第12話 三徹はキツいって
私はお出かけの翌々日、神殿に来ていた。出来上がったハンカチを届けなければならなかったし、神殿長に相談したいこともあったのだ。
「そんなわけで、騎士団の皆さんはそもそも怪我をしなければいいんじゃないかと思って」
「なるほどのぅ」
リオネル様とはカフェでいろんなお話をした。
特に心に残ったのは彼の仕事の話だ。自分もブラックな職場にいたせいか、私はなぜ彼が何日も家を空けなければならないのかが気になった。王都の外に討伐に出かけるにしても、不在の日が多すぎる。
そこにはポーション不足がまだ尾を引いていた。
騎士には討伐に出られない日が多い。魔物は危険な存在であり、一度討伐に出れば怪我を避けて帰ることは難しい。騎士は討伐に出ては怪我をして帰り、しばらく療養したりポーションで回復を早めてはまた討伐に出る。
そのサイクルでもかつては王国の治安を守ることができていた。しかし、ここ数年瘴気が濃くなってからはそれでは間に合わなくなっていた。騎士の怪我が癒えるより早く魔物の数は増え、人々の生活を脅かすようになったのだ。
ポーションが余るほどあれば、騎士だってすぐに回復してまた現場に向かうこともできただろう。しかしポーションは最近ようやく最低限の量が確保できるようになったばかり。
皺寄せは自然とリオネル様のような強者へと向かった。彼は単独で討伐に向かうようなことはしないまでも、夜な夜な王都の周辺をパトロールしていた。王都周辺の治安は第二騎士団の領分だったが、そちらも有事に対応できる人数が減っていたのだ。
リオネル様は魔物が王都に入り込まないように睨みを効かせ、休みもなく孤独に王都を守っていた。
先日のお出かけはポーションが出回り人手不足が解消されたおかげで実現できたことだった。リオネル様にとって久々の休日だったわけである。
「聖女の力で瘴気を消すことはできるけど、増えてしまった魔物を減らすことはできないんですよね?」
「そうじゃのう」
「じゃあやっぱりそこは騎士の皆さんに頑張ってもらうしかないんですね」
「騎士と聖女では戦い方が違うということじゃの。そこは彼らを信頼しなされ」
「信頼はしてますよ。でもこの状況をもっと早く改善したいんです」
第三騎士団はまたもうすぐ討伐に出る。そうしたらリオネル様もフェルドもニエべもまた少なからず傷を負う。
いや、怪我することが当たり前な職場っておかしいよね?ブラックどころの騒ぎではないのでは?私なら出勤前におなか痛くなっちゃうよ。
「怪我をしても瞬時に治るような文様だとか、せめて痛みを感じないようになる文様だとか。とにかくそんなハンカチを騎士の皆さんに配りたいんです」
「痛みを感じなくなるのはヤバいんじゃないかのう。それに男女間でハンカチをやりとりするのは特別な意味があるからのう〜、聖女とはいえそれはやめた方がいいんじゃないかい」
……誤解を起こすようなことはやめた方がいいね。じゃあ私にできることって何もないのかなぁ。
大きくため息をつくと、神殿長はにんまりと笑った。
「なあに、やりようはいくらでもあるわい」
私と神殿長はその後、文様の図案集を囲んで話し合った。聖女には聖女の戦い方がある。私の刺繍針では魔物を倒すことはできないけれど、きっとできることがあるはずだ。
騎士団が討伐に出かける前日の夕方のこと。リオネル様はブランナシージュ邸へとやってきた。
「あらまあ、討伐前に公爵邸に顔を出すなんて珍しいわね。わたくしとしては、もっと頻繁に帰ってきてくれて構わないのだけど」
お婆様がおっとりと首を傾げて、リオネル様がにっこりとそれを受け流した。私としてはお婆様の気持ちも分かるしリオネル様が抱えている状況も分かる。
嫁の立場としてはスルーが最善の反応だが、私には確かめたいことがあった。
「おかえりなさい、リオネル様。今日は何かありましたか……?」
「ただいま、ユーリ。今日は団員と……」
リオネル様が口を開きかけてお婆様がそれを止めた。
「リオネルったら、せっかく夕食の時間なのですから立ち話はおやめなさいな。ほら、貴方の分の夕食も用意させますから早く着替えていらっしゃい」
