負けヒロイン改竄ループ

メンヘライⅢ

プロローグ 1周目

第1話 

「ありがとう、神崎さん。……でも、すまん。君とは付き合えない」

「え……」

 その瞬間、彼女の瞳に溜まり始めた涙の輝きほど尊いものはない。

 僕、黒田陽平は胸の高ぶりを押し殺すために、生唾を呑み込んだ。

「実は……他に好きな人が最近できてな。君の気持ちは嬉しいけど、今はその子のことで頭がいっぱいで……」

「そ、そんな……」

 日の落ちたグラウンドでぼそぼそと話す男子生徒の声と、時折すすり泣くような声。

 もうとっくに他の生徒たちは帰宅してしまったのだろう。

 かくいう僕だって、うっかり生徒会の予算メモを先ほど視察に訪れた運動部のクラブルームに取りに戻ってきただけだった。

「じゃ、俺は行くよ。……ほら、俺なんかよりもっといい男、たくさんいるだろうしあまり気にするなよ。俺は君とこれからも同じ陸上部同士、頑張りたいしさ」

 男としての罪悪感なのか、先輩としての気遣いなのか。

 男子生徒はそんな毒にも薬にもならない言葉を残して、のっそりと立ち去った。

「……どうして」

 取り残された女子生徒……神崎朱莉(かんざきあかり)がその場で崩れる。

「どうして、私じゃダメなのよぉぉぉ……!」

 僕はそんな「悲劇のヒロイン」が泣き崩れる姿を見て……。

 どうしようもなく昂った。

 選ばれない者の苦しみ。

 それは僕自身も痛い程分かっていて、切なさを感じるほど尊いものだ。

 落ち着け、僕……。

 僕はもはや身体を突き破って飛び出してきそうな心臓を抑えつつ、必死に言い聞かす。

 今、神崎さんはとても傷ついている。

 そこに僕のような無関係なクラスメイトが現れた所で何の救いもない。救うつもりもない。

 だけど……。

「美しい……」

 思わず漏れ出た言葉を僕は隠すこともできなかった。

 恋に破れた少女の涙。

 いわゆる「負けヒロイン」の恋が破れる瞬間の涙。

 それ以上に純粋で真っすぐで真実みを含むモノが、この世にあるだろうか。

 今、泣き崩れる神崎朱莉はとても美しい。

 普段、快活に女子と話す彼女も、勝気に男子へ指示を飛ばす彼女も魅力的だけど、今この瞬間だけは神崎さんこそが世界中の誰よりも美しいヒロインに見える。

 そう、負けヒロインが涙を流すその姿に、僕は昂りを抑えられないという歪んだ性癖を持っているのだ。

 もちろん、アニメやラノベでそういったヒロインを愛でることは何度だってしてきた。

 クラスの女子がコイバナしているのに聞き耳を立て、叶わぬ恋をしている女子を密かに応援してみたりもした。

 だけど、こうして現実で女子が、それも普段の素顔を知る神崎さんのような女の子が恋破れる瞬間を見れるとは……!

 同級生の裸を見るよりも刺激的な体験に、僕はほとんど理性を失っていた。

「神崎さん……」

 うわごとのように彼女の名前を呼び、僕はふらふらと彼女の背後の物陰からつり出される。

 彼女は今、どんな気持ちだろうか。

 その生の声(きもち)を聞きたい。

 彼女はどんな瞳をしているだろうか。

 その涙を拭きとって味わってみたい。

「神崎さん……!」

 気付けば僕は崩れ落ちた神崎さんのすぐ後ろで大声を上げていた。

 丸まった背中がびくりと震え、彼女が弾かれたように振り返る。

 そのあまりの勢いに、僕は彼女の首がもげるのではないかと変な心配をした。

「黒田、くん……?」

 涙に濡れて真っ赤になった瞳が、グラウンドに灯り始めた照明の輝きを反射する。

 その爛々と輝く瞳は幻想的で儚く、暴力的でおぞましい。

「どうして、黒田君がいるの……」

 まるで金縛りにあったように、僕は言葉を失っていた。本当は、ここに立っているのが僕なんかでは役者が足りてないだろう。それは申し訳ない。

 それでも、僕は自分を抑えられないほどに、恋に破れた直後の神崎さんに魅入られていた。

 そして……そんな僕とは対照的に、ぬらりと神崎さんは立ち上がり、ゆっくりと棒立ちの僕へと手を伸ばす。

「ねぇ、もしかして、見てた……?」

 ああ。恋に破れた少女はこうして壊れるのか。

 狂気を宿し始めた瞳の輝きに魅入られながら、僕は神崎さんに押し倒される。

「無様だって思ったでしょ? 思ったよね?」

 美しくこそあれ、無様なはずはない。

 そう言おうとしたけど、僕の声からは掠れた空気音が鳴るだけで。

 喉元が、全身が熱く苦しい。

 そこで、僕は理性を失っているのが自分だけではないことに気付いた。

「絶対、許さないから。今日のわたしのこと、言いふらしたら許さないから。だってわたしは……負けるはずなんてないんだから……!」

 そうか。恋に負けた少女に、僕は殺されるのか。

 焼き切れそうな思考の中で、僕はそう思う。

「だから……。今日の事はなかったの。黒田君も、そう言うはずだよね……?」


 九月十日火曜日午後六時十二分。

 こうして、僕はわずか十六年の人生を終えることとなる。


 なるはずだった。

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