第33話

 パン屋を出て、そのままショッピングモールで服を見たり、本屋に寄ったり。

 普通の高校生の男女ってこんなことをするのかなって。

 そんなことを考えながら紫咲と過ごしていると、いつの間にか夕方になっていた。

「……もう、こんな時間なのね」

 少し名残惜しそうに、駅前広場の時計を見上げた紫咲が呟く。

「もっと、遊んでいたかったのだけれど……」

「あっという間、だったね」

 僕はふんわりと笑みを浮かべて言った。

「また、いつでもこうして会えるよ」

「……そうね。陽平君は、次の週も、その次の週も、こうして私と遊んでくれる?」

 どこか悲痛さすら含んだ声で、紫咲は言った。

 とても楽しかったデートの最後に言う雰囲気ではない。

 かぁ、かぁ、とカラスが駅の建物の屋根の方で鳴いていた。

「……陽平、君?」

 縋るような目線の紫咲を見て、僕は申し訳ない気持ちになった。

 確かに、今日一日、紫咲とデートできて、僕はとても楽しかった。

 それはきっと彼女も同じだと思うし、そう考えると僕たちは理想的な高校生カップルの週末を過ごしたことになる。

 でも……。

 僕はそんな大切な「彼女」に対して、今からとても残酷な指摘をしなければならない。

「最初から違和感がなかったって言うとウソになるんだ」

 僕の言葉に、紫咲の華奢な肩が怯える小動物のようにピクリと動いた。

「まず、僕たちが付き合っている、という話についてだけど。春元会長に聞いてみたんだ。僕たちの関係はどう見えますかって。そしたら、春元会長は『息の合ったパートナー』と言っていたよ。そう。『前回』の僕たちがそうだったみたいに、ね」

「『前回』って……? 陽平君、いきなり何の話を?」

「そう、先週の木曜日の朝も、同じような反応をしていたね。とても自然な反応だ。でも、今日一日話して分かったよ。紫咲……。いや、。君が本当に『前回』以前の記憶を持っていないのだとしたら、今までの反応は明らかに不自然な点が多すぎる」

 例えば。

もし僕たちが「ループ」を経験していない普通の高校生同士だとしたら、僕は空野さんが粒あんパンが好きなことも知らないし、空野さんの私服姿を褒める機会も、そもそもなかったはずだ。

だから、僕がパン屋に入る前に空野さんが粒あんパンを好きだと言い当てた時は、もっと驚くはずだし、服装に対する僕の反応が分かりにくいことなんて、そもそも彼女は知らなかったはずなのだ。

「それは……今日の私は浮かれてたのよ……陽平君との初デートなんだから」

「本当ならそうかもしれないね。でも気付いてた? 空野さん、僕が敢えて『前回の記憶』をなかったかのように話す度に、とても悲しそうな顔をしてたよ」

 見る見る内に、空野さんの顔から血の気が失せていく。

 僕はそれを見て本当に胸が痛いのだけど、僕自身、本当に大好きな人を表に引っ張り出すまでは、退く訳にはいかなかった。

「……いつ、分かったの?」

「実は、陸上部の監査の時に佐々木先輩から聞いたんだ。僕たちは小学生の頃に出会っていたって」

「そう……。やっぱり陸上部の担当は私にすべきだったわね。朱莉から逃げた結果がこれ。……こんな形で、あなたは私を見つけてしまったのね……」

 どこかで聞き覚えのある台詞を、空野さんは本当に寂しそうに言った。

「ごめんね、今まで気づいてあげられなくて。これはだいぶズルをした気分だよ」

「ええ。遅すぎるわ……。できれば、こうなる前に気付いてほしかった……!」

 ボロボロと輝く涙となって、空野さんの気持ちが溢れてくる。

 それは、何度もループを繰り返し、耐え忍び続けた彼女の、心の垢にも見えた。

「『前回』あんなことになって! もう次にとどう接したらいいかも分からなくなってっ! それで、もう何もかもなかったことにするしかなかったのよ!」

 きっと、空野さんは「今日」を何度もやり直すつもりだったのだろう。

 火曜日になれば、神崎さんは佐々木先輩に告白して壊れてしまう。監査を積極的に自分でやろうとしたのは、そういう背景もあったと思う。

 そして、神崎さんが壊れれば、僕と空野さんは死んで、再びループする。

 事情を知らないフリをして、空野さんはまた僕と一緒に週末を過ごす。

 とても不器用な方法だけど、空野さんは一生懸命考えてこの結論を選んだのだろう。

 まさに「ゼロ」からの再出発。

 だから……。

「そんな悲しいことを言わないでよ」

 僕は彼女の考え付いたこのやり方を否定する。

「ゼロよりも、今までの蓄積があった方が、お互いに情報が増えていいでしょ」

「え……? でも、私は黒田君を殺して……」

「あれは僕が悪かったよ、確かに」

 春元会長が僕のことを「女の敵」と断じたように。

「前回」の僕は、空野さんを生き延びさせたいが為に、不誠実になり過ぎた。

「本当に、佐々木先輩に言われるまで、僕は空野さんのことを『見つける』ことができてなかった。それで他の女の子と付き合い始めちゃうんだから、刺されて当然だよ」

「で、でも、私は……!」

 なおも何か言いたげな空野さんの唇を指で塞ぐ。

 これ以上の言葉を、今は語らせる必要はない。

 目を見開いた空野さんに、僕は囁いた。

「最初に言ってくれたよね。何回かかっても生き残りたいって。もう一度、原点に返って二人で頑張ってみようよ。……って原点に帰っちゃゼロと同じか」

「私を……許してくれるの?」

「当たり前だよ。このループを抜け出して、生き延びるためには空野さんの協力が必要なんだからさ」

「そう……」

 わずかな逡巡の後に、空野さんは顔を上げた。

 もう、その瞳に躊躇いや後ろ暗い感情の色は見て取れない。

「分かったわ。いったん私たちの恋人関係は解消しましょう」

「空野さん……」

 そう言われると、少し寂しい気持ちになるのも事実だ。

 僕はこの三日ほど一緒に過ごした「紫咲」という人生初めての彼女に対しても、情がわきはじめていた。

 それでも……。

「うん、分かった」

「空野さん」という唯一無二のパートナーがこの世界に帰ってきてくれた。

 その事実は「紫咲」との別れによる寂しさを補って余りある興奮を、僕に与えてくれる。

「それでね。このループが終わったら、きっともう一度あなたから告白して。私の恋を叶えてほしいの」

「なんか死亡フラグみたいになってるけど……」

「何度死んでも叶えてやる。その意思表示だと取ってもらって構わないわ」

「愛が重すぎる! でも……」

 僕のことが大好きで、僕が夢中になってた女の子、空野紫咲はそういうヒロインだった。

「でも、今度は絶対、最後まで守り切るよ、紫咲」

「ちょ、いきなり名前で呼ばないでよ……」

 冷静沈着に見えるけど不意打ちに弱くて。

「あと、それも死亡フラグみたいよ」

 意外と軽口が多くてちょっぴり毒舌で。

「……そして、ごめんなさい」

 いつも一番大切な部分を背負い込もうとする、ズルくて損な役回りの負けヒロインだ。

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