第28話
僕と一緒に何度もループしていた空野さんと、今朝僕と登校した「紫咲」という女の子。
彼女たちは確かに同じ容姿で、同じ名前だけど、果たして両者を同一人物なのだろうか。
倫理社会の授業で出てきそうな髭モジャな「哲学者」たちなら、そんな難しい問いにも答えることができるのかもしれないけど。
生憎、僕の近くにはそんな難しい顔をした人はいない。
午前中の授業は、壁を挟んで隣の教室にいるであろう「紫咲」……いや、空野さんのことを考えていたら、いつの間にか昼休みになっていた。もちろん、先生がどんな授業をしていたかなんて全く覚えていない。
……ひどい不良生徒だ。
「あーしさぁ、犯人はクロダだと思うんだよねー」
昼食を買いに行くこともせずに、ぼんやりしていると席の後ろから湯田さんの声が聞こえてきて、僕は思わずびくりとした。
「ムラサキ死んだ時にさ、あいつだけ明らかに反応が薄かったって言うかさぁ……」
続く湯田さんのどこか緊迫した声に、僕は口の中が渇いていくのを感じて振り返った。
「あー、確かに村崎君が刺された時、黒田さんは落ち着いてたよね。でも、あれって驚いているからこそ、反応できなかったっていう解釈だと私は思ってたんだけどねぇ。ま、ミステリードラマあるあるの展開だよね」
「ま、フィクションなんてどうとでも演出できるしな……」
だけど、僕が振り返った時には湯田さんはいつもの鼻にかかったような気だるげな声と共に、椅子にもたれかかった所だった。
どうやら、神崎さんといつものようにドラマの話をしていただけらしい。
僕も全身の力が抜けるのを感じながら安堵の息を漏らすと、湯田さんと目が合った。
「あんだよ、クルタ」
「黒田君だよ。もう、クラスメイトの苗字くらい覚えようよ、なっちゃん……」
振り返った神崎さんがパン、と手を叩いた。
「そっか、黒田君だから反応しちゃったんだよ。ごめんね、黒田君。私たち、ドラマの話してたんだ。黒田君知ってる? 水曜日夜にやってる『殺人ループ』ってドラマなんだけど……」
「おい、朱莉。そんなやつに話しかけなくたっていいだろ」
「あ……! ごめんね、黒田君。ドラマとか興味なかったよね」
たはは、と苦笑めいた表情を最後に、神崎さんは再び僕に背中を向けてしまった。
「前回」の彼女と仲良くなったことを考えると、妙な寂しさを感じかけた。
僕は思考を切り替える様に席を立つ。学食で昼ご飯を食べてこよう。お腹が空いていると思考もまとまらない。
教室を出た僕を、昼休みの束の間の解放感が包み込む。
みんな、この校舎内で殺人事件が起きるとは思ってもいないだろう。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、どうしても僕は今朝目覚める直前に体験した一連の出来事のことを思い出さずにはいられない。
痛みはやはり感じることもなかった。恐らく即死だったのか、もしくはショックで気を失っている内に死んだのだろう。
それよりも気にかかる事は、やはり空野さんの事だった。
「今回」の「紫咲」は「前回」までの出来事を覚えている様子はなかった。
ということは、僕が知っていた空野さんは「前回」死ぬことはなく、あのまま「前回」の世界を生き続けたということになる。
ようやくループの外に出る事ができた空野さんだけど、彼女がその後どんな気持ちで生きていくのか、もしくは人生を消費していくのか。
それを考えると、どうしても胸の内が暗くなるのを抑えられなかった。
「……今回はどうなるんだろうな」
食堂に到着した僕は、券売機の列に並びながらぼんやりと呟いた。
もう一つ気になるのは「今回」の世界での神崎さんと佐々木先輩の関係だ。
何度もループを繰り返した空野さんがループから抜け出したとはいっても、神崎さんの片想いも、佐々木先輩が一方的に空野さんに惚れている事実も何も解決できてない。
いや、だけど「今回」のループでは僕と「紫咲」が付き合っていることになっている。
だとすれば、あるいは佐々木先輩の気持ちも神崎さんの方に向かってくれるかもしれない……。
でも、僕と「紫咲」の関係がどこまで進んでいるのか、僕には全く把握できていない。
僕には、欠落した「紫咲」との想い出を埋める必要があった。
「……黒田君?」
今度こそ正真正銘、自分の名前を呼ぶ声だった。
「やあ、奇遇だね」
僕が顔を上げると、カレーうどんを盆にのせた春元会長が立っている。
「良かったら一緒に食べるかい?」
いつもの穏やかな笑みを浮かべた春元会長に、僕はどこか救われたような気がした。
「ええ、ぜひご一緒させてください!」
いつの間にか空野さんと付き合っていることになっている「今回」の僕は、春元会長から聞き出したいこともたくさんある。
僕は唐揚げ定食の食券を買い、受取口へ向かった。
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