6話「掘り起こす」
翌朝、ミィを除く兄弟達とリカルドが、掘削予定地に集まった。いよいよ井戸掘りのスタートだ。掘削ポイントの脇には、兄3人がこの2週間で集めたたくさんの石が積んである。
「まずは、このくらいの大きさの穴を掘っていきます」
と、リカルドが直径3mほどの円を描く。
「少し掘り進んだら、穴の縁を石で固定して、崩れるのを防ぎながら掘り進めましょう。穴の直径はどんどん小さくなっていって構いません」
村のほうぼうから集めた板で作った簡易的なスコップで掘って、木のバケツで土を外へと掻き出す。
金属の道具がない中、なかなかの重労働だ。ましてや、食べ物も足りていないこの状況。力自慢3人を擁する兄弟を持ってしても、お屋敷からの食事を食べているにしても、少しずつしか掘り進められない。それに…。
(流石にここまで大がかりな作業を始めると、村の人やお屋敷にもばれてしまうな)
いっそ、手伝いのお願いをしてしまった方がよいのでは、お屋敷には穴を掘る便利な道具も残っているのでは、などとリカルドは思ったが、それ以上考えないことにした。その判断は、オズワルドに委ねた方がいい。まずはここから水が出るかどうか、だ。
* * *
結局、その日1日で掘り進められたのは、1メートルほどであった。
「これはなかなか」「先が長そうだぞ…」
夕方、穴の縁に座る双子が早速弱音を吐く。
「正直、お屋敷様からの食材がなければ、絶対に無理だったな」
オズワルドも腰をかけて、ふう、と息を吐く。もちろん、節約しながら食べているので、けっして食事が十分に足りているわけではない。
「兄貴、それは」「老いってやつじゃあないの?」
「俺はまだ28歳だぞ。男盛りの、体力有り余る年齢だ!」
まだ少し元気そうな双子が、長兄をからかう。そして、奥で疲れ果てて座り込むアドルフの、その隣でぐったり横になってしまっているゴナンを見る。
「相変わらず」「ゴナンは弱っちいな…」
昨晩の寝不足も少しはあるかもしれないが、午後過ぎからゴナンはほぼ役立たずだった。体に力が入らなくなる。
「何歳になってもチビでひ弱だ」「よく生きてられるもんだな」
双子が笑いながらゴナンの元に来てちょっかいを出す。ゴナンは少しだけムッとした表情を見せたが、寝転んだまま、何も反論はしない。
(少しは元気になってきたかと思ったけど、力仕事になると仕方がないか…)
リカルドが、水筒の水を持ってゴナンの方に行った。「飲む?」と差し出すも、ゴナンは無言で拒否する。手で顔を隠しているので表情は分からないが、悔しそうなオーラが全身から出ていた。
ふう、と一息ついて、リカルドはみんなに呼びかける。
「いやいや、この装備でここまで掘れるのは、すごいですよ。急ぐ必要はあるかもしれませんが、慌てずいきましょう」
「なんだか、下の方の土がしめっている気がしますね。気のせいかもしれないけど」
アドルフも、疲れ果ててはいるもののワクワクとした声で話しかける。
「そうだな、気のせいかも知れないけど、湿気がある気もするような、しないような」
長兄も同意する。
「明日が楽しみだ」
オズワルドのその言葉に、兄弟達ははっとした。明日が楽しみ、ずいぶん久方ぶりの、感覚だ。
* * *
それから毎日、井戸掘りは続けられた。穴に入れるのは2名でいっぱいなので、兄弟とリカルドの6名が順に交代で入っていく。
最初こそ半日しか体力が持たなかったゴナンも、日が経つにつれ、少しずつ動ける時間が増えてきたようだ。何より、ふらついて周りが助けようとしても、それをよしとはしなかった。
(意外に、負けず嫌いなのかも)
リカルドはまた微笑んで見守っていたが、ゴナンにはそれが心地悪そうだった。
数日後、穴が3メートルほどの深さまで達した頃だった。まだ午前中、穴の中でオズワルドとアドルフが作業中、双子は別の用事でその場にはおらず、ゴナンとリカルドが穴からの土をすくい上げる作業をしている。
「…おい、何をやっているんだ?」
不意に、穴の外の2人に声をかけて来た人物がいた。振り返ると、村人の男性が立っている。その奥にも、数人の人影。
(おっと、これは…)
リカルドは穏やかな笑顔を作って、村人の方へと歩み寄った。ゴナンはその影で様子を見守っている。
「こんにちは、私はこちらを旅で訪れている、リカルドと申します」
「知ってるよ。ユーイさんのところの客人だろう?」
「実は、こちらに井戸を作りたいと思って、ユーイさんの息子さん達にお手伝いをお願いしているところなのです。もし水が出れば、皆さんで使うことができる井戸です」
リカルドは極力、丁寧に説明をした。少なからず反感を持たれているのを、肌でビリビリと感じる。
「…水が出るわけないじゃないか、占い師がいないのに」
男性はそう断言した。
「…いえ、恐らく、この地帯は涸れた泉とは違う水脈が入っているので、まだ水が出る可能性が高くて…」
論理的に説明をして理解を得ようと努めるが、村人達の耳には入らない。
「そんな無駄なことをしても、意味が無い」
「周りはこんなに枯れ枯れとしているのに、水が出るわけがない」
「それよりも、食糧を探しだしてきてお屋敷様に渡して、水と交換してもらった方が早いじゃないの」
「こんなときに、こんな無駄な作業に力を使ってどうするんだ」
「ユーイさんの息子さん達を酷使しているんじゃないのか?」
次々と飛んでくる否定の言葉に、リカルドはぞくりとした。
今まさに飢えて命すら危うくなっているこの状況で、なぜこの村人たちは井戸を掘ることをよしとしないのか、彼にはまったく理解ができない。よそ者排除でもない、お屋敷様への信仰でもない、これは…?
