グラボが欲しかった俺が、なんで異世界にいるんですかね?

綿木絹

農民編

第1話 ここはどこ

 本村京もとむらけいはパソコンに向かって、ずっとネットの向こうの誰かと戦っていた。

 彼は名の知れたプロゲーマー…になるために、ネットの世界で戦っていた。


「孔子も言っていたじゃないか。好きなものゲームを仕事にしたら人生楽だって——」


 彼は働く時間以外をゲームに注げる異能【半端な廃ゲーマー】を持つ、ただの人間である。

 彼は一人でも戦い続ける、というより他にやることがなかった。

 スマホの通知もゲームに関する通知のみ。

 孤高の存在である本村瞳は、天駆ける羊のドリンクを次々に積み上げていった。


「は、今のチートじゃない?だって、俺の弾がすり抜けたし……」


 左手の筋肉が攣りそうになる。右手に持つマウスの感度も悪い。そして何より視界は最悪。


「キルカメラの映像と俺が見ていたものが違い過ぎる……。これはまさか……」


 戦う兵の力は重要だ。だが、それ以上に最近は……


「性能の差……だと?このグラボではこれが限界というのか?いや、それだけじゃない。あの距離で俺を視認できたということは解像度さえ違う。俺の1080pでは敵の認識すら不可能だったのか⁉ ……いや、そもそも俺のモニターはフルHD出ているのか?本当に60フレーム出ているのか?回線もあやしい。レイテンシ、どうなってんの‼」


 ※レイテンシとはデータ転送の遅延時間のこと


 円安と海外インフレによるPCパーツの高騰が酷い。

 プロを目指す前に家庭用ゲーム機にするべきだった、なんて今の彼に思いつける筈もなかった。


「与えられた武器は貧弱。状況も最悪。主戦場マウスパッドは狭くて足場が悪い。さらにゲーミングチェアもなんかぐにゃぐにゃしてる。このままでは軍資金の差で負けてしまう……」


 けいはずっと一人で何かと戦っていた。

 そして、戦いごとに飲料水の缶が積み上がっていく。

 缶の積み上げ方はもはや芸術と言っても過言ではなかった。

 彼が積み上げた空き缶の城壁は、全てが要石といっても過言ではない。

 鉄壁の空き缶。小さな地震程度では崩れることを知らない。

 ただ、その日は違っていた。


「ん、突然胸が…急に…」


 ガシャーンと音を立てて崩れる空き缶の城壁。

 彼はすでに戦えない状態にまで追い込まれていたのだ。

 確かにそんな突然死のニュースは知っている。

 けれど自分とは無関係、そう思っていた。

 でも、彼の体は画面に映る近未来的な軍人のようには鍛え抜かれてはいない。

 こんなに長い時間、眠らずにゲームが出来る筈がない。


 彼は胸を掻きむしりながら、三十年の歴史を終えた。


「って!俺、死んだの?……いや、生きてる……よな。ん、画面に俺が映ってない?なんだ、これ?」


 苦悶に満ちた表情が目の前のディスプレイに反射している。

 掻きむしっている最中の両腕が左右の空き缶の城壁を破壊し、崩れ落ちる手前、空中で停止した空き缶たち。

 ただ口だけは何故か動かせる。


「なんだ、典型的金縛りか夢だな。っていうか、さっきの試合も酷かった。キルカメラじゃなくて神視点で見ないとはっきり言えないけど。モニターとグラボは買い換えないとダメだな。相手は俺の遥か上のPCに違いない。でも、今はグラボが高すぎるんだよ。PC買えるじゃんって思うくらい高いし。ムーアの法則はどうなってんの?」


