① いわくの髪色

「それでは、私は仕事場に戻る」


 謁見の間を退き数歩踏み出したら、父はこちらを見ず言い捨て、さっさと行ってしまった。これが父との、今生の別れとなろう。


 その背に向かいごく小さな声で、サヨナラと一言つぶやいた。


 ふぅと冷たいため息をつき、私はここで、壁に掛かる大きな鏡に気付く。謁見の間へ入る前に、身なりを整えるための姿見か。


────今日は珍しく着飾ってみたけれど、悲しいほどに陰気な女ね。


 それは、この奇抜な群青の髪のせい。子どもの頃から日夜、切望しながら鏡を覗いても、髪色が木の葉のごとく移り変わることはなかった。


 この陰鬱な髪色が、私の運命を定めた。生母を悲運へと導いた──私が。


 もう母の顔を思い出せない。彼女は私が3つの頃に侯爵家わがやから追放され、どこぞの修道院に入ったということだ。とうの昔に生死不明。


 私を産んだせいで。


 この国の人々は、髪の色を大別すると、金、ブラウン、灰、若草……いずれも淡いカラーという人種だ。


 私の生まれ落ちた瞬間、多くの侍女らは肝を冷やした。赤ん坊のふさふさした髪が、星の瞬きひとつない暗黒夜空の色をしていたのだから。


 こんな髪の色、父にも、祖父母にも、曾祖父母にも有りえない。したがって母は不貞からの懐妊を疑われ、それから3年の時を謹慎して過ごす。仕舞いには、離縁、追放。


 昔いた侍女が言っていた。出産直後、母の、私を見ての第一声は「まぁ、かわいい」だったと。母の私への、愛情のハイライトは産み落としたその日であっただろう。


 母親と引き離された幼い私も、この家で暮らせはしたが、ほぼ隠ぺい状態の娘だった。

 ただの不貞の子、ではなくて。というより、不貞がどうとかまったく可笑しなことだ。だって証拠がない。あるわけがない。この屋敷にこの髪色の者が出入りするなど一切ないし、そもそもこの国にそのような人間、存在しない。架空の人物と子をもうけたとでもいうのか?

 不貞だなんだはただの“方便”。


 私は「呪われた子」であった。この髪色は、国の成り立ちより囁かれる逸話において、忌まわしき言い伝えのあるそれだった。




***


「そんな昔のおとぎ話、気にする必要ありませんよ!」


 私付きのメイド、アンジュが髪を丁寧に梳かしながら慰めてくれる。


 今は自室に戻ってきていて、私は早々、謁見のためにあつらえた衣装を脱ぎ捨てた。


「おとぎ話と言っても、私がこれから嫁ぐスクルド国との、悪縁を示唆している言い伝えよ」


「どうぞ、ユニ様」

「いつも美味しい紅茶をありがとう、ラス」


 私付きの執事、サーベラスが用意してくれるティーカップは、いつも縁模様が華やか。

 狭苦しいこの部屋をほんのり明らめてくれる。


「大陸の北方と南方をそれぞれ司る風の精霊が、ひとりの美しい乙女に恋をし、仲違いした。以後この大陸に生けるものは南北ふたつに分かれ、いがみ合う運命となった、という言い伝えですね」


「精霊のいさかいに巻き込まれ、乙女の桃色の髪が群青色に変化した……でしたっけ。いったい何が起こって髪の色が変わっちゃったんでしょうね!?」


 アンジュは栗毛のポニーテールを揺らし、会話の最中にもいちばん効率的なルートで仕事を片付けていく。可愛らしい容姿・仕草からは想像できない、職業人意識の塊だ。


 3歳当時の私に与えられたこの部屋は、邸宅3階の角で窓がない。

 調度品も最低限、侯爵家当主長女の住まいとはとても思えない、質素な空間……。


 だけどここに押し込められてもう25年、これが平常。寝て食事をとるだけの部屋だ。そう、食事はここで。


 私に食堂で食事する権利はない。後妻としてやってきた義母と、何人いるかも分からない弟妹らがいる。私がのこのこ出ていっても邪魔なだけ。


「戦争、停戦を繰り返し、徒労の淵にいた南北の国はこの100年、完全に断交状態。しかし大陸にただふたつの隣り合った両国、ふとしたきっかけにより、とうとう和平へ乗り出した、か……」


 サーベラスは器用な手先で花瓶のガーベラを整える。

 彼の気遣いのおかげで私の日常は十分に心地よい。

 アッシュブロンドの直毛を後ろできちっとまとめ、徹底して涼し気な風貌、洗練された身のこなしの彼からは、心の温かさがにじみ出る。普段のクールな態度は照れ隠しのように思う。


「今回で不毛な腐れ縁にピリオドを打ちたい、両国の切なる思いね」


「よってユニ様が架け橋となるべくお輿入れされることに……。しかし協定が結ばれたとはいえ、危険であることに変わりありません」


「ラスさん、やきもち厳禁ですよぉ」

「やきもちじゃない! 私は心の底からユニ様が心配で……いや、ユニ様! どこであろうとも、私が必ずやあなたをお守りいたします! スクルド国の者と刺し違えてでも、あなただけはっ……」


 サーベラスは22歳、アンジュは20歳、それぞれ子爵家、男爵家出の子女。


「ありがとう、あなたたちが付いてきてくれるのが心強いわ」


 私の従者はこのふたりしかいない。だけど、ふたりとも10年以上の付き合いで家族同然の親しみを感じている。数少ない、私の大切な宝物。


「ただね、私なんかがスクルド国王家でやっていけるのかしら。すぐに役立たずの烙印を押され送り返されてしまうかも。私はこの屋敷でいない者として扱われてきたから、淑女教育なんてこれっぽっちも受けてこなかったもの……」


「何をおっしゃいますか。あなたほど聡明で理知的なご令嬢はふたりとしていない!」

「そうですよ。ユニ様ならきっと隣国の王子様もメロメロのキュンキュンになってしまいます。……はっ、ラスさんから殺気が! どうどう」


「“めろめろ”の“きゅんきゅん”? またアンジュは聞き慣れない言葉を使っているのね。どういう意味なのかしら?」


 私は日頃、会話を交わす相手が限られているから……社交術の基本すらできていない。できる限り指南書で調べ学んでいるのだけど、今の時勢に適った自国の文化・風俗を理解しないまま国を出たら、きっと恥をかく。


「アンジュ! またユニ様のお耳にしょうもない言葉を入れるな!」

「生きたウルズ語ですよぉ」

「ラス、いいのよ。アンジュ、隣国行きの馬車の中で、その生きたウルズ語を教えてちょうだい」

「はいっ」


「そうよね、机上の学習しかできていない私が、ここにきて政略の駒だなんて……。こんなお役目、荷が勝ちすぎるわ」


「「ユニ様……」」


 苦悶する私の背を、ふたりは無言で撫でてくれていた。


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