第12話 紫の刻印 〜異世界の文豪と裏切りの剣士〜

 舞台は令和5年の日本。足利学園の紫式部は4月15日に突然、異世界へと召喚されてしまいます。紫式部はレミという偽名を使っていた。


 同日、岸田文雄内閣総理大臣の遊説先の和歌山市雑賀崎漁港でパイプ爆弾と見られるものが投げられ、爆発する事件が発生。総理はすぐに避難した為、無事だった。


 そこは幕末の日本をモチーフにした異世界であり、彼女は紫の髪と日本刀を持つ異端の存在と認識されてしまいます。


 同じ頃、レミと同じ1年5組のヒデオは日本史の授業で紫式部を学んでいた。

 正確な誕生年は特定できないが、天延元年(973年)に生まれ、長元4年(1031年)正月中旬に死去したとされる。


『源氏物語』の作者とされ、藤原道長の要請で宮中に上がった際に宮中の様子を書いた『紫式部日記』も残している。


 『源氏物語』と『紫式部日記』の2作品は、後にそれぞれ『源氏物語絵巻』『紫式部日記絵巻』として絵画化された。また、歌人としても優れ、子供時代から晩年に至るまで自らが詠んだ和歌から選び収めた家集『紫式部集』がある。『小倉百人一首』にも和歌が収められており、中古三十六歌仙および女房三十六歌仙の一人でもある。『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に、計51首が入集している。


 父の藤原為時は、官位は正五位下と下級貴族ながら、花山天皇に漢学を教えた漢詩人、歌人である。紫式部は藤原宣孝に嫁ぎ、一女(大弐三位)を産んだ。長保3年(1001年)に結婚後3年程で夫が卒去する。その後『源氏物語』を書き始め、その評判を聞いた藤原道長に召し出されて、道長の娘で、一条天皇中宮の彰子に仕えている間に『源氏物語』を完成させた。


 なお、『紫式部集』には、夫である藤原宣孝の卒去に伴い詠んだ和歌「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」が収められている。


 藤原北家良門流の越後守・藤原為時の娘で、母は摂津守・藤原為信女であるが、幼少期に母を亡くしたとされる。同母の兄弟に藤原惟規がいる(同人の生年も不明であり、式部とどちらが年長かについては両説が存在する)ほか、姉がいたこともわかっている。三条右大臣・藤原定方、堤中納言・藤原兼輔はともに父方の曾祖父で、一族には文辞を以って聞こえた人が多い。


 幼少の頃より当時の女性に求められる以上の才能で漢文を読みこなしたなど、才女としての逸話が多い。54帖にわたる大作『源氏物語』、宮仕え中の日記『紫式部日記』を著したというのが通説で、和歌集『紫式部集』が伝わっている。


 父・為時は30代に東宮の読書役を始めとして東宮が花山天皇になると蔵人、式部大丞と出世したが、花山天皇が出家すると散位となる(位禄はある)。10年後、一条天皇に詩を奉じた結果、越前国の受領となる。紫式部は娘時代の約2年を父の任国で過ごす。


 長徳4年(998年)頃、親子ほども年の差があり、又従兄妹でもある山城守・藤原宣孝と結婚して長保元年(999年)に一女・藤原賢子(大弐三位)を儲けた。この結婚生活は長く続かず、間もなく長保3年4月15日(1001年5月10日)に宣孝と死別した。


 寛弘2年12月29日(1006年1月31日)、もしくは寛弘3年の同日(1007年1月20日)より、一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の長女、のち院号宣下して上東門院)に女房兼(現代でいえば)家庭教師役として仕え、少なくとも寛弘8年(1012年)頃まで奉仕し続けたようである。


 なおこれに先立ち、永延元年(987年)の藤原道長と源倫子の結婚の際に、倫子付きの女房として出仕した可能性が指摘されている。『源氏物語』解説書の『河海抄』『紫明抄』や歴史書『今鏡』には紫式部の経歴として倫子付き女房であったことが記されている。それらは伝承の類であり信憑性には乏しいが、他にも『紫式部日記』からうかがえる、新参の女房に対するものとは思えぬ道長や倫子からの格別な信頼・配慮があること、永延元年当時は為時が散位であったこと、倫子と紫式部はいずれも曽祖父に藤原定方を持ち遠縁に当たることなどが挙げられる。また女房名からも、為時が式部丞だった時期は彰子への出仕の20年も前であり、さらにその間に越前国の国司に任じられているため、寛弘2年に初出仕したのであれば父の任国「越前」や亡夫の任国・役職の「山城」「右衛門権佐」にちなんだ名を名乗るのが自然で、地位としてもそれらより劣る「式部」を女房名に用いるのは考えがたく、そのことからも初出仕の時期は寛弘2年以前であるという説である。


