「間違い」
そして、わたしは高校生になった。
今日も、わたしは速足でおじさんに会いに行く。
今でも“大丈夫おじさん”の存在は、わたしだけの秘密だ。
“困っていること”は、同じクラスの森坂くんのこと。
かっこよくて面白くて、いつもクラスの中心にいる森坂くん。バスケ部のルーキーで、もちろん女子にも大人気。
わたしも、あっという間に好きになってしまった。
でも、わたしは森坂くんを見てキャーキャー言っているだけの、“その他大勢”とは違う。
クラスの女子の中でも、わたしは森坂くんとは結構仲が良い方だ。隣の席だからよく話すし、グループで一緒にカラオケに行ったりして遊んだことも、1度や2度じゃない。
だから、“もしかしたらいけるかも…?”なんて思って、昨日勢いで訊いてしまったのだ。
「森坂くんって、好きな子とかいないの?」と。
すると、
「いるよ、2年の
森坂くんは、にっと笑ってそう答えた。
深月先輩。
清楚な美人で頭が良くて、とにかく目立つ素敵な人。
わたしとは、全然タイプが違う人。
「へぇ、すごい。お似合いだね」
すごくショックだったけれど、わたしは笑ってそう言ってあげた。
森坂くんは、照れた顔で嬉しそうに「ありがとう」と呟いた。
薄暗い高架下に着くと、おじさんが私を待っていてくれた。
森坂くんに彼女がいるなんて嫌。しかも深月先輩なんてもっと嫌。
先輩は美人でモテて男なんて選びたい放題なんだから、お金持ってる年上のイケメンとでも付き合えばいいのに。どうして森坂くんなの。わたしのほうが、森坂くんのこと絶対好きなのに。
大丈夫おじさんなら絶対に、この気持ちをわかってくれる。
「ねえおじさん聞いてよ。わたしね、好きな人ができたの。でもその人にはもう彼女がいてさ」
「……………」
おじさんは微笑んだまま動かない。
けれど、これはいつものこと。おじさんは私が“困りごと”を言った時じゃないと、全く反応しないのだ。
わたしはおじさんに向かって、独り言のように話を続ける。
「でもね、わたし、その人のこと諦められないの。だって本当に好きなんだもん」
「……………」
「だからどうにかして、森坂くんの彼女になれないかな」
「……………」
……おかしい。いつもなら、ここでおじさんは「大丈夫だよ」と言ってくれるのに。
「ねえおじさん、わたし“困ってる”の。わたしどうしても、森坂くんの彼女になりたいの」
「……………」
言葉を変えても、大丈夫おじさんは何も言わない。
どうして。どうして、おじさんは「大丈夫だよ」と言ってくれないの?
わたしは森坂くんの彼女にはなれないってこと?
(―――嫌。嫌だ。そんなの絶対に嫌!)
「おじさん酷いよ! おじさんなら絶対わかってくれると思ったのに! なんで大丈夫って言ってくれないの!?」
「……………」
「なんで? もう彼女がいる人はダメってこと? でも早い者勝ちなんておかしいじゃん!」
「……………」
「なんで、なんでよ! 何とか言ってよおじさん!」
「……………」
「もう嫌だ…だったら深月先輩をどうにかしてよ! 先輩と森坂くんが別れてくれれば、わたしが森坂くんの彼女になれるのに!」
わたしは取り乱して叫んでいた。自分でももう、何を言っているのかわからない。
すると、
「大丈夫だよ」
おじさんの静かな声が、トンネルの中で重々しく響いた。
あんなに叫んで、たぶん酷いことも言ったのに。
大丈夫おじさんは穏やかな笑みを浮かべて、わたしを見ていた。
+++++
――それから、1週間後。
「ねえ、2-Cの深月先輩っているじゃん? ここ最近病気で休んでるってことになってるけど、実は行方不明らしいよ」
ざわつく教室。いたるところから、その話が聞こえてくる。
深月先輩は数日前からずっと家に帰っていないらしい。スマホは圏外。家族や友達が連絡をしても、全て未読のまま。
家出? 男? それとも事件に巻き込まれた?
清楚系な美人の失踪は、どうやら格好のゴシップらしい。直接の関わりが無ければ所詮他人事。学校中が深月先輩の失踪を、SNSやネットニュースのトピックみたいに面白おかしく話している。
そんな中でただ1人、森坂くんだけは誰とも口を利かず、青白い顔でずっと座っていた。
(――そんなつもりじゃなかったのに。)
わたしは焦っていた。どうして深月先輩はいなくなったのか。
偶然かもしれない。でも、あまりにもタイミングがよすぎる。
(――わたしが、大丈夫おじさんにお願いしたから?)
