地学部合宿会 第13話
中村君は僕の斜め左後ろにいる。此花先輩は僕の約正面。背の低い中村君は、僕の影の隠れて目に付かず、手前にいる僕を指名するに違いない。きっと、中村君もそれを狙って、僕の後ろにいるんだ。
僕の悪い予感は当たった。此花先輩は、次の発表にたまたま目が合った僕を指名した。
「それじゃあ、次は中田君言ってみようか」
「は、はい……」
この空気の中発表するのは嫌だな。それもこんな平凡な石を見せるためだけに。こんなことになるのなら、もっと真面目に、ちゃんとした石を探しておけばよかった。テキトーにその辺にある石を持っている僕は、石川先輩がしていたことと何にも変わらない。今日一日どうした本当に。後悔しかしていない。今日は本当に厄日だ。何でこんな日に合宿になってしまったんだろう。ああ、そうか。運に常に見放されている僕だから。これが当然の結果というやつか。
嫌なことがあっても必ずいい日は巡ってくるっているけど、僕の経験ではそう思ったことはない。嫌なことが続いて、たかがアイスの棒一本当たっただけでは本当にいい日だとは言えないと思う。仮に普段の精神状態を五十としよう。今日みたいに嫌なことが三つも続いて三十マイナスにして、二十。アイスの棒が当たってプラス十で、合計三十。連日そんなことが続けば、借金は増えるばかりで減りはしない。借金を一括で返せるようないい日は、今の今まで巡ってきたことはない。溜まりに溜まった借金のせいで、いいことを見逃していることはよく分かっている。でも、いいことの判断ができないのだ。その先にもっと嫌なことが待っていると考えると、少しでも身を守ろうと消極的に動いてしまう。運の悪い人間はこんなものだ。だから卑屈な人間が生成される。何度も何度も自分を嫌になった。その度に自分はこんな人間だ。高みを望むのは畑違いだ。平凡で何もない穏やかな人生しか歩めない。割り切ってそう言い聞かせていた。
だけど、この空気は違う……こんな空気で発表したくない。
黙り込んでいる僕にみんなの視線が集まっていた。早くしろと言わんばかりの目も少なからず感じていた。
開口一番にはなんて言おう。岡澤君はなんて言っていたかな。確か、「僕が見つけた石は」から始まって、石の名前を多分と付け加えて言っていた。僕の場合は石川先輩に事前に名前とかを聞いているから確定してもいいのだろうか。それとも無難に乃木先輩のように「この石です」とだけ言って見てもらおうか。それで静まり返って余計に視線を集めるのは避けたい。ここは石川先輩を巻き込みつつ話してみよう。
「ぼ、僕は、この石です。事前に石川先輩から石英と教えてもらいました……」
僕の発表を聞いて、みんな余計に静まり返った。
先輩の背後で浜に打ちつける波の音が、さっきよりも余計に響いていた。それを耳に入れた瞬間、僕の発表は失敗したんだと実感した。もう帰りたかった。何なら、浜辺を大声で叫びながら全力疾走し、誰もいない場所まで逃げたかった。
薄々は感じていたけど、此花先輩と石川先輩は、僕がどんな石を持っているのか事前に知っていたから、そもそも関心を持たれることはないし、乃木先輩や大原先輩や楠木先輩は、同じ天文班だから石のことはあまり興味なさそうだし、唯一、僕が持っている石が石英だとは知らない山本先輩が頼みの綱だったけど、全くと言えるくらい興味なさそうにしていた。山河内さんや堺さんは僕と同じ天文班だし、地上班の中村君は最初から地震の研究一筋だし、岡澤君は言うほど石に詳しくないし。もう、僕を助けてくれる人はいない。
僕は一体どうしたらいいんだろうか。何も言わずにただ両手で石を持っているだけのこの時間。もう勝手に終わっていいかな。終わりの挨拶的なものは必要なのかな。締めの言葉なんて僕に考えられるわけがない。もうそのままポケットに石を片付けて中村君と位置を変わろうか。それが最適だな。
そう考えて、僕がポケットに石を片付けようとしていると、山河内さんが僕の手を掴んだ。そしてこう言った。
「ねえ、もっとじっくり見せてもらってもいい?」
普段と何も変わらず話しかけてくれていることに驚き、僕は固まっていた。
「綺麗な色しているね。少しだけ借りてもいい?」
「……ああ、うん」
トイレの前で行われたことを、気にしているのは僕だけなのだろうか。あんな態度をとっていたのに、僕の気にしすぎだったと言うのか。だったら、何であんなに冷たい態度をとったのだ。山河内さんにとっては何でもない態度なのかもしれなけど、僕にとっては今後の在り方まで考えなければならなくなるくらい、心に傷ができたと言うのに。山河内さんは能天気だ。それは初めて出会った時からずっとそうだった。そんなところも可愛いと思っていたけど、今はただただ気まずい。毎度毎度、本当に反応に困る。今だってそうだ。この後、僕はどんな態度で山河内さんと接すればいいんだ。山河内さんみたいに普段と何も変わりなくできればいいが、それができるのならば、そもそもここまで悩んでなんていない。できないから悩んでいるのだ。はあ、もう本当に帰りたい。帰って、今日一日をなかったことにしたい。家で平和に過ごしてた昨日までのように過ごしたい。
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