「間違い」


 そして、わたしは高校生になった。

 今日も、わたしは速足でおじさんに会いに行く。

 今でも“大丈夫おじさん”の存在は、わたしだけの秘密だ。


 “困っていること”は、同じクラスの森坂くんのこと。

 かっこよくて面白くて、いつもクラスの中心にいる森坂くん。バスケ部のルーキーで、もちろん女子にも大人気。

 わたしも、あっという間に好きになってしまった。

 でも、わたしは森坂くんを見てキャーキャー言っているだけの、“その他大勢”とは違う。

 クラスの女子の中でも、わたしは森坂くんとは結構仲が良い方だ。隣の席だからよく話すし、グループで一緒にカラオケに行ったりして遊んだことも、1度や2度じゃない。

 だから、“もしかしたらいけるかも…?”なんて思って、昨日勢いで訊いてしまったのだ。


「森坂くんって、好きな子とかいないの?」と。


 すると、


「いるよ、2年の深月みつき先輩。実はもう付き合って半年になるんだよね。仲良い友達にしか言ってないけど」


 森坂くんは、にっと笑ってそう答えた。


 深月先輩。

 清楚な美人で頭が良くて、とにかく目立つ素敵な人。

 わたしとは、全然タイプが違う人。


「へぇ、すごい。お似合いだね」


 すごくショックだったけれど、わたしは笑ってそう言ってあげた。

 森坂くんは、照れた顔で嬉しそうに「ありがとう」と呟いた。



 薄暗い高架下に着くと、おじさんが私を待っていてくれた。


 森坂くんに彼女がいるなんて嫌。しかも深月先輩なんてもっと嫌。

 先輩は美人でモテて男なんて選びたい放題なんだから、お金持ってる年上のイケメンとでも付き合えばいいのに。どうして森坂くんなの。わたしのほうが、森坂くんのこと絶対好きなのに。

 大丈夫おじさんなら絶対に、この気持ちをわかってくれる。


「ねえおじさん聞いてよ。わたしね、好きな人ができたの。でもその人にはもう彼女がいてさ」

「……………」


 おじさんは微笑んだまま動かない。

 けれど、これはいつものこと。おじさんは私が“困りごと”を言った時じゃないと、全く反応しないのだ。

 わたしはおじさんに向かって、独り言のように話を続ける。


「でもね、わたし、その人のこと諦められないの。だって本当に好きなんだもん」

「……………」

「だからどうにかして、森坂くんの彼女になれないかな」

「……………」


 ……おかしい。いつもなら、ここでおじさんは「大丈夫だよ」と言ってくれるのに。


「ねえおじさん、わたし“困ってる”の。わたしどうしても、森坂くんの彼女になりたいの」

「……………」


 言葉を変えても、大丈夫おじさんは何も言わない。

 どうして。どうして、おじさんは「大丈夫だよ」と言ってくれないの?

 わたしは森坂くんの彼女にはなれないってこと?


(―――嫌。嫌だ。そんなの絶対に嫌!)


「おじさん酷いよ! おじさんなら絶対わかってくれると思ったのに! なんで大丈夫って言ってくれないの!?」

「……………」

「なんで? もう彼女がいる人はダメってこと? でも早い者勝ちなんておかしいじゃん!」

「……………」

「なんで、なんでよ! 何とか言ってよおじさん!」

「……………」

「もう嫌だ…だったら深月先輩をどうにかしてよ! 先輩と森坂くんが別れてくれれば、わたしが森坂くんの彼女になれるのに!」


 わたしは取り乱して叫んでいた。自分でももう、何を言っているのかわからない。

すると、


「大丈夫だよ」


 おじさんの静かな声が、トンネルの中で重々しく響いた。

 あんなに叫んで、たぶん酷いことも言ったのに。

 大丈夫おじさんは穏やかな笑みを浮かべて、わたしを見ていた。



+++++


 ――それから、1週間後。


「ねえ、2-Cの深月先輩っているじゃん? ここ最近病気で休んでるってことになってるけど、実は行方不明らしいよ」


 ざわつく教室。いたるところから、その話が聞こえてくる。

 深月先輩は数日前からずっと家に帰っていないらしい。スマホは圏外。家族や友達が連絡をしても、全て未読のまま。

 家出? 男? それとも事件に巻き込まれた?

 清楚系な美人の失踪は、どうやら格好のゴシップらしい。直接の関わりが無ければ所詮他人事。学校中が深月先輩の失踪を、SNSやネットニュースのトピックみたいに面白おかしく話している。

 そんな中でただ1人、森坂くんだけは誰とも口を利かず、青白い顔でずっと座っていた。


(――そんなつもりじゃなかったのに。)


 わたしは焦っていた。どうして深月先輩はいなくなったのか。

 偶然かもしれない。でも、あまりにもタイミングがよすぎる。


(――わたしが、大丈夫おじさんにお願いしたから?)


