第一章(3)

       ***


 ――――どれほど時間が経っただろう。

 俺がどれだけ悲しもうと、涙は枯れ果てる。

 心に、体が追い付かないのだ。

 かきむしった胸はボロボロになり、とめどなく血が溢れ出ている。

 体が悲しみの許容を超えたところで、俺は父上たちの会話を思い出す。

 今、俺がこの場にいるのは、とある儀式のための生贄としてである。

 それは十年に一度行われる、この地で討たれた妖魔の怨霊おんりょうしずめるための儀式であり、生贄をささげ、陽ノ国に再び平和が訪れることを祝う、祝祭だった。

 陽ノ国でも最古の歴史を持つ、重要な行事だ。

 その生贄に、俺が選ばれるとは思いもしなかった。

 浜辺に転がる大量の人骨も、俺と同じく生贄に捧げられた罪人たちのものだろう。

 この島には魍魎もうりょう跋扈ばっこしていると言われ、【七大天聖】のような紫位の刀士でなければ海を渡ることすらできないほど、島の周辺は激しい海流で囲まれている。 

 恐らく俺も、紫位刀士の誰かによってここまで連れてこられ、捨て置かれたのだろう。もしくは、父上の手で……。

 そして陽ノ国では今、また十年の平和を祝い、祭りが行われているはずだ。

「は……はは……俺が死ねば、皆幸せなのか……」

 俺が死ねば、陽ノ国は平和であると、誰もが喜ぶのだ。

 呆然と海を見つめていると、不意に背後から気配を感じた。

 その気配の方に視線を向けると、俺は体をこわらせる。

「ッ!」

 異様に膨らんだ腹と、その身体からだに不釣り合いな細い腕と足。

 くぼんだ目には赤い瞳が宿り、大きく裂けた口からはよだれが垂れている。

 そこには、陽ノ国に生息する妖魔、【】がいたのだ。

 ……俺の血の匂いに、かれてやって来たのだろう。

 元々、刀士と妖魔の実力は六段階に分類されており、一番上から順に、紫位、せいせきこうはくこくが存在する。

 そんな中でこの堕飢は、白位に分類されていた。

 白位の妖魔であれば、同じく白位刀士一人で対処可能であるものの……。

「コォオオ」

「カロロ……」

 この堕飢たちは、 大きな群れをなしていたのだ。

 堕飢はその名の通り、常に飢え、ちた妖魔。

 獲物を見つければ、容赦なく襲い掛かる獰猛どうもうな生物である。

 ゆえに、本来ならば群れで行動することはありえない妖魔なのだ。

 何故ならば、堕飢同士、共食いをするからだ。

 そんな堕飢が、群れで行動している。

 それはまさに、この極魔島の異常さを表していた。

 堕飢が共食いすら避け、群れで動かなければ生き残れない土地。

 群れとなった堕飢の危険度は、はるかに上の位に相当するはずだ。

 一体ならばともかく、目にするものすべてを襲い、貪りらう堕飢が群れとなって襲い来るとなれば、もはや災害ともいえるだろう。

 そしてそんな堕飢に対し、俺は刀士ですらなく、魔力も扱えない赤子同然の無力な存在。

 たった一体の堕飢相手ですら勝ち目はないというのに、この堕飢の群れに俺が勝つことなど……万に一つもない。

「カァアアア!」

「……」

 群れの内、一体の堕飢が、勢いよく飛びかかって来た。

 その様子を俺は、無感情に眺める。

 ――――どうせ俺は、誰にも必要とされていない。

 それならここで、死んだ方がまだ誰かの役に立てるだろう。

 もう、疲れた。

 何かに期待することも。

 何かに応えようとすることも。

 ここですべてを終わらせ、俺も母上の元へ――――。

 そう、思っていた。


『――――刀真。ごめんね……私のせいで、ごめんね……』


「ッ!」

 俺は目を見開くと、無様に転がりながらも堕飢の攻撃を避ける。

 幸い、堕飢は真っすぐに飛びかかって来たので、こんな俺でも避けることができた。

 さっきまで無気力だった俺が、いきなり動いたことで、堕飢たちはかすかに驚く。

 死を受け入れる寸前、母の言葉が浮かんだのだ。

 俺は……まだ死ねない。

 死にたくない……!

 母上のせい、だと?

 そんなこと、あるはずがない!

