天国への階段の8段目
昼食後、一息ついてると佐藤さんが話を切り出してきた。
「では、種田さん。いまからすこしお勉強をしましょうか」
「……勉強ですか?」
「えぇ。種田さんには裁判官として採用させてもらいましたが地獄の歴史や文化、常識の擦り合わせが必要だと判断させてもらいました。ですので、擦り合わせのためのお勉強、ということです」
「あぁ、わかりました。さすがにここで勉強はきびしそうですが……」
「こちらで部屋は用意させていただきます。では移動しましょうか」
そういうと佐藤さんはタブレットを起動したかと思うとなにかを申請しているようだった。
勉強か……あまり自信のない分野だ。
◇◇◇
しばらく廊下を歩くとひとつの扉の前に立ち止まった。どうやらここが目的地の部屋らしい。
「では、入りましょうか」
佐藤さんが、扉のノブに手をかけ捻るとその先には真っ白な空間があった。
部屋と言っていたが、空間といったほうが正しいだろう。なんせ見渡す限り壁の仕切りが見当たらず無機質な空間で、目の前には机と椅子が向かい合うように2卓ずつ置いてあった。着席するよう促され、席につくと佐藤さんが呼び鈴を鳴らした。
しばらくすると扉が開き、一人の女性が凛、とした姿で現れた。黒のセミロングにロングスカートのメイド服。端からみてもとても似合っていて、控えめにいっても清廉で潔白な印象を受ける。
「私、佐野と申します。この部屋を担当させていただいているものです。お時間は1分感覚でよろしいですか?」
1分感覚とはなんだろう、と疑問に思うと佐藤さんが教えてくれた。この部屋の中では時間の流れを設定できるようになっていて、1分感覚だとこの部屋の中で1日時間が経っても外では1分過ぎたことにしかならないらしい。
「種田さんは飲み物は何がいいですか?」
「あ、じゃあコーヒーでお願いします」
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
佐野さんにコーヒーを頼むと、用意をするためにそっと部屋から出ていった。ふと、疑問が浮かんだので佐藤さんに質問を投げかけることにした。
「そういえば、佐藤さんって通常業務は何をやってるんです?俺の担当なのはわかるんですがそれ以外なにしてるのかがよくわからなくて……」
「私の通常業務は、閻魔様の補佐でしたり獄卒の新人教育などを承ってます。まぁ、企業等ですと中間管理職あたりに属するかと」
「中間管理職ですか……それはご苦労さまです。閻魔様の補佐もやられてるんですね。なんというか意外です」
「……あの方は、先ほども見られたようにワーカーホリック気味ですから。休憩する際には、半強制的に連れ出すようになってるんです」
佐藤さんに心の中で合掌していると、佐野さんが2人分のコーヒーを銀の盆に載せて持ってきた。
「お待たせいたしました。こちらコーヒーです。ミルクと砂糖はこちらです。佐藤さんはいつものでよろしかったですか?」
「はい、大丈夫です。いつもありがとうございます。佐野さん」
「いえいえ、おかまいなく」
それでは失礼します、とお辞儀をし佐野さんは部屋から出ていった。部屋内にはコーヒーのいい香りが漂い、先ほどより気持ちが落ち着いてきたのを感じる。コーヒーを一口啜ると、苦味と酸味のバランスがとてもよくクセになりそうな味だった。
「では、種田さん。始めましょうか。まずは歴史からーーー」
◇◇◇
……久々だ、こんなに疲れたと感じるのは……それに佐藤さんが、なぜこの部屋を選んだのかもよくわかった。人間の脳味噌に記憶させるのは思っていた以上に労力が伴う。今は近代まで教えてもらいそれを反芻して頭に刻み込んでいる最中だが、すでにパンク寸前だ。
「さぁ、種田さん。歴史 は教え終わりました。次は判例と刑罰等を覚えてもらいます。とりあえずここ500年分の判例が載ってますので、コレを全部記憶してください。記憶が終わったら覚えているのか確認のためテストを受けていただきます」
佐藤さんの背景に某探偵モノに出てくる大きな本棚と思わしき棚が大量に出てきた。‥‥‥もしやこれ全部覚えるの?
Sだ。この人絶対にSだ。終わらないと解放してくれないだろうしやるしかないのか……はぁ辛い……
◇◇◇
「歴史に関しては大まかにはできてますね。判例に関しては及第点といったところです。お疲れ様でした」
試合後のボクサーのごとく、真っ白に燃え尽きた。
比喩表現ではなく本当に、天から迎えがきた感覚に見舞われてしまった。
「今後は、定期的に抜き打ちでこのテストをしてもらうことになりますので。それではしばらく休憩です」
佐藤さんは呼び鈴を鳴らすと佐野さんを呼び、何か話しをしていた。しばらくすると佐野さんが小さな小瓶に入った液体を持ってこっちに渡してきた。
「ご苦労さまです。こちらドリンク剤です。よかったら」
あぁ、天使だ。天使がいる。コレを飲めばこの疲れがとれるんだろうきっとそうだ。そうなんだ。そうしていると金属のキャップを外し一気に流し込んだ。
あまりの不味さに意識を飛ぶのを感じながらーーー
「‥‥‥はっ!?何が起きた?」
気がつくとベッドの上に寝かされていた。周りを見ると薬剤の瓶や医療器具が見られるのでおそらく医務室か何かだろう。枕元には佐藤さんがいた。
「あっ、起きましたか。種田さん、ドリンク剤を飲んで意識を飛ばしたんですよ。天国への階段を2段飛ばしで8段目まで登ってました」
あれほど不味い飲み物は生まれてこのかた口にしたことがない。不味いもう一本とは絶対にならないだろう。人によってはトラウマに残る、そんな味だった。
「あのドリンク剤は種田さんにはまだ早すぎたようですね……今後は希釈して飲むのをお勧めします。それと、あのドリンク剤の副作用で種田さんの体は血の池や針山に堕ちても死ねなくなってます。まぁ、わかりやすく言うとゲームの最終決戦の際のバフですね」
あの不味いドリンク剤にそんな副作用が発生するとは…地獄に堕ちても死ねなくなったのはまぁよかったのかなと思えてしまう自分がいるのに驚く。
「……ちなみに痛みは感じますので無茶しないように気をつけてくださいね」
‥‥‥‥うん、無茶はしないでおこう。痛いの超やだし。
ちなみに閻魔様は忙しい時はあのドリンク剤を常用してるようで、本人はあの味をいたく気に入ってるらしく新しいフレーバーの開発にも携わっているらしい。新作は獄卒の皆さんがテスターになってるようだ。……考えたくはないのだが今後は俺もそのテスターの頭数に入っているのは事実のようだ。
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