自分へのご褒美

雛星のえ

「その推測が、間違っていますように」と切に願った。

「白猫急便でーす」


 なんてことのない日曜日の夕方。インターホンと共に、それはやってきた。

 自身は最近、通販や取り寄せを利用した覚えはない。となれば、同居している一番上の兄か、二番目にあたる姉のものであろう。

 読みかけの本にしおりを挟み、乱雑に机の上へ。インターホンでの応対後に解錠し扉を開く。外にはクリーム色の制服を身にまとった三十代前後のお兄さんが、中型の段ボールを抱えて立っていた。

 宛名の確認時に挙がった名前は姉のものであったので、いつの間に彼女が何かしらを注文していたのであろう。

 領収書に受領印を押し、箱を受け取る。冷蔵保存されていたのか、ひんやりと冷たい感触が指先へ伝う。お礼を述べれば、彼は爽やかな笑顔を浮かべ次の仕事へと向かっていった。


「……え、重!?」


 ドシン、と、家全体が揺らぎそうな衝撃と共に荷物を下ろす。あわや腰がぽっきり、そのまま動けなくなるところであった。

 横へ長い段ボールの天板に貼り付けられた伝票を見やれば、品名欄には精肉と打刻されていた。重量は手書きのアラビア文字で、六十五、と。

 なるほど、どうりで重いわけだ。それを顔色一つ変えずに抱え込んでしまえた彼は、さすが本職と言ったところだろうか。

 箱を押して引きずりながら居間へと運ぶ。荷主である姉さんは、クッションを抱え込みながらドラマを見ていた。

 先ほど読書の傍ら音声のみを右から左へと流していたが、どうやらサスペンスの類いらしい。今し方目にしたのは、殺人を犯してしまったであろう女性が、被害者である男性の遺体をどのように隠そうかと画策している場面であった。

 どうやら女性の中で結論が出たらしく、彼女はノコギリを取り出し――その先は想像に難くない。グロテスクなものは苦手だ。必死に目をそらしながら、私は姉さんに声をかける。


「姉さん、荷物来たけど」

「ありがと~。思ったより早く来たね~」


 振り返った彼女は、いつものように間延びした返事を寄越す。固定電話の横に置かれたペン立てからカッターを取り出し、箱へ近づけば隙間に刃を滑らせていく。

 上蓋を開ければ、銀色のプラ皿に載せられた沢山のお肉がお目見えした。ローストビーフのような薄切りに骨付き肉、果てはステーキのように大きな塊など、様々な形状に富んでいる。


「何これ? お肉の詰め合わせ?」

「そう! 私も日頃頑張っているからね、自分へのご褒美ってやつなんだ〜。三玲みれいも一緒に食べるんだよ。流石に一人じゃ食べきれないからねぇ」


 問えば、彼女はえっへん、と言わんばかりに腰に手を当て自慢げに話す。

 私は目を丸くした。姉さんが自分へのご褒美とは、なんとも珍しい。


「いいの? ありがとう。随分奮発したね」

「んっふふふ。結構お高いの、選んじゃいました~」


 いぇい、なんて得意げにピースサインを決める彼女を横目に、私は再び荷物へと向き直る。

 肉……といえど、それにしたって骨が多い気がする。特にそう思わせるのは、何層にも重なった、半円を描く大きな骨。まるで人のあばら骨を真っ二つにした片割れみたいで、薄気味悪い。

 肝心の肉も厚みがあるとは思えないし、これがどうにもお高いものであるとは信じがたい。話の感じからして、それなりの額を支払っているに違いない。おまけに、納品書も見当たらないときた。

 もしかしてこの姉、いい感じに詐欺られたのではないだろうか。

 疑いの眼差しをひしひしと向けるも、姉さんはこちらに気づくことはない。確かに彼女は、お世辞にも頭がいいとは言い難い人物である。

 しかしこれはいくらなんでも、あからさますぎるであろう。誰がどう見たっておかしいと異を唱えるに違いない。写真詐欺だ、と訴えて返送した方がよいのではないか。

 三兄妹の中で最も頭のいい長兄であれば、クレームを入れた上で即座に突き返したであろう――。そこで私は、思い出したように彼の存在を口にした。


「そういえば兄さんから連絡あった? いつ帰ってくるって?」

「うーんそれがねぇ、まだ帰ってこられそうにないみたい~」

「……てことは、兄さんの分はナシってこと?」

「こればっかりは、はじめが悪いんだよ~」


 彼女はわざとらしく頬を膨らませながら答えた。少し怒っているように見えるのは、気のせいではないだろう。

 一兄さん。長男であり、三兄妹のなかで一番上の兄。

 そして姉さんは俗に言う、「ブラコン」というものだ。兄のことを愛して止まず、片時も離れることなく、四六時中側にいる。働いて稼いだお金も、彼のために惜しみなく使う。最早貢いでいるとか、そういったレベルに近い。

 兄さんはというと、その懐き具合に相当辟易していたらしい。

 彼女のいないところでこっそり、

 

萌二香もにかのせいで彼女ができない。なんとかならないものか」

 

 と、私に愚痴をこぼしていたこともあった。

 兄さんがあまりに気の毒だったので、萌二香姉さんにはそれとなく、彼と距離をとったらどうだ、と提案してみたこともあったが……効果は今ひとつであった。むしろ、姉さんの暴れっぷりは加速した。

