7話「少しの棘」1
掘り始めてから10日余り。
穴は深さ5メートルを越え、上からは底の方が見えづらくなってきていた。壁に沿って螺旋状に作った石段を上り下りしながら、土を掘り掻き出していく。壁を固める集めた石も足りなくなってきたが、これは他の村人達が手伝ってくれた。占い師のお告げ(アドルフ創作の)では、井戸を掘るのがゴナン達兄弟であればいい、ということだからだ。どうせならば、村人全員で掘りましょう、などというお告げを作ってくれればよかったのにとリカルドは少し思っていた。しかし…、
(その占いの遵守ぶりが怖いな…)
占い師の言葉に全ての判断を委ねる、そんな村人達の気質に、リカルドは驚き恐れていた。自分の言葉のかけ方一つで死にさえ向かいかねないほどの“純粋”ぶりなのだ。思考を放棄しているわけではない。各々悩み事があるということは、考えているということ。だからこそ実像が見えない。ひとまず、「占い」については当たり障りのない答えで応じてはいるが、それはとても神経を使う作業であった。
「今日は占いはしなくていいの?」
ゴナンが井戸の横で、にやりとしながらリカルドに声をかけた。彼が占い師のふりをするのが、どうにも面白くてたまらないらしい。こら、とリカルドは、バンダナを巻いたゴナンの頭をくしゃっとかき混ぜる。
「なんだかもう、みんな一通り、僕に聞きたいことは聞いたようだよ」
実際、ほとんどが、この干ばつがいつ終わるのか、この村はずっとこのままで居られるのか、という類の質問がほとんどだった。もちろん断言はできないので、ふんわりとした回答でお茶を濁すが、それで村人達は満足した。“先代”の占い婆も、結局はそのような感じだったのかもしれない。
「…ああ、オズワルドさんの元奥さん?らしい人とも話したよ」
「えっ?」
「もう再婚されているようだったけど…」
24歳のライラという女性だった。浅黒い肌に黒い目がキラキラした女性。とても痩せこけてはいたが、ユーイに似たはつらつとした魅力を感じたのが印象的だった。
「なんだか、オズワルドさんが今、どうなのかを根堀り葉掘り聞かれたよ。あれは占いなんかじゃなかったなあ」
ふふ、とリカルドは笑うが、ゴナンはあまり興味がないようだ。
「俺、結婚式の日にしかしゃべったことないから」
「ああ、そうなんだ」
そんな雑談をしながら、2人で穴の底へと潜っていく。今日の午前は2人が掘る番。アドルフとオズワルドが土を運ぶ番だ。
穴の底へ着くと、空からの光が届きにくくなっていた。手元がうまく見えないので、慎重に掘る場所を決めてザクザクと進めていく。この世界がゴナンとリカルドの2人だけになったような感覚。疲れてはいるが、2人の会話は弾んだ。
「この村では結婚式ってどんなことをするの?」
「んー。祭壇を作って、村中の人が集まって、一人ずつ新郎新婦の額に交互に泉の水をつけていくんだ。全員終わったら、みんなに認められたって事になって、夫婦になる。それから宴会かな?」
「泉の水を…」
「だから今は、同じことはできないな」
「この井戸から水が出たら、代わりになるかな?」
「占い師様がそう言えば、そうなるんじゃない」
また、楽しそうなゴナン。しかし不意に沈黙し、手を止めた。また体調を崩したのかと気になって、リカルドはゴナンの方を見る。
「どうした? 大丈夫?」
「……もし、ここから水が出たら、リカルドさんはもう行ってしまうんだよね。水が出なくても、か」
「あ、ああ、そうだね。随分長居してしまっているし、鳥を追わないといけないから」
「……旅って、どんな気分? 毎日、同じ家に帰らないってどんな感じなんだろう」
ゴナンは座って膝を抱えてしまった。
「うん…。そうだね…」
リカルドは上の方に「ちょっと休憩します」と声をかけて、自身もゴナンの横に腰をかけた。アドルフから了承の合図が来る。
「僕はね、ユー村っていう所の出身なんだけど。この村と同じ王国内ではあるけど、うんと東のほうにある村」
「東…」
「そう、その村では父や母とは一緒に暮らしてなくてね。お世話をしてくれる大人はいたけど、兄弟もいなかったから、あんまり『家に帰る』ってことは大事ではなかったんだ。その後は王都の学校に入ったから、寮暮らしだったしね」
「へえ…」
「旅に出て毎日寝る場所が変わるのも日常っていうか、どんな感じといわれても、普通というか…」
ここでふふ、と笑う。
「だから、ゴナンの家で、6人兄弟のお家に1ヵ月近くも滞在させてもらっているのが、逆に普通じゃない感じというか。でも、家ってこんな風なんだなって、思わせてもらっているよ」
常にそこにありそうでいながら、はかなくも感じる。ゴナンの家や家族を、リカルドはそう見ていた。
「……でも俺は、ずっと、家には居場所がないなって思ってる」
6人兄弟の5人目ともなれば、そういうものなのだろうか。
「リカルドさんが誘ってくれて、いろいろ考えて、俺、ここにいなくてもいいんじゃないかって思ってて。旅もいいなあって思うけど。鳥や卵には興味ないけど」
「うん」
「でも、家にいても役に立ってないけど、旅に出ても何もできないから、やっぱり意味ないかな」
膝をぎゅっと抱いて言葉を絞り出すゴナンの頭を、リカルドはそっと撫でた。
「ゴナンはこの村しか知らなくて、しかもこの1年は食べることすらままならなくて、からっからだ。何ができるのかも、何ができないのかも、まだまだわからないよ」
「……」
「……もし、外に出てみて『あ、やっぱり俺は外では何もできない人間だった』と分かる日が来たなら、それならごめんなさいただいまって村に帰ってくればいいんだ。君はまだ15歳なんだから」
「……そんなもの?」
「何かをするために旅に出るんじゃなくて、旅をするために旅に出るっていうのも、あると僕は思うよ。一番大事なのは、最初の一歩を踏み出すかどうかだよ。でもそれだって、大仰に踏み出す必要はないんだ。なんとなくとか、気が向いたから、とかでもね。踏み出すことが大事。で、旅をしながら何ができるのかが分かっていく」
「うん……」
「そして僕は、君が何もできない人間だとは思わないけどね。お兄さん達があんなに大きいんだから、体だって大きくなるよ」
さ、そろそろ作業を再開しようか、とリカルドは立ち上がった。ゴナンも続く。なんだか心が跳ねているようだ。土を掘る手も軽い気がする。それから二人は、3時間も土を掘り続けた。
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