第80話

無事に京でのやることを終えた僕と父上は、駿府に戻ってきた。そして、駿府は現在出兵の準備で大忙しだった。僕は研究房に行く時間などなく、兵糧などを用意したりと、遠征軍の総大将としてとても忙しい日々を過ごしていた。

しかし今回の上洛は有効だった。新たに4家との誼をつなげられたし、上杉殿は僕を高く評価してくれたみたいだ。長宗我部も僕に土佐守護補任の感謝を告げてきて、西国では現在九州を除き、平穏があるようだ。また、和泉国衆の多くは領地を失うが、将軍家の直臣になることを望み、反乱軍になることを拒否したと聞いた。これで義兄上は無事に和泉を平定できるであろう。松浦に味方する勢力は著しく減っているのだから。将軍家の力が強まった方が将軍家を支持している今川家としては多数の支援をせずに済んで楽だ。それに将軍直轄領は僕的には行きやすい。堺は会合衆が納めていたから良かったが、それ以外はやはり警戒して進む必要があった。そもそも持っている権力的に暗殺が狙われるのは日常茶飯事だったのだから。



そして準備が全て終わった僕は1554年4月、6万8千に及ぶ大軍を率いて駿府を出発した。そのまま北上して陸奥に入ると破竹の勢いで平定を進めていた。今回も反抗勢力はあったが大崎家、津軽家、南部家は今川家に降伏して主な抵抗をしたのは蘆名家、最上家、伊達家だった。そして、他の国衆らも反抗はしてきたが、今川家の精鋭に完全に負けて、今川家は広大な二国を1月もせずに占領した。更に海軍も出発して佐渡を平定した。また松前家がすでに蝦夷地にて権益を持っていたのだが、滅ぼすと同時に蝦夷地にも海軍を使用して、上陸作戦を行った。その結果、橋頭堡を簡単に築けて、そのまま僕率いる軍2万が上陸した。そのまま蝦夷地をすぐに支配した。アイヌの民族を下した。アイヌには税を納めることを条件に文化の保護を許した。そしてそのまま樺太、シベリアまで攻め入ってそこを占拠した。そこは陸奥、出羽の範囲を超えているが、僕的には必要な資源を取れる場所だったので無理くり制覇した。そこには新たな兵を駐在させる予定で、アイヌから兵士を集め始めた。アイヌの民族は寒さに強いイメージなためだ。もうすでに時期は春で5月になっていたため、シベリアはそこまで寒くなかったし、原住民はほとんどいなかった。ロシア帝国はまだウラル山脈を越えられていないようだ。少しずつだが、支配領域を広げて、シベリアを日本のものにしたい。人口密度も増えすぎないし、かなりいい方法だろう。しかし、父上に怒られる可能性があるが仕方がない。僕が欲しかった北方の全ての領域を得た僕等は、僕自ら陸奥にいて、統治作業を始めた。特にシベリアでは開発作業を行なって、少しずつだが、募集してやってきた移住民が来るようになった。冬場を前に急ピッチで進められたため、シベリアの開拓は2ヶ月後にはかなりすごくなっていた。また、原住民には寛容な政策をとったおかげか協力を得れて良かった。これで北は安定した。父上には申し開きの書状を送っておいたがどうなるのか。しかしたくさんの資源を得れて良かった。まずは開拓を始めているが、ある程度安定したら資源の発掘も開始する予定だ。後は電気を作れるようにならないと。頑張ろう。そしたらゲットした資源の価値も上がるし。







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