嫌でもそう考えてしまう。
でもわたしは、「先輩と森坂くんが別れて欲しい」と言っただけ。深月先輩がいなくなればいいなんて、一言も言ってない。
だからわたしは悪くない。悪いのは大丈夫おじさんだ。おじさんが間違えたせいだ。
(――だったらまた、おじさんにお願いしないと。)
そう心に決めたわたしは、放課後になると大急ぎで高架下に向かった。
「おじさん! 深月先輩がいなくなっちゃったの。ねえどうして? わたし、そんなこと頼んでないよ!」
大丈夫おじさんの前に立つと、わたしは息を切らしながら訴えた。
返事はない。
「先輩が行方不明になったせいで、学校中大変なんだよ。森坂くんも元気なくなっちゃって別人みたい…あんなの森坂くんじゃない。だから早く深月先輩を戻してよ」
「……………」
「なんで何も言わないの? おじさんが間違えたせいでこんなことになったんだよ? わたし、そんなつもりじゃなかったのに!」
「……………」
「何とか言ってよ! まるでわたしが悪いみたいじゃん!」
「……………」
どうして、おじさんは何も言わないのか。
ただ微笑んでいるだけなのか。
苛立つ反面、初めてわたしは目の前のおじさんが、“得体の知れない何か”に見えた。
結局この日、おじさんは返事をしてくれなかった。
+++++
「ねえ、深月先輩まだ帰ってこないらしいよ。もう10日目だって」
「らしいねー。それに聞いた? 警察が調べたらさ、先輩、いなくなる直前に誰かと待ち合わせしてたんだって」
「えー嘘!絶対そいつが犯人じゃん。もしかしなくても男じゃね? あれ、でもさ…」
「しっ!! 聞こえるでしょ」
昼休みの教室は、お喋り好きの女子達の声が本当に煩わしい。
何が「聞こえるでしょ」だ。森坂くんをちらちら見ながら、わざと聞こえるように話してるくせに。森坂くんの気持ちも考えないで、最低な奴らだ。
「みんな本当最悪だよね、好き勝手言っちゃってさ。あんなのまともに聞く必要ないよ」
隣の席で虚ろな顔をしている森坂くんに、わたしは話しかけた。
「ああ…ありがと」
俯いたまま、わたしの方を向きもせずに、ぽつりとそう答えた森坂くん。
深月先輩がいなくなってから、森坂くんはずっとこんな感じだ。
いつも、心ここにあらず。わたしのことを見てもくれない。
(――本当に、こんなはずじゃなかったのに。)
森坂くんの中には、もう深月先輩しかいない。
なんて図々しんだろう。もういない人間のくせに、森坂くんを独り占めするなんて。ずるい。卑怯だ。不公平だ。こんなの間違ってる。
これじゃ隣にいるわたしが入り込む余地なんてない。
最悪。本当に最悪。わたしがこんな思いをしなくちゃならないなんて。
全部大丈夫おじさんのせい。
森坂くんも森坂くんだ。いなくなった深月先輩のことなんか、早く忘れちゃえばいいのに――
「……あ、そっか」
唐突に、わたしは閃いた。頭の中から一気に靄が晴れていくような感じがした。
どうしてこんな簡単なことに、今まで気づかなかったんだろう?
「ねえ、森坂くん」
「………ん」
嬉々として話しかけると、森坂くんはぼんやりと宙を見たまま、喉から音が漏れただけみたいな返事をした。
でも全く気にならない。そんな森坂くんは、きっと今日で最後だから。
「もう大丈夫だからね。森坂くんにはわたしがいるから」
「………ああ」
「深月先輩がいなくなって辛いよね。でももうすぐ楽になるよ。わたしに任せておいて」
「………は?」
森坂くんがわたしの方に頭を傾けた。
眉をしかめて、ほとんど生気のない目をわたしに向ける。
(――やっと、わたしを見てくれた。)
「もう少しだけ待っててね。森坂くんがもう深月先輩のことで辛い思いをしなくて済むように、わたしがおじさんにお願いしてあげるから」
「……なんだよそれ。一体どういう…」
タイミングよくチャイムが鳴った。
みんなバラバラと自分の席に戻り出す。森坂くんが何か言っているみたいだけど、周りのざわつきで聞こえない。
学校が終わったら、真っ先に大丈夫おじさんのところに向かおう。
そうしたら全部うまくいく。わたしも森坂くんも、2人とも幸せになれる。おじさんはきっと…いや絶対に、わたしの“困りごと”をなくしてくれる。
わたしのお願いを叶えてくれる。
楽しみで清々しくて、心が急いて仕方ない。今なら何だってうまくいきそう。
不思議な気分だった。
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