 金縛りと分かった以上、何も怖くない。

 だから、思いつくままに自分の願望を口に出していた。

 すると。


「神視点だと?何か異論があると言いたそうだが」

「異論って言うか、不公平だよ。俺のモニターじゃ捉えきれない。回線の問題かもしれないけどさ。解像度やfpsだけじゃなく他も圧倒的に差があるとしか」

「ん、改造度? 」

「そうだよ。敵の区別がつかないから。2Kがいいって話もあるけどやっぱ4Kだ。だって、人間の瞳の焦点解像度は8Kくらいって言われているんだぜ。」


 急に話し相手ができたことに全く違和を感じなかった。

 だってこれは夢なのだ。


「ヒトの瞳は8ケイ?開戦の問題……。霊や天使さえも確認中?そして改造、か。」

「回線は仕方ないし、レイテンシもおま環かもしれない。でも、出来れば8K、144fpsで戦ってみたいもんだな」


 ※おま環とは「お前の環境が悪いんじゃないの?」というネットスラング


 流石にそれは高望み過ぎだろう。勿論、ゲームによって変わる話だが、それらを可能にするには一体いくらかかることか。

 ここで突然視界が真っ黒に変わった。

 深い眠りにつくのか、いや既に永遠の眠りに就いているのだが。


「人間の分際でよくも言う。霊や天使がそう言ったのか?【お前の管理能力が劣っている】と?そんな筈はない。私は優れた神だ。良し、分かった。お前の言う改造度で劣悪異世界が平和になるか試してやる。」

「は?今なんて……?」


     ◇


 目が覚めると知らない天井が見えた。

 ここは病院ではなさそうだし、周囲には巨人がいる。

 自分の背丈の五倍以上。綺麗な女性というのは分かるが、巨女フェチではない。

 もしかして夢の続きかも知れないと、彼は自分の頬をつまもうとした。

 けれど自分の手さえもうまく動かせない。

 というより、自分の手がまるで赤ちゃんの手のようだった。


あああああああこれ……なに‼」


 喋ろうとしたが上手く出来ない。

 しかも、それは赤子の泣き声だった。

 思考能力も何故かパッとしないが、二つの事が考えられた。

 これもまた壮大な夢の中かもしれないということ。

 こればかりはあまり考えたくないが、あの時、実は死んでいて転生をしてしまったということだ。


んあーーんあーーーあー、まだ目覚めないんぎゃぁぁぁんぎゃぁぁっていうかこれってつまり


 だが、一つ目の可能性は呆気なく潰えた。

 流石に赤ん坊だけあって、何度も寝ては起きてを繰り返す。

「胡蝶の夢」なんていう幻想的な話もある。

 けれど流石に、これはもっと現実的な世界だろう。

 つまり二つ目の可能性しか残されていない。

 だとしても不思議なことがある。

 何故か二十八年間の記憶もちゃんと持っている。

 これは夢に見た、強くてニューゲームならぬ、賢くてニューゲームの始まりかもしれない。


「どーちたのー? おなかちゅいたの?」


 だが、これは日本語ではない。でも全然知らない言葉だ。

 その辺に書かれた文字さえも見たことがないものだらけ。

 普通に考えて英語くらいは見つけられそうなものだが、知っている文字列を一つも見つけられない。


 ということは、地球ではない可能性さえ出てしまう。

 だとすれば、さっきの言葉は訂正する必要がある。

 全然賢くなくてニューゲームというより、ただのニューゲームなのではなかろうか。


「ユーリちゃんは抱っこして欲しいのかな?」


 と、そこで母親と思われる女性から『ユーリ』という言葉が出た。

 その瞬間、彼女の記憶から過去の名前が掻き消えた。

 どういう理由かは知らないが、一つの体に二つの真名はつけられないということだろう。

 え、そんな厨二病設定なの? と少しだけ疑問には思ったが、名前を思い出せなくなったことは事実だった。


あうあうあーあぁ、暖かいうーーうーーうーーあれ、俺ってなんだっけ

「あら。おしっこ?それともうんち?」


 京の記憶はどんどん朧になっていく。かといって、消えたわけではない。

 今のユーリの脳細胞にとっては成熟しすぎているし、ユーリとして生きるには邪魔だったから、端の方に追いやられていった。


 記憶を隅に押しやった大いなる感情。

 彼はきっと前の世界でも味わった、誕生の多幸感に満ち溢れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る