第13話 剣と書物の交錯 〜西郷と龍造寺、ブックオフとフリマの逆襲〜

 異世界へ召喚された主人公マサは、そこで西郷隆盛と龍造寺隆信と出会います。彼らはそれぞれ幕末の日本と戦国時代の九州をモチーフにした異世界の名士であり、マサは彼らと共に戦うことになります。


 マサは剣術の使い手であり、彼の力は西郷と龍造寺の戦いに大きく影響を与えます。しかし、彼らの世界では書物に秘められた力も重要な要素となっています。そこで、マサは大量の書物を扱うブックオフとフリマの存在を知ります。


 ブックオフは異世界の図書館のような存在であり、そこでは様々な書物が保管されています。マサはブックオフを頼りに西郷と龍造寺の力を高めるために必要な書物を探し求めます。


 一方、フリマは異世界の市場であり、そこでは書物を含む様々なアイテムが売買されています。マサはフリマで必要な武器やアイテムを手に入れることもあります。


 マサは西郷と龍造寺、そしてブックオフとフリマの力を借りながら、異世界での戦いに挑んでいきます。彼らは斎藤龍興という敵対勢力に立ち向かい、異世界を救うための戦いを繰り広げます。


 また、マサの仲間には『キモタク』というキャラクターも登場します。彼は異世界最強の魔術師であり、マサたちの冒険において重要な役割を果たします。

『キモタク』は吐き気が起きると様々な魔法を起こす。キムタクを気取ってるが、デブな上に顔がワニみたいで、短足なのでマサは『キモタク』と呼んでいた。

『キモタク』の本名は蘆屋佳寛あしやよしひろといった。蘆屋道満あしやどうまんの末裔だ。一般的には生没年不詳とされているが兵庫県加古川市の正岸寺という寺の位牌に天徳二年(958年)生誕との記述がある。

 江戸時代の地誌『播磨鑑』によると播磨国岸村(現兵庫県加古川市西神吉町岸)の出身とある。また播磨国の民間陰陽師集団出身とも伝えられている。


 江戸時代までの文献では、ほとんどにおいて安倍晴明のライバルとして登場し、「正義の晴明」に対して「悪の道満」という扱いをされる。安倍晴明が伝説化されるのと軌を一にして、道満の伝説も拡散し、日本各地に「蘆屋塚」「道満塚」「道満井」の類が数多く残っている。

 

『キモタク』は祖先について教えてくれた。

 藤原道長が可愛がっていた犬が、あるとき主人の外出を止めようとした。驚いた道長が晴明に占わせると、晴明は式神の呪いがかけられそうになっていたのを犬が察知したのだと告げ、ほかにこんな呪術を知っているのは道満以外いないと考え、道満は囚われの身となる。その後、道満は生国播磨に流罪となる。

 また、こんな話も残っている。道満が上京し晴明と内裏で争い負けた方が弟子になるという呪術勝負を持ちかけたことにより、帝は大柑子(みかん)を16個入れた長持を占術当事者である両名には見せずに持ち出させ「中に何が入っているかを占え」とのお題を与えた。早速、道満は長持の中身を予測し「大柑子が16」と答えたが、晴明は加持の上冷静に「鼠が16匹」と答えた。観客であった大臣・公卿らは安倍晴明が当てられなかったと落胆したが、長持を開けてみると、中からは鼠が16匹出てきて四方八方に走り回った。この後、約束通り道満は晴明の弟子となった、と言われているという。

 遣唐使として派遣され唐の伯道上人のもとで修行をしていた晴明の留守中に晴明の妻とねんごろになり不義密通を始めていた道満が、晴明の唐からの帰国後に晴明との命を賭けた対決に勝利して晴明を殺害し、秘法で晴明の死を悟った伯道上人が来日して呪術で晴明を蘇生させ道満を斬首、その後に晴明は書を発展させた。


