㉑ あなたへつなぐ運命の青い糸

 アンジュは私の長い髪をゆるりと頭にまとめ上げ、白ユリの飾りを添えてくれた。


「白のお花はユニ様のキレイな髪に映えますから」


 なんて、心から言ってくれるのが嬉しい。

 私は白いアクセサリーを身に着けるのは苦手。でも、ラスとアンジュの勧めてくれるものは安心できる。



 ここ数日は鏡を覗くたび、ダインスレイヴ様のことを考えてしまう自分がいた。


 彼はこの髪をどう見ているのかしら。

 もしかしたらこの色がどうというより、これに囚われている鬱屈した私の情緒を、煩わしく思われているのかも。だって彼は大らかでまっすぐで、ざっくばらんなご気性の、私とは正反対の……太陽のような人だもの。


「ここが大浴場の入り口……」


 凝った石細工で装飾される扉の両側には、女神と天使の像の彫刻。両サイドの侍女が同じタイミングで扉を開ける。

 

 アンジュは両手をぐっと握って、赤らめ顔で私を送り出してくれた。




 中へ踏み出すと、ほわっと湯気が吹かれてゆく。高いところにある通気口はツタ植物の模様だ。細部まで工匠のこだわりを感じる。


 視界がひらけたら、目の前に広がるのは大理石で覆われる壮観の浴場……広々として、湖みたい。私は湖も絵画でしか見たことないのだけど。


 何から何まで初めてのことなので、侍女に浴場における基本的なことを尋ねてきた。湯舟の手前であるここは「洗い場」と言って、最初に湯をかけるのが儀礼なのだそう。……ん? バシャバシャーって──


「ダインスレイヴ様……」


 高いところから、やはり絵画で見たような滝の水が落ちてきている。それを全身に受け、びしょ濡れの彼であった。


『ユニヴェール!』

 振り向く彼に弾かれた水滴が、チカチカと瞬く。


 亜麻布あまぬので腰周りを巻いている彼。着衣はそれだけで、武芸で磨かれた腹筋と上腕二頭筋を惜しみなく披露されている。まるで神話に出てくる無敗の英雄のよう。


 私に気付いた彼はパレオから覗く確かな足取りで寄ってきた。


『私も湯舟に浸かる前に、滝に打たれたほうがいいですよね?』

『いや、早く浸かろう』


 そう言って私の手を握る。彼もずいぶん上調子で、行動が性急だ。私は、やっぱりこんなの、緊張するのだけど──。


『ここは段差がないから、滑って転ぶのだけ注意してくれ』


 くるぶしが湯に浸かった。


『海辺仕様にしてあるからな。さざ波が打つことはないが』


 滑らないように少しずつ、手を引かれて深みにってゆく。


 そろそろ腰まで浸かるというのに……大浴場はバスタブと違って腰を据えないものなのかしら。


 この時、私の手を固く握ったダインスレイヴ様が立ち止まり、私の方に向いた。

 本当に引き締まったお身体ね……。


「あ、あら?」

 まだ入浴して間もないというのに、頭がクラクラしてきた……いつものお風呂より、身体が火照って……これも大浴場の効果なの?


「あ……」

『おっと』


 足の力を失って彼の胸に倒れこんでしまった。


『ご、ごめんなさい……あっ』


 とっさに離れようとしたら、片腕で寄せつけられて。胸が目の前に……なんだか……


 彼の腕の中で、酔ったような感覚に……


『酔ってきたか? 見た目によらず君は酒に弱いんだな』


 どうしよう、胸が、ばくばくいってる……私、どうなってしまうの? というか、見た目によらずってどういう意味ですか……。ん?


『待ってください……酒??』


 私はハッとして、両手で彼の胸を押し出し、背筋を伸ばした。そして右に左に頭を振って、湯船の湯を、目を凝らして見つめてみた。


 ここまで、大理石の豪華さに気を取られ気付かずにいたけれど。


『このお湯……お湯ではなくて、白ワイン!?』

『ああ』


 そんな、あっけらかんと……。

 じゃあ、これはワイン風呂!? そんなの初めてだわ!