 そんな彼は、一昨日から家に帰っていない。姉さんに聞けば、旅行へ行ったらしい。

 ……私には何も言ってくれなかった。悔しいので、すぐさまクレームのメッセージをたくさん入れたのだが――未だに返事は来ない。

 閑話休題。

 異常とも呼ぶべき重めの執着心を抱かれている兄さんが旅行だなんて、彼女は大暴れするのではいか、と、内心気が気でなかった。数日間不在になる。つまり、その間彼らは離ればなれになるということ。姉さんには耐えがたい苦痛であろう。

 なんて考えていたが、どうやら杞憂だったようだ。彼女はここ数日、猛獣化することなく大人しくしている。むしろ静かすぎて怖いくらいだ。

 オードブルの返品を提案してみたが、彼女はそれを頑なに拒否した。まぁ、姉さんがそれでいいならいいのだけれど、と、それ以上しつこくするのはやめておいた。

 夕飯、早速ご相伴に預かることにする。

 今日の調理当番は姉さんだったため、作業は全て一任した。私と彼女、向かい合わせに設置された席の真ん中へ大皿が鎮座する。ローストビーフやレア焼きにされたステーキ、しっかり中まで火の通った骨付き肉――どうやら、あのお皿に載せられていたお肉を全て使い切ったらしい。

 いただきます、と両手を合わせてから、箸を伸ばす。

 一番最初にいただくのは、ステーキ。うちでよく使うのは、細かく刻まれたタマネギがふんだんに使われた和風醤油味。タレによく絡まったお肉が、柔らかく口でとろける感触と甘みを想像して、口へ運んで――裏切られた。

 赤身は筋張っており、鉄板を食べているかのように堅い。それどころか、肉特有の獣にも似た臭みが消されていない。口の中を、変な臭いと感触がひたすら這い回る。

 思わず顔をしかめた。

 これは一体、何肉なのだろうか。追求しようにも、明細はおろか、商品を覆うビニール袋にも説明書きがなされていなかったため、種類の判別は不可能だ。


「姉さん、これなんの肉?」

「うーんなんだったかなぁ。羊って書いてあったかなぁ?」


 同じく肉を咀嚼する姉さんは、人差し指を頬に当て、首を傾げてみせた。彼女はあまり感じていないのか、先ほどからハイペースで肉を消化していく。

 いやでも、羊にしては何か、こう……。

 上手く形容しがたい違和感が、モヤモヤと心の中で燻るばかり。

 私はゆっくりと箸を下げ、テーブル上へ綺麗に並べた。


「姉さんごめん。私これだけでいいや。せっかく誘ってくれたのに、本当ごめん」

「大丈夫だよ。うーんそうか〜、三玲はダメだったかぁ」


 眉尻を下げる彼女に罪悪感を覚えるが、こればっかりは勘弁願いたい。

 せめて食器の片付けは私にさせて、と提案するも、姉さんはやんわりとそれを拒否した。 卓上には、まだまだたくさんの肉が積み重なる。これらを一人で片付けるには、おそらく相当な時間がかかるであろう。彼女がそれを食べきる姿をまじまじと見ているわけにもいかないので、先に自室へと戻ることにした。

 階段をゆっくりと、一歩一歩踏みしめるように上がっていく。歩き慣れたはずのその場所ですら、手すりを掴まなければ動けないほどに足取りが重い。

 自室に入るなり、ベッドへと飛び込み大きく息を吐き出した。

 どうにも気持ち悪さが抜けない。片手で鼻と口を覆っていなければ、今にも胃の内容物を逆流させてしまいそうである。

 ……そういえば兄さん、今頃何しているのかな。そろそろメッセージ、読んでくれただろうか。

 仰向けになりポケットに入れたスマホを取り出して、トークアプリを起動させる。兄さんとの個人チャットに移るも、やはり『既読』の二文字が反映されることはなかった。

 家族そっちのけで楽しんでいるのだろうか。我々の言葉へ返事もする間もないほどに。それは大変素晴らしいことだが、せめて既読くらいはつけてほしい。流石に一瞬だけでも、スマホへ目を向けるくらいの余裕はあるだろうに。

 そこまで考えて――じゃぁもし、兄さんが連絡を取れない状況下にいたら? と、考えてしまう。

 ふと、脳裏をよぎってしまったのだ。

 あれ、確か、兄さんって……──。


 六十五キロ。


 それがおおよそ、彼と同年代男性の平均体重であることに気づいたが、

 ……まさかね、と、最悪の想像を払拭するように、頭を左右に大きく振る。震える指先でキーボードを入力し、なんとか言葉を紡ぎ出す。

 

 『萌二香姉さんがいつの間にかオードブルを頼んでいてね。一緒に食べたんだ。残念ながら、一兄さんの分はないけれど(笑)』

 

 だからこんな、茶化すような少し嫌味を込めたメッセージにだって、兄さんはいつものように、笑っておどけながら返事をくれるに決まっている。

 全てはそう、私の考えすぎだ。

 送信後、電源ボタンを押しスリープモードにしては、同じように目を閉じる。

 そうして何事もなかったかのように、思考を脳の奥底に沈めることにした。

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自分へのご褒美 雛星のえ @mrfushi_0036

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