第13話 ある少女との出会い

リオネル様が討伐に出発し、私はなんとなく落ち着かない日々を送っていた。ちゃんとあのリボンには効果があっただろうか、怪我をしていないだろうか。

針を進めていてもふとそんな心配が頭をよぎる。

おかしいな、以前は針を持ったら余計な考え事など頭からすっかり消え去っていたのに。


「よしっ。できあがり」


私はレンゲの花のモチーフを刺し終えて深く息をついた。レンゲは「解毒のポーション」のモチーフだ。魔物のなかには毒を持つものもいるし、一般的な病気の治療にも解毒のポーションはよく用いられる。だから早々にこのハンカチを仕上げたかった。

何かに気を取られていても、手を動かし続けてさえいれば意外と作業は進むものだ。

私はハンナに共を頼んで神殿に向かった。もちろん護衛の騎士さんも一緒だ。フェルドとニエべは今回の討伐隊に組み込まれているので、今日の護衛は第三騎士団の他のメンバーに頼んでいる。リオネル様よりもやや年齢が上の、筋骨隆々な男性二人だ。

筋肉というのは素晴らしい。栄養がある。見ているだけで元気になる。

神殿の薬草畑も春の柔らかい陽光を受けて若草色に揺れている。そういえばお茶の時間だなぁとか考えながら、私はしばらく薬草畑を眺めていた。


「きゃあっ。虫が……」


背後から小さく女性の悲鳴が聞こえた。振り向くと年若い女の子が尻餅をついていて、お付きの人たちが慌てて起こしては怪我などがないか確認していた。


「だから申し上げたではありませんか。畑には虫がおりますって」

「でも……もう少し薔薇の葉を観察したいわ」

「なら一枚いただいて参りましょう」

「だめよ。みだりに神殿のものを持ち帰ってはならないわ。ここにあるものはすべて女神様のものよ」


よくよく耳をそばだててみるとどうやら彼女は薔薇の刺繍をしているそうで、薔薇の葉を刺すにあたって実物を観察したかったようだった。


「あ、あの」


少女に声をかけたのは何故だったのだろうか。同好の士が欲しかったのだろうか。リオネル様が討伐に出掛けてしまっていつもと違う心理状態になったのだろうか。


「いきなり声を掛けてごめんなさい。よかったら、貴女の刺繍のお話を聞かせてもらえると嬉しいのですが……」


お付きの人たちは唖然とした表情をしたけれど、当の女の子は可憐な笑顔で「まあ、貴女も刺繍をなさって?」と応じてくれた。


私と尻餅の少女ーーデルフィーヌは神殿の大礼堂のベンチに座っておしゃべりをすることにした。この時間は礼拝に訪れる人が少ないからだ。実際にこの空間には私とハンナたちの一群と、デルフィーヌ様のお付きの人たちしかいない。


「ユーリのサテン・ステッチは美しいわ。糸が艶々として輝いてるもの。わたくしはどうしても途中でステッチが傾いてしまって……」

デルフィーヌ様が私が刺繍したレンゲのハンカチを眺めてため息を漏らす。これは文様のおまじないがかかったものではあるが、魔力を流したりしなければただの刺繍のハンカチである。

そして刺繍沼の住民として全力を注いで針を刺しているので、見る人の目を楽しませるレベルには仕上がっている。


「分かるわ。私も最初はそれで何度も糸を解いたもの。でもガイドの糸を事前にたくさん入れてから刺したらすぐに上達するわよ」

「そうよね……わたくしったら、針を入れようと思うと気が逸ってしまうの」

「身につまされるわ……それで刺している箇所ばかりに目が行ってしまって全体像が見えなくなっちゃうのよね」

「そう、本当にそうなのよ」


デルフィーヌ様は鈴を転がしたような声で笑った。緩やかなウェーブがかかった金髪に水色の瞳。紺のデイドレスはシンプルなデザインながらもデルフィーヌ様の上品な美しさを最大限に引き出している。

お付きの侍女や護衛の人たちを見ても、彼女が良家の令嬢であることは明らかだった。しかし彼女は家名を名乗らなかったので、特に詮索はしないでおく。

どうせ聞いてみたところで私にはどんなお家か分かりはしないし、刺繍トークさえできれば出自など瑣末なことだからだ。


「ねぇ、ユーリ。良かったら今度、刺繍をしながらお茶をしない?」

「ええっ?それってすごく素敵!」


こんなに可愛い女の子と紅茶を楽しみながら針を刺す……それって絶対に楽しいじゃない?素敵がすぎるじゃない?

私には断る理由などどこにもなかった。

私たちは日にちと場所を決めて今日は別れることにした。陽はすでに傾きかけていてデルフィーヌ様は門限が迫っていたからだ。私も神殿長にハンカチを届けなければいけない。


「おじいちゃ〜ん」

「おりゃ、ユーリちゃんは随分とご機嫌じゃの〜」

「うっふふ。お友達ができちゃって」

「そりゃあ素晴らしいじゃないの。そういうの聞くとワシも嬉しくなっちゃうのう」


お婆様も今は刺繍をなさらないから、語り合える友達がてきたのはすごく嬉しい。

うきうきしたまま神殿長と次のハンカチのデザインを決めて、ブランナシージュ邸に帰った頃には夕食の時間だった。ディナータイムの話題はもちろん、新しい友達の話だ。


「お婆様、今日はデルフィーヌ様というご令嬢とお友達になりました」

「あら、もしかして水色の瞳の?」

「はい、そうです。ゆったりしたウェーブがかかった金髪に、水色の瞳をした女の子です。お婆様のお知り合いでしたか?」

「ええ、よく知っているわよ。ちょっと引っ込み思案なところがあると聞いていたけれど……ユーリちゃんがお友達になってくれたのなら嬉しいわ」

「えへへ。今度一緒に刺繍をすることになったんですよ」

「まあ〜それは良いわね」


私は当分の間、刺繍のスピードを上げることにした。もちろん質を落とすようなことはしない。これまで以上に集中力を引き上げて運指に没頭する。


「ユーリ様、また倒れてしまわれますよ。そんなに根を詰めないでくださいませ」

「大丈夫よ。ちゃんと魔力をコントロールしながら刺してるからそれほど無理はないの」

「何故そこまでなさるのです?」

「何故って……おまじないのハンカチを納めるのが遅れたら困るじゃない?デルフィーヌ様とも刺繍をするわけだし」

「もしかして、デルフィーヌ様とはおまじないのハンカチとは別に刺繍をなさるおつもりですか?!」

「当たり前じゃない。デルフィーヌ様とは趣味の刺繍がしたいの!」

「お仕事の刺繍の合間に趣味の刺繍をなさるなんて……」


ハンナが「恐ろしい」と身体を震わせた。失礼しちゃうわ。

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