短いの

伊予葛

せんせ、お魚さんになれましたか?

「せんせ、海で死んだお魚さんは、塩漬けになるんですか?」


ㅤ大きな水槽の前に子どもが座っている。子どもは両手を水槽の縁にかけ、中を覗き込んでいる。水槽の中は水で満たされており、その中に人間が一人、ぷかりぷかりと浮かんでいた。浮かんでいる人間は何も身に纏っておらず、腹の辺りが仄かに青みがかっている。


「せんせ、青くてキレイ。お魚さんになれましたか?」


ㅤ子どもが人間に手を伸ばし、その腹を優しく撫でる。ちゃぷちゃぷと水音が鳴る。しばらくそうしていると、答えが返ってこないことを不満に思うように子どもは水槽から手を引いた。


「せんせ、お魚さんになりたかったんですか?」


ㅤ子どもは、ぐるりと辺りを見渡した。四方の白い壁には、夥しい数の額縁が飾られている。そのどれもが、魚の写真や絵画だった。子どもは、その全ての種類を知っていた。先生と呼ぶ人間が教えてくれたからだ。部屋の高いところに小窓があり、そこから入る光が床に水面のような影を落とす。それを見るたびに、子どもは、自分がまるで魚になって海の底に居るような気分になった。


ㅤ子どもは、先生と二人で海底のようなこの部屋でおはなしをするのが好きだった。先生が大きな水槽を買ってきて、何にもいない水槽の中を眺めているときは、きっと、先生にだけ見えている綺麗な魚が泳いでいるのだなと思った。子どもは、本当は、魚の醜美はよくわかっていなかった。ただ、陽の光を反射する海のように目を輝かせる先生を見ていると、なんだか楽しい気がしたので、先生のおはなしを聞くのが好きだった。子どもは、本当は魚は見るよりも食べる方が好きだった。


ㅤ子どもが手を伸ばし、先生の腕をそっと掴む。柔らかい腕を持ち上げ、そのまま口元へと運んだ。ふやけた皮膚を食い破り、咀嚼する。塩の味と血の味と、腐った肉の味が口内に広がり、子どもは顔を顰めた。

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