困ってゴナンの方を見るが、ゴナンも釈然としない表情だ。
「ちょ、ちょっと、皆さん、落ち着いて」
アドルフが慌てて穴から登ってきた。
「ご心配なく、私たちはリカルドさんに騙されている訳でも、労働を強いられているわけでもありませんから」
「でもアドルフ、こんな大変な作業をやらされていて…」
「聞いてください、みなさん、このリカルドさんはね…」
アドルフがリカルドの腕を引いて自分の横に連れてくる。そして少し言葉をためて、仰々しく…。
「彼は、他所の街から来た占い師なんですよ。この村のこの場所に水が出ると占いに出て、はるばるここまで旅をして来られたんです」
「えっ、あれっ?」
思わぬ紹介にリカルドは驚いたが、アドルフが目線で「このまま」と言っている。
「私たちも、その占いに沿って動いているだけなんです。なんでも我々兄弟達が作業することが、水が出る条件だとかで」
そんな話が通じるものか…、とリカルドは見守ったが、村人達の表情は変わった。
「なるほど、そういうことか」
「それならば、きっと水は出るのかもしれない」
「占い師だったとは…。だから村のあちこちを見て回っていたのだな」
先ほどまでの警戒の目線から一転、信頼の眼となってリカルドに向けられる。
「…あ、ああ、そうです。正体を隠していて失礼、しました………?」
ドギマギしながらリカルドも答える。占い師のような振る舞いをした方がよいのだろうか、というか占い師のような振る舞いとはどんなものだろうか…。ちょっと背筋を伸ばして威厳のありそうな表情をしてみたりしたが、後ろでゴナンが、肩をふるわせているようだ。
オズワルドも穴から登ってきた。
「内緒にしていて申し訳なかった。以前の占いの時のように水が出ないこともあり得るから、あまり期待させすぎたくなかったんだ」
そういう長兄の言葉に、善良な人々はうんうんと頷いた。
そして、村人達は「応援しているよ」「何かできることがあったらいってくれ」などと納得して、引き上げていく。
どうやら、あっという間に事は収まったようだ。リカルドはしばしぽかんと、彼らの後ろ姿を眺めていた。
「…さ、占い師さん、続きをしましょうか」
アドルフがいたずらっぽく笑った。
* * *
夜、南の空には彼方星。相変わらず雲一つ無い。
その空と星の下、テントの外でリカルドとアドルフが、今日の出来事について語り合っている。ゴナンもその横で話を聞いていた。今日はお酒は飲まないようだ。
「…学術的な裏付けや論理的な説明よりも、占いの方が信じられるんですね」
「まあ、こんなものですよ、この村では」
原因がある事象は理解しようとしないが、原因がわからない不思議な事象には理解を示す。そんな今日の反応を、リカルドはとても興味深く感じていた。いや、鳥を見た者に不幸が訪れるだの、卵を得た者の願いが叶うなんて伝承も、根本はそういうことなのかもしれない。
(そうなると、やはり伝承は伝承でしかなくて…?)
