内緒話と約束

 咳が落ち着いたイーグルは仰々しく咳払いをした。

「全員の最終選考が終わったな。これから魔術学園グローイングの内部を紹介する。俺についてこい。質問があればすぐに手を上げろ」

 イーグルが足早に歩き出すと、集団は慌ててついていく。

 ジェノは両目をパチクリさせていた。

「内部の紹介なんて必要あるのか? 予め見学をしておくのが常識だろう」

「紹介がいらねぇなら帰れよ」

 シェイドは舌打ちをして集団についていく。

 ジェノはシェイドの隣を歩き出し、小声で話しかける。

「見学をする余裕が無かったのか?」

「食べ物にありつけるかすら分からないんだ。お偉い貴族様には分からねぇだろうが、呑気に見学する余裕なんて無かったぜ」

「そうか、失言だったな。おまえをバカにするつもりは無かった」

 ジェノは無表情で淡々とした口調で告げていた。

「お詫びに僕からプレゼントをしよう。受け取れ」

「何を渡すつもりか知らねぇが、お断りだ」

「怒っているのか? 短気は損気だ」

「うるせぇよ」

 シェイドは不愉快そうに表情を歪めた。

 ふと集団が足を止める。

 イーグルも足を止めていた。クリスタルがある部屋ほどではないが、広い一室に来ていた。幾つもの長方形のテーブルと、背もたれのある椅子が並べられている。

 オープンキッチンも見える。

 イーグルは咳払いをした。

「ここは食堂だ。休み時間になれば学生用に食事が作られる。その時の仕入れによって食べられる物が変わるが、好き嫌いがなければ利用するといい。日によって食べるかどうか決めてもいいが、月額や年額でまとめて事務課に支払った方が得だとは言っておく。質問はあるか?」

