⑨ 急にチャラ男が出てきた!?

 王城に併設された王立学院は、広大な敷地内に石造りの校舎が整然と立ち並び、まるで遠き日より栄えし、ひとつの町のようだ。


 建設物の細部装飾は多彩で多様、ひととき眺めれば連綿と続く国の美術史に浸ることもできる。仰々しい正門から教務棟へ案内される途中に散見された、庭の花壇も美しく手入れされており、快い春の香りを漂わせていた。


 緊張する。初出勤だからというだけではなくて。


 今朝、アンジュに長い髪をかっちり結ってもらった。それでもこの髪色を見た初対面の人々は、どんな反応をするだろう。


 昨夜ダインスレイヴ様と寄り添ったひと時は、きっと特別だった。髪も強張った顔も、何も意識せず過ごせた瞬間が私には……心に柔らかな風の吹く仕合せだった。


 あれが一時の夢でなくて、ただ当たり前の日常であればいいのに……。



 胸元で拳を握り息を整え、私は指示された人物の、部屋の扉を叩く。


『あらあらまぁまぁ!』


 高らかな声で迎えられた。教師はこのくらい通る声でないといけないかしら。


『お初にお目にかかりますわ。第三王子殿下のお妃ユニヴェール様。私はこちらで主任を務めております、マルグレット・ネレムです』


 この上なく上品な一礼の後、上げた尊顔からは貫禄のある眼差し。壮年の麗しい女性であった。


『この学院であなた様を王子妃と知るのは、私と学院長だけでございます。学院長はめったに姿を現しませんので実質、私だけですわね。あなた様の素性は明かさないよう厳命されておりますので、学院内こちらであなた様とは、他の教員と同様に接するつもりでおりますが……』


『構いません。私はこの学院でただの、一新米教師です。どうぞそのように、おあしらいくださいませ』


 マルグレット先生はにこりと微笑んだ。


 私はこのたび、王子妃の従者としてやってきたひとり、という建前で就任する。


『あなたの担当するクラスはたった一週間前に編成されたばかり。選抜試験を突破した、とりわけ優秀な約30名の生徒が在籍するそれなのよ。年齢層は8歳から17……あ、いいえ、25歳までの、いずれも上流階級の家の子女です』


『? それはずいぶんレンジがありますね、ひとつのクラスに……』

『心配しないで。だいたいは13から16歳ですから』


 やっぱり不安だな。私自身、学校に通ったことないのに、若者を指導するなんて──。




**


『──というわけで、私がこのクラスを担当することになった、ユニ……ルリ=ジサです』


 教室に踏み入れ教壇に立ったら、黒板に大きく名を記し声を張り上げた。しかし……


 し──ん……としてしまった。


 やっぱりみんな、私の髪に引いてしまったのかな。どうしよう。怖がらせないよう友好的に振る舞いたいのに、笑顔が作れない。こんなしかめっ面でよろしくもなにもないわ。


 なら会話を交わして……、こういう時には預かった名簿ね。

 慌ててぺらぺらとめくってみる。


『え、えっと、じゃあ男子学級委員の……オールマルクス君から自己紹介してもらおうかな』


 生徒に自身のことを話してもらって。早く名前を覚えて顔も一致させなくては。


『はい! 僕です』


 ぴっと指先まで伸びた挙手の後、良い姿勢で立ち上がった男子生徒は、凛々しい顔立ちの好青年だ。


『ルリ先生、お初にお目にかかります。僕はオールマルクス侯爵家次男ブラギ、17歳です』


 私は彼に寄っていき、握手をしようと手を出そうとした。すると彼は息を大きく吸い込み──


「キミかわウィィ──ネエ!!」


「はいぃっ!?」


 私は右手を出したまま固まった。


 そんな私の固まりをよそに、クラスの生徒たちはざわめいている。“勇者だ!”“期待の星だ!”と声援が送られている。


『どうですか? 僕のウルズ語。このクラスを志望してから慌てて学習を始めたのですが、発音の仕方が分かりませんので、先生に伝わっているかどうか自信がありません』


 彼は白い頬を少々赤く染め、こう述べた。


『えっと、発音の是非の前に……何が言いたかったのでしょうか……』


『あれ。やっぱり通じませんでしたか。教科書に、初対面のレディにはこう挨拶するようあったので、一週間かけて練習してきたのですが』


『教科書? 見せていただけるかしら』


 想定外に度肝を抜かれたので、事と次第によってはその教科書を許しません……。



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