「…明日は、占い師の服装をするの?」
ゴナンが、楽しそうにリカルドに話しかけてくる。
「ゴナン、あのとき笑ってたね…? 気付いてたよ」
「ふっ、だって、なんだか急に占い師っぽく振る舞い始めるから、くくっ…!」
たまらず思い出し笑い。ゴナンと出会って数週間が経つが、一番の笑顔を今日見たかもしれない。
「ゴナンは、占いは信じないの?」
「うーん…」
ゴナンはアドルフの方をチラリとみる。
「…兄ちゃんがいろいろ教えてくれていなかったら、信じていたかもしれないけど…」
アドルフはリカルドと目線を合わせる。
「まあでも、俺が信じようが信じてなかろうが、関係ないかな。結局、水は出るときは出るし、出ないなら出ないし」
「そっか。占いとか、言い伝えとか、信じたいとは思わない?」
「信じて、腹が満たされるのなら信じたいけど、多分、そうじゃないから」
村の人々とこちらの家族とは、現実の捉え方が根本的に違うのだと、リカルドは改めて感じた。
「…ところで、お屋敷の方は、何か妨害をしてくるでしょうか?」
「いや、恐らくそれはないでしょう」
リカルドは懸念をアドルフに尋ねたが、あっさり否定した。
「前に兄も言っていましたが、お屋敷の外のことと中のこととは、何の関わりもないのです、あそこは。気にはするかもしれませんが、特にリカルドさんが関わっているとわかれば、何かをしてくることはないと思います」
「そうですか…」
リカルドは、よいしょ、と横になって星空を見上げた。
「雨が降らないから井戸を掘る、それで水が出たら命が助かる。それだけのシンプルなことなんですけどね」
命の危機すらある中で村人達が何を恐れて、何を否定したがっているのか、その像がリカルドには全く見えなかった。
* * *
翌日からも問題なく、井戸掘りは進められた。ただ、少し状況が変わった。
噂を聞いた村の人々が「占い師」リカルドに、様々な相談事を持ってくるようになったのだ。無下にもできず、何となくそれっぽくアドバイスをしていると、さらに人が人を呼ぶ。井戸掘り現場は集落からは少し離れており、まともに食べていない人々が体を引きずってやってくるものだから、結局リカルドは数時間、集落の中心部に滞在することになった。
(僕が占い師のまねごとをするなんて、何の因果か……)
リカルドは自身の故郷を思い出していた。そこにも占いを生業とする婆がいたのだ。
「人手が必要なときなのに、申し訳ない」とリカルドは兄弟達に謝るが、そもそもこの状況はアドルフのせいだったような気もする。
「いやいや、もう穴も狭くなって、同時に動ける人数に限りがあるし、問題ないですよ。勝手がわからないこともあるかもしれませんから、アドルフを連れて行ってください」
オズワルドが笑顔で2人を見送った。
人が隠れるほどには穴が深くなってきたが、まだ水が出る気配はない。ランスロットとリンフォードの双子が穴の中で掘る作業を、オズワルドとゴナンが外から紐に結んだバケツを垂らして土を外へ出し、石を降ろす作業を担当する。無言でひたすら、土を掘り、外へと出し、石を降ろす。穴が深くなるにつれ、土を汲み上げる作業の負荷が重くなってくる。
「ゴナン、きついなら無理しなくてもいいぞ」
オズワルドがゴナンの様子をみてそう声をかけるが、ゴナンは無言で首を横に振った。そして、紐を懸命に引き上げる。ふらついてはいるが、きちんとやり遂げるのだ。
「……」
その様子を見守っていたオズワルドだが、ふと目線をその向こうへと遣った。ゴナンも気付いて、兄の視線の方に顔を向ける。
そこには、お屋敷様のところでいつも門番をしている壮年の男性の姿があった。少し遠くから、兄弟達の作業の様子を見ているようだ。何か声をかけられるのかと2人は身構えたが、男性はそれ以上近づいてくることはなく、いつもの厳しい表情のまま、無言でその場を離れる。
「…様子を見に来ただけ、のようだな。まあ、何かしてくることはないだろうさ」
「井戸の水が出たら、お屋敷様はどうなるのかな?」
ゴナンが珍しく、オズワルドに話しかける。普段は本当に、上3人の兄とは必要最低限の連絡事項以外しゃべらないのだ。オズワルドはそのことに少し驚きつつも、そうだな…、と答えた。
「多分、どうもしない、だな。元々、俺たちが水と交換に行っている食材がなくても別ルートで仕入れているようだし、彼らが何か困ることはないだろう。泉に水がある頃と、同じさ」
「でも、泉の水は濁っていたけど、この井戸の水は透明な水かもしれないよ」
「そうなれば、俺たちが嬉しいというだけさ。どのみち、ここの水で畑までまかなえるかも分からないしな」
そうしてオズワルドはゴナンの頭を撫でようとしたが、その手を止めた。弟がもう15歳であることに、気付いたからかもしれない。
「そういうのを」「取らぬ狸の皮算用っていうんだぞ」
休憩のために穴から登ってきた双子が、ゴナンに声をかけた。ゴナンはうん…、と声にならない相づちで応えてそっぽを向く。
何歳になっても、ゴナンは兄たちの中で特にこの双子が苦手なのだ。何を話すにもからかってきて、やり込められる。そこに反抗したことすらなかった。
「弱っちい上に」「暗いな、ゴナンは」
今日も、ゴナンの反応の薄さに、2人はさらにからかう。オズワルドがこら、とたしなめた。
「お前達はもう、いい大人なんだから…。弟を苛めるな」
「こんな弱っちいこいつが生きていけるなら」「俺たちだって、この土地でもしっかり生きていけるんだから」
双子の強い言葉をオズワルドは制止した。
「井戸はあるにこしたことはないんだ。自分たちが丈夫に生まれたからって、あんまりゴナンをからかうなよ」
長兄らしい威厳を持ってしめた。双子はふてくされて、休憩のためにその場に腰掛けた。ゴナンは無言だった。
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