「イーグル先生、どうしてもお聞きしたい事があります」

 ジェノが神妙な顔つきで右手を上げた。


「シェイドの機嫌を直すにはどうすればいいですか?」


「帰れ。嫌なら俺を帰らせろ」


 シェイドのこめかみは引くついていた。

 ジェノは両腕を組んで、深々と頷いた。

「なるほど、僕には解決できない。ここは教員のお力を借りるべきだと確信した」

「教員を巻き込むもんじゃねぇだろ。イーグルさん、気にしなくていいぜ」

「教員には先生を付けろ」

「あんたは黙っていろ」

 シェイドが睨むと、ジェノは小首を傾げた。

「僕は間違っていないはずだが……」

「黙れといったはずだぜ」

「シェイド、何があったか知らないがジェノの話を聞いてやってもいいだろう。今はみんなに迷惑が掛かるから後で二人で話してくれ」

 イーグルが口を挟んだ。暗に二人で解決しろと言われて、シェイドは溜め息を吐いた。

 ジェノはシェイドの右腕を引っ張る。

「みんなに迷惑を掛けるわけにはいかないから、さっそく二人で話し合いをしよう」

「俺は魔術学園グローイングの内部を知りてぇんだ。今からあんたと話し合う時間は無いぜ」

「魔術学園の事なら僕が教える。おまえが拒む理由はない。ドミネーション、アナザー・ワールド」

 ジェノとシェイドの目の前が、グニャリと曲がる。空間が歪んでいるのだ。

 シェイドは右腕を力いっぱい引き、ジェノの手を振り払った。

「何のつもりか知らねぇが、これ以上俺に関わるな……!」

 イーグルのいる方に向きなおろうとした時に、シェイドは両目を見開いた。


 目の前の景色が明らかに違っていた。


 星空が広がっていた。


 地平線の彼方まで暗い空が広がり、無数の星々が瞬いていた。美しいが、物寂しい。

 広大な乾いた大地には、シェイドとジェノの二人だけが立っていた。

 シェイドは辺りを見渡した。

「……イーグルさんたちはどこだ?」

「イーグル先生と呼べ」

「あんたには逆らわない方がよさそうだな」

 シェイドは頭をかいてジェノを睨む。

「イーグル先生たちはどこだ?」

「心配はいらない。魔術学園にいるままだ。消えたのは僕たちの方だから。ここは僕が召喚した亜空間だ。素敵だろう?」

「……俺をどうするつもりだ?」

 シェイドの気配が変わる。明らかな敵意を消しているが、感情の窺えない表情をしている。

 静かに獲物の様子を窺う獣の目付きをしている。


 シェイドはジェノに何かされると思い、戦うつもりなのだろう。いきなり誰も来ない亜空間に連れてこられたのだから、警戒するのは仕方ない。

 ジェノが言動を間違えれば、先制攻撃のつもりで襲い掛かってくるだろう。


 そう察して、ジェノは両手をパタパタと振る。

「警戒しなくていい。本当に話し合いたいだけだ」

「お偉い貴族様がなんでだ? 納得のいく説明ができるのか?」

「誤解しないでほしいが、僕は他の貴族とは違う。ブレス王国の暗部という側面がある」

「そんな大事な情報をなんで俺なんかに?」

 シェイドがジリジリと近づいてくる。足音を立てず、獲物を窺う目のままだ。

 ジェノはその場を動かずに、無防備に両手を広げる。


「大事な情報だからおまえに教えた。それだけ信頼しているという事だ」


「俺があんたを信用する材料は無いぜ」


「信頼関係はこれから作っていこう。逆に聞くが、どうして僕を警戒する? ブレス王国に嫌な思い出があるのか?」


 ジェノが尋ねると、シェイドは足を止めて奥歯を嚙み締めた。両目を吊り上がらせて、身を震わせている。

 ジェノは両腕を組んで頷いた。


「その態度が雄弁に物語っている。安心しろ、僕は他の連中と違う。違うから魔術学園に入学しようと考えた。おまえと出会えて良かったと思っている」


「……俺は災難だと思っているぜ。まさかトワイライト家に目を付けられるなんてな」


 シェイドは吐き捨てるように言っていた。

 ジェノは首を横に振る。

「何度でも言うが、僕は他の連中と違う。おまえを悪いようにするつもりはない」

「その言葉は信用するぜ。俺に危害を加えるつもりだったら、とっくにそうしているはずだからな」

「理解されて良かった」

 ジェノは安堵の溜め息を吐いた。

 シェイドは視線をそらす。

「俺を放っておいてくれたら言う事はないぜ」

「そのつもりはない。僕たちはいずれ世界を変えるだろう。意見があればいくらでも言うといい」

「帰らせてくれ」

「分かった、魔術学園に帰ろう。そうそう、ここで聞いた事柄は誰にも話さないように。約束しろ」

 ジェノに言われて、シェイドは乾いた笑いを浮かべた。

「誰かに言ったら消すつもりか?」

「もちろん。約束を破るのならためらいはない。その代わりプレゼントがある」

「内容だけ聞く。いらない時にはそう言わせてもらうぜ」

「僕の知っている事を可能な限り教える。魔術の知識や技術、ブレス王国の裏側などおまえが知りたい事柄を尋ねてほしい」

「……マジか?」

 シェイドは両目を白黒させた。

「本気なら、頭がおかしいとしか思えないぜ」

「僕は何もおかしくない」

「その発想が既にどうかと思うぜ」

 ジェノが不服そうに頬を膨らめるが、シェイドは続ける。

「俺はあんたを師と仰ぐ事にするぜ。それでいいか?」

「露骨にやると嫉妬を買うから、こっそり尊敬するといい」

「尊敬するわけじゃねぇよ。あくまで弟子入りだ。よろしく頼むぜ」

「無礼な弟子ができたものだな」

 ジェノは唇を尖らせる。


「念のために言っておくが、ここで話した事は内緒にしろ。特に、僕が暗部である事は絶対に言わないでくれ」


「いいぜ。師匠の命令は逆らわないつもりだ」


「よし、魔術学園に戻ろう」


 ジェノが呪文を唱えると、星空が開けて眩い光が差し込んだ。

 星空が左右に割れて、地平線の彼方まで光に満たされる。

 光はしばらくして消えた。

 光が消える頃には大地も消えた。

 ジェノとシェイドは物静かな一室にたどり着いていた。

 いくつもの棚が並び、全ての棚に本がぎっしりと詰まっている。図書室であった。

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