先生が密かに集めていた盗作被害者たちの、自分も同じようなやり口で被害に遭ったという声が大きくなり、次第に疑惑は益々強まっていった。
そうして七月のある日、尊さんから電話が来た。
「もしもし、朱美ちゃん?」
「尊さん、お久しぶりです! もしかして?」
「ああ」
電話口の尊さんの表情が、はっきりと目に浮かぶ。
「さっき、裁判所から連絡が来たよ。どうやら俺たちが名誉棄損罪で訴えられたそうだ」
奏さんと最後に会った日の少し前に、大学事務室の人に言われたことを思い出す。「これ以上続けるなら、相手方は法的措置も考えているみたいだから、できればもう話を大きくしないでほしい」。
「……計画通り、ですね!」
「ああ!」
私たちと、創作を愛し、感性に想いを馳せるすべての人たちのための、最後の戦いだ。
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