 嫌でもそう考えてしまう。

 でもわたしは、「先輩と森坂くんが別れて欲しい」と言っただけ。深月先輩がいなくなればいいなんて、一言も言ってない。

 だからわたしは悪くない。悪いのは大丈夫おじさんだ。おじさんが間違えたせいだ。


(――だったらまた、おじさんにお願いしないと。)


 そう心に決めたわたしは、放課後になると大急ぎで高架下に向かった。




「おじさん! 深月先輩がいなくなっちゃったの。ねえどうして? わたし、そんなこと頼んでないよ!」


 大丈夫おじさんの前に立つと、わたしは息を切らしながら訴えた。

 返事はない。


「先輩が行方不明になったせいで、学校中大変なんだよ。森坂くんも元気なくなっちゃって別人みたい…あんなの森坂くんじゃない。だから早く深月先輩を戻してよ」

「……………」

「なんで何も言わないの? おじさんが間違えたせいでこんなことになったんだよ? わたし、そんなつもりじゃなかったのに!」

「……………」

「何とか言ってよ! まるでわたしが悪いみたいじゃん!」

「……………」


 どうして、おじさんは何も言わないのか。

 ただ微笑んでいるだけなのか。

 苛立つ反面、初めてわたしは目の前のおじさんが、“得体の知れない何か”に見えた。


 結局この日、おじさんは返事をしてくれなかった。



+++++


「ねえ、深月先輩まだ帰ってこないらしいよ。もう10日目だって」

「らしいねー。それに聞いた? 警察が調べたらさ、先輩、いなくなる直前に誰かと待ち合わせしてたんだって」

「えー嘘!絶対そいつが犯人じゃん。もしかしなくても男じゃね? あれ、でもさ…」

「しっ!! 聞こえるでしょ」


 昼休みの教室は、お喋り好きの女子達の声が本当に煩わしい。

 何が「聞こえるでしょ」だ。森坂くんをちらちら見ながら、わざと聞こえるように話してるくせに。森坂くんの気持ちも考えないで、最低な奴らだ。


「みんな本当最悪だよね、好き勝手言っちゃってさ。あんなのまともに聞く必要ないよ」


 隣の席で虚ろな顔をしている森坂くんに、わたしは話しかけた。


「ああ…ありがと」


 俯いたまま、わたしの方を向きもせずに、ぽつりとそう答えた森坂くん。

 深月先輩がいなくなってから、森坂くんはずっとこんな感じだ。

 いつも、心ここにあらず。わたしのことを見てもくれない。


(――本当に、こんなはずじゃなかったのに。)


 森坂くんの中には、もう深月先輩しかいない。

 なんて図々しんだろう。もういない人間のくせに、森坂くんを独り占めするなんて。ずるい。卑怯だ。不公平だ。こんなの間違ってる。

 これじゃ隣にいるわたしが入り込む余地なんてない。

 最悪。本当に最悪。わたしがこんな思いをしなくちゃならないなんて。

 全部大丈夫おじさんのせい。

 森坂くんも森坂くんだ。いなくなった深月先輩のことなんか、早く忘れちゃえばいいのに――


「……あ、そっか」


 唐突に、わたしは閃いた。頭の中から一気に靄が晴れていくような感じがした。

 どうしてこんな簡単なことに、今まで気づかなかったんだろう?


「ねえ、森坂くん」

「………ん」


 嬉々として話しかけると、森坂くんはぼんやりと宙を見たまま、喉から音が漏れただけみたいな返事をした。

 でも全く気にならない。そんな森坂くんは、きっと今日で最後だから。


「もう大丈夫だからね。森坂くんにはわたしがいるから」

「………ああ」

「深月先輩がいなくなって辛いよね。でももうすぐ楽になるよ。わたしに任せておいて」

「………は?」


 森坂くんがわたしの方に頭を傾けた。

 眉をしかめて、ほとんど生気のない目をわたしに向ける。


(――やっと、わたしを見てくれた。)


「もう少しだけ待っててね。森坂くんがもう深月先輩のことで辛い思いをしなくて済むように、わたしがおじさんにお願いしてあげるから」

「……なんだよそれ。一体どういう…」


 タイミングよくチャイムが鳴った。

 みんなバラバラと自分の席に戻り出す。森坂くんが何か言っているみたいだけど、周りのざわつきで聞こえない。


 学校が終わったら、真っ先に大丈夫おじさんのところに向かおう。

 そうしたら全部うまくいく。わたしも森坂くんも、2人とも幸せになれる。おじさんはきっと…いや絶対に、わたしの“困りごと”をなくしてくれる。

 わたしのお願いを叶えてくれる。


 楽しみで清々しくて、心が急いて仕方ない。今なら何だってうまくいきそう。



 不思議な気分だった。



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