 ――――元々体の弱かった母は、俺が五歳の頃、体調を崩してそのまま帰らぬ人となった。

 当時、すでに魔力が扱えず、周囲から蔑まれていた俺を、母上はいつも受け入れてくれた。

 俺のことを、常にまもってくれたのだ。

 ……そして、いつも俺に謝っていた。

 こんな体に生んでしまったことを。

 ――――違う。

 母上は悪くない。

 悪いのは、俺が魔力を扱えないことだ。命刀を発現できないことなんだ……!

 どれだけ否定しても、母上は自分を責めた。

 確かに、誰にも認められないことはつらい。苦しい。

 だが、母上の子供であることは……俺にとっての誇りなのだ。

 もしここで俺が死んでしまえば、俺は母上の悔恨を認めることになる。

 それだけは絶対に嫌だ……!


 堕飢からの攻撃を避けた俺は、砂浜に転がる人骨を手にすると、構えをとる。


「俺は、最後まで生きてやる……! 母上が誇れるよう……俺が母上のことを証明してみせる! だから……俺の邪魔をするなあああああああああああああ!」


 俺の全力の咆哮ほうこうに、堕飢たちは一瞬気圧けおされた。

 しかし、すぐに正気に返ると、先ほどとは打って変わって、獰猛な牙をむく。

 そして、より確実に俺を仕留めるべく、全力で踏み込み、接近してきた。

 その速度は、刀次のそれと何ら遜色なく、俺は一瞬で距離を詰められると、そのまま肩にみつかれる。

「があああああっ!」

 深くえぐり込む堕飢の牙。

 その痛みに絶叫するも、俺は歯を食いしばり、全力で堕飢の顔面を殴りつけた。

「ギャッ!?」

 ひ弱な俺でも、一瞬だけ堕飢をひるませることに成功する。

 だが、その拍子に堕飢は俺の肩を食い千切った。

「うぐッ!」

「キィィイイイヤアアアア!」

 耳を突き刺すような甲高い歓声を上げた堕飢はうれしそうに俺の肩肉を貪った。

 その様子を見ていた他の堕飢たちもそれに触発され、一斉に襲い掛かって来る。

「うがあああああああああ!」

 ただ、俺は生き残ることだけ考え、手にした骨を振り回した。

 しかし、前に刀次と戦った時と同じように、俺の攻撃は容易たやすく避けられ、今度は腕、腹、足など、身体中に噛みつかれた。

「ま、まだ……」

「クルアアア」

 肉を食い千切る堕飢たちを相手に、全力を振り絞りながら戦おうとすると、俺の肩を食い千切った堕飢に押し倒された。

 そのまま俺の顔をのぞき込んだ堕飢は邪悪な笑みを浮かべる。

 そして、その堕飢は俺の首に噛みついた。

 どくどくと流れ出ていく血液。

 意識はどんどん遠のき、このまま俺は死んでいくだろう。

 それでも……。


「俺は…………死な……ない……」


 無意識にそうつぶやいた瞬間だった。


「――――ほっほっほ。こりゃあすさまじい生命力じゃのぉ」


 薄れゆく意識の中、俺の首に噛みついていた堕飢の頭が、突然消し飛んだ。

 それを皮切りに、俺の体に噛みついていた堕飢たちも、次々と殲滅せんめつされていく。

 気づけば俺の体は、堕飢の群れから解放されていた。


「はてさて……助けたはいいが、どうしたもんかのぉ……」


 そんな言葉を最後に、俺の意識は完全に沈むのだった。


       ***


 ――――思えば、長い時を過ごしたものだ。

 神の領域に至り、俗世を離れ、修行を重ねたことで、わしの【てんけん】にはさらに磨きがかかった。

 だが、終わりは必ず訪れる。

 じんですら、いつかは死ぬのだ。

 本来、亜神は自身の領域から出ることを好まない。

 それは神に至ったがゆえに、俗世の醜悪さに嫌気がさし、外の世界への興味を失っていくからだ。

 だからこそ、おのが領域に引きこもり、それぞれの亜神がそれぞれの道を極めていく。

 中には俗世に降り立ち、まさに神のごとき振る舞いで民衆を率いる変わり者の亜神もいる。

 ただ、そんな者はごく一部である。

 ほとんどの亜神が自分の道を極め、死んでゆく。

 儂も医学を極めるため、あらゆる薬草と人体の仕組みをこの亜神である身を使って調べ上げ、また、独自の拳法【覇天拳】を極めるべく、何百年という長い時間をかけて多様な型をつくり上げ、あらゆる魔物を倒してきた。