 マサや西郷隆盛は長良川を舞台に斎藤龍興の軍勢と対峙していた。

 龍興の父、義龍が祖父の道三に謀反を起こした際、義龍はその母方の一色姓を称したというが、龍興自身も一色姓を用いていた。木下聡は(織田信長が一色姓への改称を完全に無視したこともあり)「一色」名義で記された多くの龍興関係の史料が認識されていないと指摘している。また、美濃国主時代には足利将軍家より偏諱を受けて「義棟」を名乗っている。

 長良川は、岐阜県郡上市の大日ヶ岳に源を発し、三重県を経て揖斐川と合流し、伊勢湾に注ぐ木曽川水系の一級河川である。濃尾平野を流れる木曽三川のひとつ。なお、下流の一部では愛知県にも面し、岐阜県との県境を成している。四万十川・柿田川とともに「日本三大清流の一つ」と呼ばれる。

 斎藤軍の陣形は横陣おうじん、部隊を横一列に並べる。もっとも基本的な陣形。大陸平野での横陣同士の会戦はもっとも遊軍が少ないが、縦隊で戦線突破されれば左右の伝令が分断され個別撃破されやすい。また局所に攻撃が集中すれば他の戦列すべてが遊軍となる。一般には馬防柵や塹壕、防塁などの地形を利用する。

 対する刀軍は魚鱗ぎょりんだった。

 中心が前方に張り出し両翼が後退した陣形。「△」の形に兵を配する。底辺の中心に大将を配置して、そちらを後ろ側として敵に対する。戦端が狭く遊軍が多くなり、また後方からの奇襲を想定しないため駆動の多い大陸平野の会戦には適さないが、山岳や森林、河川などの地形要素が多い日本では戦国時代によく使われた。全兵力を完全に一枚の密集陣に編集するのではなく、数百人単位の横隊(密集陣)を単位として編集することで、個別の駆動性を維持したまま全体としての堅牢性を確保することから魚燐うろこと呼ばれる。

 多くの兵が散らずに局部の戦闘に参加し、また一陣が壊滅しても次陣がすぐに繰り出せるため消耗戦に強い。一方で横隊を要素とした集合のため、両側面や後方から攻撃を受けると混乱が生じやすく弱い。また包囲されやすく、複数の敵に囲まれた状態のときには用いない。特に敵より少数兵力の場合正面突破に有効である。対陣のさいに前方からの防衛に強いだけでなく、部隊間での情報伝達が比較的容易なので駆動にも適する。

 実戦では、武田信玄が三方ヶ原の戦いに於いてこの陣形で徳川家康と戦闘し、これを討ち破っている。家康は後の関ヶ原の戦いで西軍の鶴翼に魚鱗をもって対峙した。


 マサの本名は刀雅樹かたなまさきという。

 龍興は魔王のスパイとしてマサを騙していたのだ。斎藤軍には京極高次も参戦していた。 

 京極氏は北近江の守護で本来は浅井氏の主筋に当たるが、臣下の浅井氏の下克上を受け、その力は大きく衰えていた。高次はその庇護のもと、浅井の居城内で生まれた。のちに妹(姉説も)・竜子(松の丸殿)が豊臣秀吉の側室となり、淀殿の妹の初(常高院)を正室とした。そのため彼女たちの七光りで出世したとされ、蛍大名と囁かれた。しかし決して無能な人物ではなく、大津城の戦いでは、居城の大津城に篭もって1万人を超える西軍の軍勢を食い止め、関ヶ原の戦いの主戦場へと向かわせなかった。戦後、その功により若狭一国を与えられて国持大名となり、弟・高知と並んで京極家を再興し、近世大名家としての礎を固めた。 

 龍造寺隆信は肥州末貞ひしゅうすえさだという太刀で高次を斬り殺した。

 肥州末貞は沖田畷の戦いで龍造寺隆信を討ち取った島津家家臣の川上忠堅かわかみただかた(かわかみただかた)が褒美として拝領した。

 龍興は怒りに燃え、龍を召喚した。

 


 

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