5-2 「自由になりたいからよ」

「不要な物を買うはずないじゃない」


「私が指定したものは使わないということ?」


「要らないわ。誰か他の欲しいという方にあげて」


「何故」


「普通の人間は気付きにくいけれど、臭いというのは皆が思っている以上に奥が深く、裾野も広いの。

 アレの鼻も相当利く。あたしら駆除担当者ほどじゃないけどね。

 除臭というのは抜けも多くて不安があるし、徹底しようとするとかなりの手間を必要とする。

 付着する物は少なければ少ないほど良い。

 全身防護服という手もあるけれど、アレって五感全部が鈍くなるから余り好きじゃ無いわ。

 咄嗟の反応が悪くなってしまうし」


「そうですか」


「良かったじゃない、購入予定の半分をあたしに負担させることが出来て。一〇〇パー目的達成とは云えないけれど悪くない戦果よね」


「そうですね」


「じゃあこれで。赴任地への備品発送の方はよろしく」


「はい」


 軍資金は随分と減ってしまったが数日分の飲み代くらいは確保している。

 主に部屋飲み用だけれども。


 今夜は豪勢にと思っていたのに本当にやれやれだ。


 そうやって販売所から出ようとしたところで彼女から呼び止められた。

 怪訝に思って振り返れば、これから少し時間は有るかと聞いてくる。


「あたしこれから飲みに行きたいのだけれど」


「私が奢ると言えばどうですか。今は兎も角、徴収日以降懐具合はかなり怪しくなるのでしょう?」


 しばらくの間迷ったが奢りの魅惑には逆らえず、気が付けば承諾していた。


 そして彼女がやって来た本当の目的はこれだったのだな、と思い至った。




 彼女は制服を着替え、私服であたしの対面の席に座っていた。


 公私のけじめを付けるという事らしいが生真面目なものだ。

 そもそも昼間の販売所でのやり取りだって、職場外での業務なのだから制服でなくとも良かったはずである。


「こんな居酒屋のボックス席なんかで良かったの?」


「こんな雑然とした場所で誰も聞き耳なんて立てませんよ」


 機密云々の話では無くて、話をしたいのであるのならもっと落ち着いた場所の方が良かったのではなかろうか。

 込み入った内容のようだし、でなければ彼女がわざわざ出向いてくるとも思えない。

 そもそも末端も末端、損耗前提で現場に駆り出されている受刑者相手に何の話が有るというのか。

 捜査員なら未だしも彼女は事務方の人間なのである。


「それで何の話なの」


 一番最初のナマ中ジョッキを干してからそう切り出した。


「何のコトです」


「白々しいわよ。話が有るから引き留めたんでしょう」


「たまには、現場の方とも交友を深めるのも良いかと思い立ったもので」


「よく言うわ」


 二杯目のナマ中が来て受け取った途端、半分まで飲んでその場で三杯目を頼む。

 持ってきた店員が苦笑しているのが見て取れた。


「ま、話が有ろうと無かろうと、あたしはタダ酒が飲めるのならそれで構わないのだけれどもね」


「料理もまだ来ていないのによくそれだけ飲めますね」


「食事はほろ酔いになってからが美味しいものよ」


「ほろ酔い?」


 彼女は自宅に訊ねてきた托鉢僧が、いきなり生命保険の勧誘を始めた時のような怪訝な眼差しであたしを眺めていた。




 彼女の口がようやく開き始めたのは、手にしているナマ中の後のチューハイがグラス半分くらいになってからの事だった。


「邑﨑さんはいつまで今の生活を続けるおつもりなのですか」


「愚問よね。判っているクセにわざわざ訊かれるのは良い気分じゃ無いわ」


 あたしはもう六杯目のナマを空けるところだった。いや七杯目だったろうか?


「刑期が明けた後のことを訊いているのです」


「燃やされて無くなっちゃうわよ。死体の行く末なんて端から決まっているじゃない」


「それで良いんですか」


「良いも悪いも決定事項だからねぇ」


「決定事項ではなく選択肢の一つです。まだ生きることも出来ます」


「既に生きてないわよ」


「法規的な話をしているのではありません」


「まぁ確かに死者とは言えないかも知れない。

 くたばった者は呑んだり喋ったり出来ないもの。

 けれど滑稽な話よね。

 生者であること否定されているのに戸籍はそのまま。

 しかも法の名の下に束縛されて刑を執行されている。

 生物学的な話は置いといて、なんて中途半端な存在だこと」


「・・・・」


「邑﨑克彦なる人物が生まれて、もう五十年以上が経っているわ。

 あたしはその人物の記憶と性情に従って活動している肉人形に過ぎない。

 彼という人間はもう死んでしまっているのよ。遠い昔にね」


「でも本当はそう思っていらっしゃいませんよね。戸籍を残しているのがその証左です」


「邑﨑紀子のものだけれどもね」


「未練があるのではないのですか」


「あたしに何を言わせたいの。

 もう充分だろう自由にしてくれ、俺の人生を思うがままに生きさせてくれとでも喚けば納得してくれるのかしら。

 それとも妹を、紀子を返してくれと泣き叫んだ方が悲劇の主人公っぽくて良い?」


「茶化さないで下さい」


「じゃあ逆に訊くけれど不本意じゃ無い終わり方、完全に満足しきってお迎えの来る人間はこの世にどれほど居るというの。

 お望みの結末なんて、訪れない方が当たり前なのではなくて?」


「望めば生きられるのに放棄するというのは、それを得られない者への冒涜です」


「刑が明けても焼却処分か再契約かの二者択一。

 契約を更新してもそれは刑に服している時と何ら変わりはないじゃない。

 折角自由に為れたのにもう一度首輪を着けろと言うの?

 そしてまた延々と際限の無い血まみれの駆除作業、それに勤しめと。

 あたしならまっぴらゴメンだね」


「一緒じゃありません。

 刑期が明けた後は特待契約に格上げされます。

 様々な優遇措置が受けられます。

 実績次第では一般の人と変わらない生活だって夢ではありません。

 一方、死を撰べば全てが無です。何も残らないのですよ」


「誰だって死んじゃうわ。例外はないでしょ」


「だからこそです。生きて居れば浮かぶ瀬もあります」


「あのさ、何かあったの?」


「先日、死体判定された再生者の処分が実行されました。

 邑﨑さんが出向いた事件の方のです。

 また一週間ほど前にも使い手の方が刑期を満了し処分を選ばれて、その方もほぼ同日に実行を完了しました。

 書類を揃え最終確認を行なったのは私です」


「成る程。使い手はあの長老かしら」


「はい。二つ名はそれですけれど見てくれは少年そのものですよ」


「そうね。でもそれを云ってしまえばあたしも変わらないわ。彼は刑期をどれ程短縮出来たの」


「三一四年を九七年で」


「ソイツは凄い。頑張ったんだね」


「何故死に急ぐのですか」


「自由になりたいからよ」


「死ぬことが自由だと?」


「違うかしら」

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