幕間

幕 間 THE★NEXT☆STAGE

 麗麗とのあれやこれやが終わってから、数日後。


 土曜。休日。初夏も過ぎ去り、本格的に夏がやってこようとしていた。

 でも7月はまだ少し遠い。

 俺は部屋の中で汗だくになりながら、サイリウムを振っていた。クーラーはつけない。ライブ会場の熱気はもっと凄いから、今の内に慣れておかないといけない。


「ポーポーポーフォウ! ポーポーポーフォウ! セイヤ! セイヤ! セイヤセイヤセイヤ! Y U М A! Y U M A!」


 ピ ー ン ポ ー ン。

 ………………………。

 ピ ー ン ポ ー ン。

 ………………………。

 ピ ー ン ポ ー ン。


 ちっ。


 新手の勧誘か。れおなならピンポピンポピンポーンのリズムでチャイムを鳴らしてくるし、コールの練習をしているタイミングを狙って、チャイムを鳴らすのはセールスだと相場は決まっている。


 絶対に居留守をさせない、というこざかしい戦略だ。


 俺はサイリウムを肩に乗せ、あえて眉間にしわを寄せながら、玄関に向かった。


 ガチャリ。


「すみませんが普段から忙しいので金輪際チャイムを鳴らさないでくれますか」


「多忙なんだね。すまないことをした。手短に用件を話そう」


 へ?


「え、あ……え、は? ええ? ま、マオさん。ど、どうして……」


「やぁ。久しぶりだね進くん」


「え、ええええぇ!?」


 ………………。


 パープルカラーの長髪をセンター分けにした美少女が純白のワンピースに身を包んでいる。


 目の前にはスタ女の代表とも言える能上マオが立っていた。

大手芸能事務所アイリスプロジェクト、アイドル部門所属・STAR★FIELD☆GIRL専属プロデューサー・マオ。


 なんてこった。

 まさか本当にマオさんが俺の家にやってくるだなんて……。


 先日、ユマからマオさんがアシスタントプロデューサーを探している、という話は聞いていた。その候補が俺であることも。


 でも実際に、こうして目の前にマオさんがいるだなんて、あまりにも現実離れしている。


「す、すみません。ちょっと着替えてきます。こんな汗くさい恰好で……す、すみません」


「気にしなくていいよ。ただし、もう出てこないなんてことはしないでくれよ。話だけでも聞いてほしいんだ」


「も、もちろんです」


「それじゃあ進くんが着替え終わったら喫茶店にでも行こう。ボクの行きつけの店でね。なるべく人目につかない場所を知ってるから」


「はい。わかりました」


 マオさんの優しい笑顔に見送られながら、俺は急いで部屋に戻って、汗だくのシャツを脱ぎ捨てた。


 ☆


 俺はマオさんに連れられて、喫茶店にやってきた。


 確かに人目につきそうにない場所だった。


 馬場駅から少し離れた場所にある個人経営の喫茶店。扉から中の様子がうっすら見れるようになっており、客もまばらで落ち着いた雰囲気が漂っているし、マオさんがこの店を行きつけにしているというのも頷ける話だ。


 それにしてもまさかマオさんにお会いできるとは……。


 今日は驚きの連続だ。

 カランコロン、と入店を知らせるベルが鳴ると、カウンターにいた老齢のマスターが軽く手を上げた。

 マオさんもそれに応え、俺と向かい合うようにカウンターに腰かける。

 マスターは注文を取るでもなく、ただ黙ってアイスコーヒーを作り始めた。


「そちらは?」


「え、あ」


「好きなものを頼むといい。ボクはいつものやつと決めていてね」


 マオさんはそう言って、小さく笑った。

 大人だなぁ。ちょっとしか年が変わらないはずなのに、なんでこんなに落ち着いているんだろう。


 ユマやれおなや麗麗はちょっと姦しいところがあるから、俺が冷静でいないと、という気持ちになる。


 しかしマオさんは全然逆だ。大人っぽさが段違いというか、どことなく独特のオーラがあって、所作ひとつちゃんとしないと、という気にさせられる。


 俺はメニュー表を見て、カフェオーレを頼んだ。


「ほうれんそうが出来てなくて申し訳ない。ユマがキミに話してしまったらしいね。正式な手順を踏んで声をかけるつもりだったんだが、キミの家に訪問するほうが効率的だと思ってね。驚かせてしまったかな」


 マオさんはそう言って、クスリと笑った。


「まあ最近は驚きの連続だったので、少し慣れたと言いますか」


「ただの一般人であるキミと、世界進出を果たしているアイドルたちとの邂逅を、慣れの一言で済ませてしまうなんて進くんは大物だね」


「……自分でもそう思います。麻痺してるなって」


 推しのユマが俺のストーカーだと知ったときから、世界線が変わっちまったんじゃないか、と。


 ありえないことが立て続けに連発してるし。


「ふふ。それでいいんだよ進くん。キミのその豪胆なところをボクは買っているんだ」


「そ、そうなんですか」


 まさかスタ女の代表にそんな評価をいただけるなんて……ちょっと照れるな……。

 と、そのとき。注文していたカフェオーレが運ばれてきたので、俺はそれに口をつける。


 それを見届けて、マオさんは話を切り出した。


「単刀直入に言おう。アシスタントプロデューサーの件、引き受けてもらえるかな」


「……」


「日本のアイドル戦国時代はボクたちの登場により終息を迎えるだろう。次は本格的に世界を取りに行く。その一投目は綺羅に任せた。あの子よりダンスがうまいアイドルは世界中どこを捜そうとも見つからない。そう言えばキミは綺羅ともよくお話をしていたね?」


