第2話 ライザの願い
◇◇◇
「私のような素性の分からない孤児を公爵家の養子にだなんて、奥様はどうかされてるんじゃ……」
部屋を出た後ポツリと呟いたライザの言葉に、セバスは思わず苦笑する。
「あ、申し訳ありません!奥様になんて無礼なことを」
思わず口をついて出た暴言に慌てるライザだったが、セバスは澄ましたものだ。
「何か深い考えがおありなのでしょう。奥様も複雑な立場のお方ですから」
「奥様も?」
首を傾げるライザだったが、続くセバスの言葉に言葉を失った。
「奥様は筆頭公爵家であるガーゴイル公爵家のご令嬢でした。王太子殿下と婚約していたのですが、殿下が不慮の事故でお亡くなりになり、紆余曲折があってわずか十六歳で御年九十歳のアルカナ公爵閣下の元に嫁ぐことになったのです。まあ、肝心の旦那様が結婚式の後ぽっくり亡くなってしまわれたので、結婚生活はほんの僅かでしたが。たった十六歳で未亡人となった奥様は、アルカナ公爵家の莫大な遺産をすべて引き継ぎ、そのまま公爵家の女主人となられたのですよ」
婚約者を亡くしたとはいえ、その後九十歳の老人の元に嫁ぐことになるとは。一体彼女の身に何が起こったと言うのか。
「そんなことが。奥様はずいぶんご苦労をされたのですね。あんなにも華やかでお美しい方なのに。でも、奥様のご事情を私のようなものに話してよろしいのですか」
「ふふ。かまいませんよ。この国の貴族なら、知らないものはない話ですから」
「そう、ですか……」
「大丈夫。きっとお嬢様のことも悪いようにはなさらないはずです」
ライザはセバスの言葉にぐっと下唇をかみしめた。本当にそうだろうか。これからこの家でどんな扱いを受けることになるのかまだわからない。もしかしたら、男爵家など生ぬるい扱いを受けることになるかもしれない。
男爵家で生きるためには、ただ従順で、愚鈍でなければならなかった。けれど、新しい奥様はそんなライザの卑しい心根など見透かしているのだ。平伏したのは間違いだった。身なりを整えられたということは、すぐにでも追い出されるのかもしれない。
ある程度教養を身に着けた貴族の私生児を愛妾にしたがる貴族や商人は多いと聞く。いずれはお前もそうなる運命だと、繰り返しあの人たちに聞かされていたのだから。
(そうよ。こんな立派なお屋敷に住む方が、私みたいな私生児を受け入れてくれるわけないわ)
◇◇◇
「さて、ここが今日からお嬢様のお部屋になります」
ひときわ立派な部屋の前で戸惑うライザ。
「ここ、ですか」
大きな天蓋付きベッドに優美な猫足のチェスト。真っ白なふかふかの絨毯はそのまま寝転びたいぐらい気持ちよさそうだ。全体的に淡いベージュとピンクで統一された部屋は少女らしく可愛らしい。何より、窓際に所狭しと並んだ可愛いぬいぐるみたちに目を奪われた。
「こんな素敵なお部屋を、私が使ってもいいのでしょうか……」
今まで自分の部屋など与えられたこともなく、台所の片隅で寝る生活だった。屋根があるだけましだと言い聞かせて震える夜を何度も過ごしてきた。そんな自分に部屋が、それもこんな部屋が与えられるなんてなんの冗談だろうか。
「ええ。奥様がぜひこの部屋をお使いになるようにと。それよりお嬢様付きのメイドの紹介をいたしますね」
「え?メイド?私に?」
「メアリーです。ライザお嬢様、これからよろしくお願いいたしますね」
ライザはにっこり笑ったメイドにおずおずとお辞儀を返す。メイドという名の監視役だろうか。先ほどは急に抱き抱えられて驚いたが、ひどい靴擦れができ足を引きずっていたライザのためにしたことだとすぐにわかった。足の怪我を丁寧に処置したあと、手早く身支度を整えたメアリーの手際の良さはまるで魔法のよう。とても優秀な人なのだろう。
(これから私、どうなっちゃうんだろう)
体全体が包み込まれるようなふかふかのベッドの中で、ライザはひとりため息をついた。ライザはアルカナ公爵家の私生児としてこの家に連れてこられた。けれどあの夫妻も、ライザを本気で公爵の娘と思っていたわけではない。亡くなった公爵の年齢を考えると、その可能性は低いだろう。
自分の本当の父親が誰なのか、ライザとて知りたい。けれども、今まで誰一人父親だと名乗り出るものはいなかったのだ。不義の子や捨てられた恋人の子である可能性が高い。もしあの宝石が本当にアルカナ公爵家のものだとしたら、本当の父親は公爵家ゆかりの人物なのだろうか。
(……可愛い部屋)
物語のお姫様が住んでいるような部屋。まるで現実のこととは感じられない。
(奥様はどうして私なんかにこんな立派な部屋を用意してくれたんだろう)
いくら考えても答えは出ない。
「私は、いったい何者なの。ううん、今はそんなのどうだっていいわ」
ライザの願いはいつだってひとつ。生きたい。ただそれだけだった。
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