 だからなのね、香りもかすかに芳醇で。


 身体がどんどんのぼせ上って、本当に私、どうにかなってしまう……?


『ユニヴェール、私は夜が明けたら北方に出立する』

『え……?』


 その落ち着いた声に、嫌な予感が背を走った。


 この方は王子であることよりも、将軍という立場にご自身を重く置く。まだ出会って日は浅いけれど、私は彼の信念を充分に思い知った。

 だから、彼の言う出立というのは。


『エリヴァーガルとの小競り合いなど、近年はままあることなんだ。だから今度のもそう深刻な紛争ではない』


 例の事件で面子を潰されたとする敵国の、ガス抜きのための強襲を、海岸線で食い止めるための出兵だという。


『密偵の遺体とはいえ、祖国に帰してやりたいと思うだろう? こちらとしては一筆添えて丁重にお返ししたつもりだが、宣戦布告としか受け取られないんだよな』


 女王へ……手紙を?


 ううん……、密偵を暴き、正当防衛とはいえあの顛末だ。向こうには攻め入るのに十分な大義名分を与えてしまった。


 私はワインに浸かっているというのに、血の気が失せるような感覚を得た。


 うつむいた私を、彼は訝し気にのぞき込む。


『どうした? 気分でも』


 この不安を打ち明けてもいいかしら……。


『あなたが心配です。戦地に赴くことは、あなたにとって日常茶飯事かもしれないけれど。妻の私は、慣れなくてはいけないことなのでしょうけど……』


 そんな、失礼にも、弱気で私本位な発言に。

 彼は一呼吸おいて、こうこぼすのだった。


『正直に言ってしまえば、私だって怖いんだ戦場は』


『え?』

 いつも堂々と、前線へでも奮って飛び込んでいく方だと想像していた。


『どんな勇将でも、そんな瞬間はある。葛藤もある。戦の理由なんて元を辿れば分からない。しかし上に立つ私が怯えていたら示しがつかないし、殺さなければ殺されてしまう。人の命を奪うのも恐ろしいが、何より自分の命が惜しい』


 そうね、男であっても怖いものは怖いでしょう。同じ人間だもの。

 この人は幻獣ではなくて、こんなに確かな温もりのある“人”であって……。


『特に、君を娶った今は、遠くで死ぬわけにいかないからな』


『今まであなたが独り身でいらしたのは……』


『いつ死んでもいいように身軽でいたかった。妻を娶ったらいつも一緒にいたくなってしまう』


『他の王家の方々は、まず戦場に出ることなどないですのに』


『死ぬのは怖いが、城で政務をこなすよりは外に出るほうが性に合っててさ。そして外に出れば出るほど、このままではいけないって思いが募るんだよ。この世の中を平和たいらにしたいって』


『だからノルンの壁を壊したんですね』


 そんな思い切ったこと、もしかしてこの方の独断ではないかしら。


『ああ。だから責任取って、ウルズからの花嫁を引き受けようと思ったんだ』


 まったく、律儀な人ね。


『でもさ、聖堂の祭壇前で君のヴェールを上げた時、“ああ俺、引き当てた!”って……』


 ん? 引き当て、た?


 ちょっと喋りすぎたか、と焦った表情かおをする彼。凛々しいお顔立ちがほころぶと、狼というより人懐こい犬のようにも見えてくる。


『君のこの、マドンナ・ブルーの髪を目にして……』


 この瞬間、私の額にかかる髪にそっとキスをして、彼は言葉を続けた。


『君は私に、この先絶えず勝利をもたらそうと遣わされた、ルリジサの花の精なんだろうな、と』


 …………?


『マドンナ・ブルー? なんですかそれは。ルリジサって……』


 それは、あなたが私に与えた名前……。


『別名ボリジという、ハーブの一種だ。君の髪の色と同じ色の花を咲かせるんだよ。宗教画家らはその花から青の染料を作り、聖母の衣装を塗る』


『聖母の……』


『だからこの色はマドンナ・ブルーと呼ばれ、貴ばれているんだ』


 この色が? 嘘でしょう?

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