 八乙女綺羅。

 結成メンバーの内の一人。ロボットダンスやアクロバティックなブレイクダンスを得意としており、ユマとはまた違って、突出した技術とパフォーマンスでのファンを魅了してきたアイドルの一人だ。


 綺羅さんが登場するまでアイドルはウィンドミルやバック宙をしない、という暗黙のルールみたいなものがあった。しかし綺羅さんは派手なダンスで、それこそメジャーデビューしてるダンス&ボーカルグループにも劣らないパフォーマンスを繰り広げ、そんな風潮を一新させたのだ。


 そんな綺羅さんはどことなくギャルっぽい人で、スタ女の結成当時はよく絡まれていた。


「……昔の話ですよ。スタ女がまだ地下で活動していたころの話です」


「綺羅はそう思っていないみたいだけどね。キミをAPにしたいという話をしたら、喜んでいたよ。まったく。つくづくキミはうちのメンバーと縁があるようだ。マスコミにはすでに嗅ぎ付けられている。進くん、キミが関係者でもない限り、このギリギリの綱渡りを続けるのは厳しいだろうね」


「ま、マスコミ? そんな大事になってるんですか?」


「正しくはなろうとしてるかな。ユマやれおながキミの家に何度か訪問していることは、既にマスコミの知るところとなっている。まあリークしたのはボクなんだけどね」


「は? ど、どういうことですか?」


「そのままの意味だよ。あえてキミを崖っぷちに追い込んで、キミの覚悟を試しているんだ。これ以上ただの一般人とうちの大切なメンバーを引き合わせるわけにはいかない。しかし関係者であれば、話は別だ。キミがアイドルたちの力になれる人物かどうか、ボクは見極めたいんだ」


 ……!


 俺はカフェオレをゴクリと飲んで、心を落ち着ける。

 マオさんは本気だ。そもそも冗談を言うような人ではない。

 本気で俺を見定めようとしている。


「一つだけ聞かせてください。なぜその大切なメンバーに火の粉が降りかかるかもしれないのに、マスコミに情報をリークしたんですか? 俺とメンバーを引き離したいなら、ただそうすればいいはずなのに」


「怒っているのかい?」


「当然です。俺はSTAR★FIELD☆GIRLのファンです。アイドルとファンの関係性はよく理解しています。引けと言われたら身を引きますし、そもそも今の環境だって本当にこれでいいのかって悩んでいます。俺が人生賭けて応援しているグループをあなたは自分の所有物みたいに扱っている。……マオさんはスタ女の創設者ですし……その権利があることも、自分がおこがましいことを言っているのも重々承知していますが、俺からすれば今のあなたはスタ女の……俺の敵にしか思えないんです」


 と、そこまで言ってから気づく。

 マオさんがひどく驚いた表情で俺のことを凝視していることに。


 やばい……言い過ぎたか? しかしそんな俺の心配とは裏腹に、マオさんは目をつむって静かに笑ったのだった。

 まるで懐かしむように。


「変わらないね。進くん。合格だよ」


「え、はい?な、何がです?」


「キミにAPの資質があるかどうかを確かめさせてもらったんだよ。メンバーに対して下心やよこしまな気持ちがないか確認をするのもボクの仕事だ。ちなみにマスコミには情報をリークはしていない。むしろ色んなところにかけあって、差し止めている。ボク以上にあの子たちの味方はない。そしてキミもね」


 マオさんはそう言って、俺の肩をぽんっと叩いた。

 …………。

 へ? あ、あぁ~……そういう……? 全身の力が抜けるような感覚。

 しかしそれと同時に、どっとした疲れが押し寄せてきた。


「そんなキミだからこそ、引き受けて欲しいと思うんだ。一週間後、アイリスプロジェクト社で詳しい話をしよう。キミが来たら通すよう受付に伝えておくよ。自分で選んで自分で決めて、納得のいく道に進んで欲しい」


 マオさんはそう言うと、席を立ちお会計を済ませた。


 カランコロンとベルが鳴る。

 俺はしばらく席から立ち上がることができずに、カフェオレに口をつけていた。


 また一週間後か……。

 いや、考えていてもしょうがないな。


 どうするか、なんて最初から決まっていたんだから。


 マオさんはそれを見抜いていた。そのうえで俺を試したんだ。

 ユマと急接近できて嬉しい幸せだとか思ってたけど、つくづく自分がただのファンであることを思い知らされる。


 現実を見ろ。

 

 俺はただのファンで、ユマは国民的アイドルなんだから。


 だけど、ユマと交わした約束だけはどんなことがあっても果たす。それが俺なんかのためにナンバーワンアイドルを目指してくれている推しへの、たった一つの、俺にできるお返しだから。

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