5-3 今夜はトコトン呑む
「ふざけるな!」
彼女はチューハイのコップをテーブルに叩き付けると、椅子を蹴立てて立ち上がっていた。
あまりの怒声に、騒がしかった店内が一瞬で静かになった。
店員や客の皆もそうだが、相対していたあたしの方がもっと驚いていた。
彼女がここまで感情を露わにしたのを初めて見たからだ。
「あんたらはいつだってそうだ。なんでもっと生き足掻かない。
もっと生きたいって、なんで考えない。
『もういい』だの『これで充分』だの、上から目線でホザいてんじゃねーよ。
したり顔で偉そうに達観しきった説教垂れやがって、何処の怪しい教祖さまだ。
見てくれ若いが、てめーら皆中身はよぼよぼのしおれきった腐れロートルだ。
カビの生えた発酵食品だ。
判ってんのかこの
一気呵成の啖呵であった。
あたしは呆気にとられてジョッキ片手に固まったままだった。
「あの、お客様。何か至らぬ点がございましたか」
不安げな男性店員が声を掛けてきて、そこでようやく彼女も我に返りストンと席に腰を下ろした。
あたしが苦笑交じりに言い訳をする。
「騒がせてごめんなさい。ちょっと議論でエキサイトしちゃって」
ナマをもう一つ頼むと彼女はお冷やを頼み、店員は少し安堵した様子で引き下がっていった。
「派手に酔ったわね」
しばらくトイレに籠もっていた彼女だったが、店の外で少し待っていると直ぐに出てきた。
顔色は未だ少し青い感じではあったものの、足取りはしっかりしていたから問題はあるまい。
「会計はもう済ませたから」
「すいません、みっともないところを見せてしまって。幾らだったのですか、全部持ちます」
「いいわよもう。酔っ払いの銭勘定ほど怪しいモノは無いんだから」
「じゃあ後で精算します。レシートを下さい」
「良いつってんのに」
更に食い下がるモノだから折れて手渡してやった。
「正直、あたし等の行く末に気を揉んでたらこの仕事やってらんないよ。
その二件だって初めての体験じゃなかったろうに。
辛いって言うのなら、別の仕事を見つけることをお薦めするね」
「守秘義務にがんじがらめにされますけどね」
「それは今も変わらないじゃない」
「仕事は続けますよ。
私が辞めた所で何かが変わる訳でもないし、替わりの誰かが同じ事をするだけですから。
邑﨑さんは何故今の仕事を?
本気で自由に為りたいというのなら、唯々諾々と従う必要は無いでしょうに」
「ああもう蒸し返すのは止めて」
「そうではありません。目標というか自分に課したモノというか、そういうものが在るのかと思ったものですから」
「取り敢えずビールはもう少し飲みたいかな」
「まだ呑むつもりですか。いえ、そう云うことではなくてですね」
「たぶん明日訊いても同じ返答だと思うよ。
あなたも含めて皆一緒なんじゃない?
今この瞬間をやることで精一杯でしょ。
先の事は分からないわ。
目標と云えばそうねぇ、取り敢えずはこの手首のカウンターをゼロにする事かな。
他の同類がどう考えているかは知らないけれど、きっと似たようなもんだよ。
長老だって割とソレで満足してたんじゃない?」
「そんな理由で」
「サラリーマンが必死に貯金するのと変わらないわよ。ただの数字だけれども目標くらいにはなるでしょう。死ぬのはいつだって出来るのだし」
「お金が無いと私たちは生きていけませんよ、ゲームのスコアじゃないんですから。それに守るものが在るのと無いのとじゃあ大違いです」
「ちょっと前にも似たようなこと言われたわね。誰から云われたんだっけ」
「やっぱり色々と投げてますよね」
「長く生きていると憶えてなきゃ為らないことが増えてくるの。咄嗟に出てこなくなってくるのよ」
「老化現象でしょう、単純に」
「言ってくれる」
ちょうど其処で呼んでいたタクシーが来たので彼女はそれに乗った。
「一緒に乗っていかないのですか」
「もう一軒寄ってから帰るわ」
「お金も無いでしょうに」
「今はあるわよ」
「お好きになさって下さい。でも最後に一言、コレだけでは云って置きたいのです」
「なに」
「中身は男のクセに、JKのふりして女言葉まで使って。気色悪いったらねぇよ」
「・・・・ホントに言ってくれるわね」
彼女はにっこりと微笑むと軽く手を振り、ドアが閉まった。
タクシーのテールランプを見送りながらやれやれと溜息をつく。
「もう克彦だった頃よりも、今のこの姿の方が長いんだけれどねぇ」
あんなぐだぐだの受け答えで良かったのだろうか。
彼女はお望みの答えを得る事が出来たのか。
しかしだからと云って別の回答をしろと言われても困る。
まるで思いつかないからだ。
別れ際の表情に昼間の時のような険や陰りは無かった。
ウサを多少でも払拭出来たのなら何より。
あとどう納得するか、それはもう彼女自身の問題である。
「お互い因果な仕事だよな」
そう呟いたところで初めて、彼女の名前を知らない事に気が付いた。
制服姿の時には名札は付けていたはずだ。
何故その時に確認しておかなかったのだろう。
いやそもそも本当に付けていたのか?
ちょっとだけ真面目に考えたのだがどうしても思い出せない。
脳裏で老人という単語と、想像の彼女がせせら笑っている。
焦りでじわりと額に汗が滲んできた。
いやいやこれは単純に迂闊であったというだけで、歳をとったせいなどではない。
断じて、だ。
暗がりの何処かでにゃあと猫の鳴く声が聞こえた。
「デコピン付き合え。今夜はトコトン呑むぞ」
返答を待たず相棒が付いて来ているかどうかも確かめず、あたしは次のネオンを目指して突き進んだ。
繁華街の喧噪はまだ当分静まりそうにも無かった。
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