第8話 急病なんて聞いてない!

「遅れずに来るようにって言ったのは課長の方なのに遅くないか…?」

俺はバスのある停留所に十分早く着いて待ちぼうけしていた。

停留所には地獄走行用バス、極楽行き送迎バス、そして俺が今から運転する地獄ローカルバスがずらっと十台ほど並んでいた。俺は暇なのでそれぞれのバスを少し見てみることにした。


 地獄走行用バスは裁判のための各王庁を繋ぐバスと地獄刑場内を走るバスで別れているらしい。冥界運行が担当しているのは前者で基本亡者が乗るバスで、俺も地獄に来て最初に乗ったバスだ。今見ると血の池のような赤いカラーリングで少々不気味で運転席側をよく見ると刺々しい武器や毒々しい色のカラーボールが隠されている。鬼系で体力がある口帰課長や地獄谷さんが運転を任されている。


 一方極楽行き送迎バスの方は金色の神々しいカラーリングで仏壇の観音開きの扉に描かれた極楽の絵を思い出す。基本幼い子供と優しい老人しか乗らないためもちろん物騒なものは置かれていない。仏系で優しい印象の花園さんなどが運転を任されている。


 そして俺の運転する地獄ローカルバス。現世のバスと大体変わるところはない。地獄ではあまり目にしない青色をしていて地獄で暮らす地獄民の地域の足を担う。新人研修で使われることが多いらしい。


 そんな感じで脳内で座学研修の内容を少しずつ思い出しながらバスを見てると、やっと口帰課長が息を切らしながらやってきた。

「神無…は、早いな…!」

「いや、もうすぐ出発しないといけないんですけど!?」

「ふぅ…よし、運行研修一日目!おにーさんはちゃんと運転できるかな〜」

久しぶりにおにーさん呼びを喰らって俺の中の何かがぐらりと揺らぐが、俺は自分の両頬を手のひらでバチンと叩いて

「おっし、行きますか!」とギアを入れ直す。


 俺が運転する研修中のマークが付いたバスは停留所U字にをゆっくりと旋回を始めた。久しぶりのバスの運転。自然とハンドルを握る手に力が入る。

「ゆっくりでいいからな、運ぶのは物じゃない、命だ」運転席から一番近い席で今までにない優しい声で口帰課長が諭すようにアドバイスする。

「は、はい!」

俺の運転するバスは無事停留所を出て公道に出た。地獄は思ったより広く険しい道も多いため車の交通量も東京付近の渋滞とまでいかなくともまぁ多いと思う。

事前に地図で説明された道順をもう一度口頭で口帰課長が読み上げて俺はその通りにバスを走らせた。お客さんが乗るたび終点のバス停名と次に止まるバス停の名前をアナウンスするのが地味に苦労した。


 バスの運行も順調に進み、バス停も残すところあと二つでもうすぐ終点。「次は首池くびいけ〜首池〜」地獄の地名は怖いものが多いので初めて聞いた時はその怖さにちょっと引いたくらいだ。


 信号が赤になってバスが一時停止線でゆっくりと止まる

『ドサッ』鈍い音がバスの後方から聞こえた。

咄嗟に俺と口帰課長は後ろを振り向いた。

「おばあさん大丈夫ですか!?」乗客の仏系の男性が倒れたおばあさんに大声で声をかけているがおばあさんからは返事はおろか反応すらない上に顔が真っ青になっている。

バスの乗客は口帰課長と俺を除いで十五人ほどいる。

(バス停は残り二つ、終点まで走るか?いや乗客の方やあのおばあさんの容態がいつ急変してもおかしくない)

「神無、私は事務所の方と病院に連絡を入れる。神無は首池のバス停までバスを走行しろ」

口帰課長は冷静に俺に指示を出す。

「はい!」


 俺の身体が少し震える。いつもバスドライバーは命の責任を背負っているが今回ばかりはその意識が大きい。俺はアナウンスのマイクを握った。

「乗客の皆さん、バスが動きます。このバスは一度首池で十分ほど止まりますのでお急ぎの方は申し訳ございませんが首池でお降りなされるのをおすすめします!」当然乗客達はざわつく、「おい!俺達は歩けって言うのかよ!」と自分優先で喚く乗客、スマホのカメラで倒れるおばあさんの姿を撮る乗客。どこに行ってもいるものだと俺は反論を我慢して、首池のバス停までバスを走らせる。


 誰かの舌打ちが聞こえたその瞬間だった。

「人が死にかけてるんだぞ!お前らの時間はお前らの自由だが選択肢が二つもあるのに文句を言うならバスにはもう二度と乗るな!」

報告と救急車の手配を終えておばあさんの近くにいた口帰課長が乗客に向けて大声で怒鳴った。俺は首池のバス停にバスを停め、降車用のドアを開放する。

乗客達は静まって、呆れたようにゾロゾロと出ていく。チャリンチャリンと硬貨が運賃箱に落ちる音と足音だけが虚しく響く。


 バスが停車して二分ほどしてやっと救急車が到着した。おばあさんはストレッチャーで運ばれて行った。終点に向かうバスの中はすでにがらんとしていた。「終点、地獄東駅〜地獄東駅〜」バスが駅のターミナルに止まる。唯一バスに残った乗客のしわくちゃなおじいさんがこちらに向かってくる「お兄さん、ありがとうねぇ…この歳になると他人事には思えないんだよ、これからも頑張ってな」運賃箱に硬貨と整理券が吸い込まれえていく。「こちらこそいつもご利用ありがとうございます!」俺は声を振るわせながら頭を下げた。


 近くの口帰課長は「よくやったな神無」と肩をポンポンと叩いて労ってくれた。俺はすでに口帰課長の顔が歪んで見えるほど涙目だった。

「ん?泣いてるのか〜?神無〜?」口帰課長がニヨニヨしている。

「泣いてません!」俺が涙声で返事すると

「さっきの乗客は大丈夫だったらしいし初日からハードだったけどまぁよくやったな〜」口帰課長はそう言いながら爪先立ちで俺の頭をヨシヨシと撫でる。

「そういえば今日、新人歓迎会で飲み会があるんだが神無…来るか?」

「行きますッ!!!!」俺は水を得た魚のように飲み会に食いついた。

「あはは、まあ新人は強制参加だから安心してくれ〜」

バスの行き先表示を回送にして俺はもう一度バスに乗り込む。

今夜は俺たちの新人歓迎会だ。もちろん地獄の…

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