 他の亜神たちも似たようなものじゃろう。

 それが当然であり、儂もそうだと思っていた。

 しかし、自身の死を悟ったことで、その考えにふと疑問が生まれた。

 ……儂は本当にこのままでいいのだろうかと。

 何か、大切なものを見落としているのではないか。

 それを確かめるため、儂は死ぬ前に己が生きた世界を見て回ることにしたのだ。

 ――――そこには、その土地土地で必死に生き抜く、民衆の姿があった。

 儂らが醜悪だと断じた俗世は、その短い時を鮮烈に生き抜く人々であふれていた。

 もちろん、醜悪な面は色濃く残っている。

 だが、この世は醜悪なだけではなかった。

 貧しいながらも手を取り合い、刹那の時間を大切に生き抜く者たちがそこにいたのだ。

 それは、儂が遥か昔に失ったもの。

 儂が切り捨てた、美しきもの。

 ああ……儂は、こんなにも美しき世界を、自らの手で切り捨てていたのか。

 それはどれだけ勿体もったいないことだったのだろう。

 ……どれだけ悔やんでも、儂の時間は戻らない。

 ならばせめて、この瞬間を目に焼き付けよう。

 こうして世界を巡っていた儂は、とある島国に辿り着いた。

 亜神に至る前、このような国を知らなかった儂にとって、そこは未知の国じゃった。

 そして、儂はそこで不思議な島を見つけた。


「何じゃ? この島は……」


 島の中心部に、妙な結界が張られているのだ。

 その結界は、亜神である儂ですら通ることができない。

 島全体を覆っているのではなく、島の中心部というごく狭い領域に結界が張られているのだ。

 ひとまず儂は、結界の上空からその様子を観察した。

「これは……とんでもなく強力な結界じゃのう。亜神である儂ですら通れぬとは……」

 観察を続けたところ、この結界は太古の……それこそ、『神』の死から間もない、神代の頃の亜神が施したものだと分かった。

 神代の亜神と、儂らのような現代の亜神では、持つ力が大きく異なる。

 それだけ神代は神秘が色濃く残っていた時代なのだ。

「結界を解除するには……なるほど。特定の血脈を持つ者のみを通すのか……原理が分かりやすい分、強力じゃ。文字通り、この結界を張った者の定めた血脈を持つ者以外、通ることもできんのぅ。しかも、結界の中を見通すことすら許さぬか。ここまで徹底的じゃと、何が隠されておるのか気になるが……少なくとも、何かが封印されているわけではなさそうじゃ」

 どういった血脈なのかは分からない。

 しかし、ここまで強固な結界を展開している以上、何か理由があるのは確かだろう。外からの侵入をはばむ以外にも目的があるようだが、それが何なのか儂には分からなかった。

 どうせならこの結界をより詳しく調べたいところだったが、残念ながら儂に残された時間はあとわずか。

 そんな中、この地に付きっ切りになり、儂の残りの人生を費やすのもな……。

 その上、島の様子をざっと見てみたが……この島には中々に強力な魔物が多い。この魔物どもを一人で相手しながら結界を調べるのは簡単なことではないだろう。

 もっと早くから世界を見て回るべきじゃったと、かすかな心残りが生まれたところで……彼を見つけた。

 としにして十くらいに見えるその少年は、何やら醜悪な魔物の群れに襲われていたのだ。

 その魔物自体、儂は初めて目にしたが、儂にとっては何の脅威でもない。

 しかし、今その魔物と戦っている少年にとっては違うだろう。

 ただ、その少年は生を諦めておるのか、魔物の攻撃を眺めるだけだった。

 ……はぁ。

 その日を必死に生きる者もいれば、あのように生を諦める者もおるのか。

 必死にあらがうのであれば、助けてやらんこともなかったが、はなから生を諦めている者に手を貸すほど儂も暇ではない。

 儂がその場から立ち去ろうとした瞬間……強烈な生命力の波動を感じた。

 思わずその方向に視線を向けると、そこには先ほどとは打って変わり、人骨を手にした少年の姿が。

 先ほどまで生を諦めていたとは思えないほどに、目をみはるほど生命力をみなぎらせ、何が何でも生き抜くという生への執着が、その少年からは感じ取れた。

 そして、魔物と少年の戦いが始まる。

 だが、それは戦いとは呼べぬほど一方的なものだった。

 魔物に全身をみつかれ、今まさに息の根を止められようとしている中、少年はその状況でも生を諦めない。

 死を目前にしながらも、生きることを確信しているのだ。

 ――――面白い。


「――――ほっほっほ。こりゃあ凄まじい生命力じゃのぉ」


 儂がそう思った時にはもう、己の拳を振るい、少年を助けているのだった。

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