「願い」


 学校が終わるとすぐに教室を飛び出し、わたしは高架下に向かった。

 薄暗いトンネルの片隅で、おじさんはわたしを待っていてくれた。


「おじさん! この間はごめんね、ひどいこと言っちゃって。おじさんは、わたしのお願いをちゃんと叶えてくれたのに」

「……………」

「わたし気づいたの。この前おじさんが何を言っても返事してくれなったのは、わたしが本当の…ううん、を言えてなかったからなんだよね」

「……………」

「いいよ、大丈夫。わかってるもん。だから今回はわたし、ちゃんと正しいお願いを考えてきたんだ」

「……………」


 いつもと同じ、ただ微笑んでいるだけのおじさん。

 その姿が今日は、わたしの全部を肯定してくれているみたいに思えた。

 だから、このお願いも絶対に叶えてくれる。

 わたしは大きく息を吸った。


「ねえおじさん。森坂くんがもう、深月先輩のことで悩まなくて済むようにならないかな」


 興奮で心臓が激しく脈打つ。

 答えは、絶対に――


「大丈夫だよ」

「だよね! ありがとうおじさん!!」


 わたしは文字通りその場で飛び上がった、

 でも、喜ぶのはまだ早い。深呼吸して、わたしはおじさんに向き直った。


「そしたらさ、おじさん。森坂くんが深月先輩のことで悩まなくなったら…森坂くんはわたしのものに…わたしだけの森坂くんものに、なってくれるかな」


 両手を組んで、わたしはおじさんに祈った。

 そう。こっちが、わたしの願い。

 おじさんへのお願い事は、順番も大事だと気づいたのだ。この間はそれで失敗してしまった。ドアを開けないで、部屋に入るなんてできるわけがない。それと同じこと。

 ぎゅっと、わたしは両手に力を込めた。

 それ応えるように、おじさんは――


「大丈夫だよ」

「よかった…!! おじさん、ほんとにありがと! じゃあまたね!」


 笑顔でおじさんに手を振って、わたしは駆け出した。最高の気分だ。

 これでもう、森坂くんは深月先輩のことなんてどうでも良くなる。

 そうしたら、次はわたしが――


「なあ、お前…こんなところでなにやってるの」


 ちょうど高架下の外に出た時。わたしは大好きな声に呼び止められて立ち止まった。

 彼はトンネル入り口のすぐ横に立っていた。


「森坂くん! どうしてこんなところに?」

「学校で変なこと言ってたから…なあ、お前中で何してたの?」

「わたしのことを気にして来てくれたの? 嬉しいなぁ…こんなに早く願い事が叶うなんて。おじさん最高!」

「おじさん…?」

「そう、大丈夫おじさん! 森坂くんも知ってるよね、小学校の時けっこう流行ってたし」

「子どもだましのくだらない都市伝説か…そんなことよりお前さっき、」

「くだらなくなんかないよ、大丈夫おじさんは本当にいるんだから。今だってほら…あ、そうだ。おじさんは1人の時じゃないと出てこないんだった、残念。森坂くんにも紹介したかったのになあ」

「……お前大丈夫か? 学校でも深月のことがどうとか言い出すし…まさかお前、何か知ってるわけじゃ」

「あれぇ、おかしいな。深月先輩のこと全部忘れちゃうわけじゃないんだ。やだなぁ、またおじさんにお願いしないと」

「は? 一体何を…」

「何って、森坂くんが深月先輩のこと完全に忘れるようにしてもらうんだよ。あ、もしくは深月先輩が最初から存在しなかったこととかにできないかなぁ。そーゆーのはまだ試したことないや。次は…」

「ふざけんな、お前何言ってんだよ!」


 森坂くんの怒鳴り声が、わたしの耳を刺した。

 こんな森坂くん初めてだ。でも、どうして森坂くんはこんなに怒ってるんだろう。


「どうしたの森坂くん、なんか変だよ。もしかして具合でも…」

「変なのはお前だよ! 深月のことそんな風に言いやがって…なあ、やっぱりお前深月のこと何か知ってるんじゃないのか? だから頭がおかしくなった振りまでして、」

「酷い! どうしてそんなこと言うの? せっかくわたしが、森坂くんがもう辛い思いをしなくて済むように大丈夫おじさんに…」

「黙れ! おじさんおじさんってさっきから気持ち悪いんだよ! いい加減にしろ!」


 涙目で、狂ったような大声を出す森坂くん。

 一体どうしちゃったんだろう。また大丈夫おじさんが間違えちゃったのかな…でもお願い事は正しく言えたし。

 ああ、もしかしたら森坂くん、ちょっと混乱しちゃってるのかな。頭の中を急に変えられるのって、ちょっとヤバそうだもんね。

 でもどんな森坂くんになっても大丈夫だよ。これからはずっと、わたしがついててあげるから。


「ね、森坂くんきっと疲れてるんだよ。一緒に帰ろう? ちょっと休んだ方がいいって」

「うるさいやめろ俺に近づくな!」

「大丈夫だよ、わたしがついてるから。あ、そうだ。駅前のカフェに期間限定で新作のフラッペが出たんだよ。しかもカップルで行くと割引になるんだって。せっかくだから飲みに行こっか!」


 わたしは森坂くんの腕をつかんだ。


(彼氏とこうやって腕組んで歩くの、憧れてたんだよね。このままお店まで歩いて行きたいなぁ。甘いもの飲んで気分がすっきりしたら、森坂くんも落ち着くはず――)


 けれど森坂くんは、乱暴にわたしの手を払いのけた。


「お前頭おかしいよマジで。気持ち悪ぃ…」


 なにかおぞましいものでも見ているかのように歪んだ目。

 そして「ついてくるな」と吐き捨てて、森坂くんはわたしに背を向けて行ってしまった。


 ……どうして?

 一体どこで何が間違ったんだろう。誰がおかしいんだろう。

 私はちゃんと正しくお願い事をしたのに。おじさんも、「大丈夫だよ」って言ってくれたのに。



 ―――どうして?




 次の日。

 森坂くんは、学校に来なかった。


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