「すみませんが、夕食だけいただいたら私は寮に戻ります。ここで夜を過ごしたら明朝の出発に間に合わなくなりますので」
「ああ、そばにいてくれない孫を持って、本当にわたくしは悲しいこと」
そういいながらも、お婆様はいそいそと厨房に向かっていった。
リオネル様は私に向き直ると、懐から銀のメダルを取り出した。それは女神の姿が彫られたものだ。ベルトなどに取り付けられるようにメダルの端には穴が開けられ、麻のリボンが結ばれている。
「今日、第三騎士団全員が神殿で祝福を受けるようにと上から指示があってね。これはそのときに神殿でもらったものなのだけど」
「女神のお守りですね」
「神殿長にはこれを討伐の際に肩身離さず身につけるようにと言われたんだ。このリボンも特別な女神の祝福を受けたものだから、決して外すことのないようにと」
丈夫そうな麻のリボン……その両脇にはおまじないの陣を成す模様が刺繍されており、その間には十枚のヒイラギの葉が鮮やかな緑の糸で縫い取られていた。
「これは、貴女が……」
「そうですね。私が刺しました。趣味なので。ただの趣味なので、この刺繍には特別な効力はありませんが」
私はちょっとすっとぼけてみる。表向きには、私の刺繍はただの刺繍だ。騎士たちもそう思っているだろうし、何かのご利益があったとしても女神のメダルのおかげということになるだろう。
私の意図を察してか、リオネル様はちょっと笑った。
「じゃあ、このメダルに聖なる力があるとして……ユーリはどんな力だと思う?」
「うーん、どうでしょう。リオネル様を守ってくれる力、とか?」
「それはすごいね。もしかしてユーリは私を守りたいと思ってくれたの?」
「別にっ……そういうのではなくて」
「だって、私を守る力って」
「なんですか、もう。リオネル様ったらニヤニヤして。私は誰かが怪我をするのは嫌だなって思っただけですよ!」
リオネル様がこちらを覗き込んでくるので、私は思い切り顔を逸らした。
ヒイラギの葉。それは「防御」の力を持つ文様だった。騎士たちに「そもそも怪我をさせない」ために、もっとも適したモチーフがそれだったのだ。
問題は何に刺繍をするかということだった。ハンカチを騎士たちに贈ることはできないし、大物を刺している時間もない。
だから私は神殿長と相談して、リボンにヒイラギを刺繍することにした。これならメダルのおまけだと言い切ることもできるからだ。
「ただの趣味だから別に特別な意味なんてありませんってば」
「ふふっ、本当に?」
「そのリボンは先日グエルゴ商会で買っていただいたものですから……そう、ただのお礼の品です!」
「お礼かあ。お礼にこんな素晴らしい意味を込めてくれるだなんてね」
「んもう!」
しばらく言い合っていると、お婆様がそれを笑顔で嗜めた。
「あらあら、二人ともじゃれ合って。もう夕食ができたようだからそれぐらいにね」
じゃれあいではないです!そう主張したかったけれど、お婆様には届きそうにないので諦めた。
リオネル様はご機嫌で食卓につき、食事とお婆様との会話を楽しまれて寮へと帰っていった。
私はというと、夕食をいただいて早々侍女のハンナにヘルプを出した。今の私はお腹がいっぱいになってはもう立っていられない。
私は第三騎士団メンバー全員分ーー三十一本のリボンを二日と半日で刺繍した。刺繍面積が狭い分効力が低くなっても困るので、リボンにはみっちりと隙間なく針を刺した。三日徹夜をして、出来上がってすぐに神殿へと届けさせた。ブラック会社時代を思い出すようななかなかのハードスケジュールだった。
今日の懸念は「無事に第三騎士団の祝福に間に合い、みんながそれを手にすることができただろうか」というものだった。でもリオネル様が現物を見せてくれたので安心だ。
だから三徹して心配ごともなくなり、さらに満腹になった私の身体には強烈な睡魔が襲いかかってきている。
「若奥様っ!少々お待ちくださいませね?!」
ハンナが私のドレスを超特急で脱がせてネグリジェを頭から被せる。私はそのままベッドに倒れ込み、気絶するように眠りに落ちたのだった。
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