『詞花集』に収められた伊勢大輔の「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」という和歌は宮廷に献上された八重桜を受け取り中宮に奉る際に詠んだものだが、『伊勢大輔集』によればこの役目は当初紫式部の役目だったものを式部が新参の大輔に譲ったものだった。


 藤原実資の日記『小右記』長和2年5月25日(1014年6月25日)条で「実資の甥で養子である藤原資平が実資の代理で皇太后彰子のもとを訪れた際『越後守為時女』なる女房が取り次ぎ役を務めた」旨の記述が紫式部で残された最後のものとし、よって三条天皇の長和年間(1012年 - 1016年)に没したとするのが昭和40年代までの通説だったが、現在では、『小右記』寛仁3年正月5日(1019年2月18日)条で、実資に応対した「女房」を紫式部本人と認め、さらに、西本願寺本『平兼盛集』巻末逸文に「おなじ宮の藤式部、…式部の君亡くなり…」とある詞書と和歌を、岡一男説の『頼宗集』の逸文ではなく、『定頼集』の逸文と推定し、この直後に死亡したとする萩谷朴説、今井源衛説が存在する。


 現在、日本銀行券のD号券の2000円札の裏には小さな肖像画と『源氏物語絵巻』の一部を使用している。

 

 紫式部は異世界で文学の力を駆使し、詩歌を披露しながら冒険をすることになります。彼女は群馬という都市国家に閉じ込められてしまい、そこで裏取引や陰謀が渦巻く世界に巻き込まれていきます。


 そんな中、紫式部は京極高次という剣豪と出会います。彼は裏切り者として名高い剣士であり、異世界での生活に追い詰められていた紫式部に協力の手を差し伸べます。二人は異世界の闇に立ち向かいながら、自身の目的を果たすために連携して戦いを繰り広げます。


 紫式部と京極は群馬の権力者である八鳥義久との対決に挑みます。彼も裏切りの剣士として知られ、異世界でもその名は恐れられています。紫式部と京極は彼の野望を阻止するため、群馬の暗部に挑みます。


 一方、マサという青年も異世界に召喚されています。彼は紫式部と出会い、彼女たちの戦いに協力することとなります。マサは異世界の剣術の使い手であり、彼の力が紫式部と京極の戦いに大いなる影響を及ぼします。

 ゴブリンガードを倒し、マサはシゲルを助け出していた。


 4月16日

 内閣総理大臣夫人の岸田裕子がアメリカ合衆国を訪問。岸田は、ファーストレディ(大統領夫人)のジル・バイデンの招待を受けて訪米(-18日)。なお、内閣総理大臣夫人は安倍政権下で私人との閣議決定を受けているが、総理外国訪問の随行時と同様に必要な経費は公費で賄われる見通し。


 午前3時20分頃、神奈川県相模原市内のキャンプ場で倒木が発生。巻き込まれた宿泊者が死亡。


 午前9時頃、大阪府堺市で祭事中のだんじりが横転し、11人が重軽傷。

 

 平間ヒロシは足利市にある食品工場『アマテラス食品』に派遣されている。ヒロシは悪いことをすることで魔法を取得するのだが、本人は気づいていない。『アマテラス』では卵製品を作っている。ヒロシは岩成いわなりって派遣社員から殴られり、蹴られたり散々な目に遭っていた。

「おめぇのせえで帰るの遅くなったじゃないか!」

 この日も岩成にロッカーで蹴られた。

 ヒロシはかつては特別捜査隊で働いていた。

 足利市内で生物兵器であるゾンビが蔓延し、ヒロシは仲間とともにマシンガンなどでゾンビを倒した。ゾンビを撃ち殺すときに謝って少女を撃ち殺してしまった。罪の責任を感じたヒロシは特別捜査隊を辞めた。

 肉体的にも精神的にもヘトヘトになって工場から出て自転車を漕いで自宅へ向かう。自宅アパートは渡良瀬川の近くにある。スーパー『オアシス』に寄って夕食の買物をすることにした。スーパーの近くにある廃病院から信じられない者が出てきた。

「きゃあ!ゾンビ!」

 近くを歩いていた少女が叫んだ。

 

 

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