生く

水まんじゅう

第1話 恥隠し

私は生まれたとき、恐らく生きるということを知りませんでした。生きるとは何か、そう問えば問う程、自分の頭は朝顔の蔓の様に絡まりまして、そのうち考えるのを止めました。

生きるとは何か__それを考えるのは、殺人よりも重い罪に問われるのではないか、とふと思ったことがありました。世の中には知らない方が良いこともあると、何度言われてきたか、何度痛感してきたか。それでも私は、私自身が生きていても善いように、私が生きる意味を探したくて仕方がなかったのです。

そんな私も高校生。ある程度の知能を身につけまして、世間一般的に言う『優等生』として生きてきました。そう判を押された一枚の紙を、周囲の人間に見せびらかすように。しかしそれは、世の中のことを何一つ知らない、唯一知っているのは『失敗の恥』だけという、それ自体が恥の『劣等生』を隠す為の、たった一つの紙でした。周りの顔を見れば分かるのです。周りは皆生きていることに誇りを感じている。生きていることに意味を感じている。笑い、泣き、怒り、恐れ、そしてまた笑うその人生に、些かの疑問も持っていないように見えました。

そこで私の仮説はこうです。生きる意味とは、『人生をただ後悔の無いよう生きること』。それ以上のことを目指してはいけないのだと、恐らく本能か何かに刷り込まれているのでしょう。

「おはよう」

私は話しかけられていることに気がつきました。返事をすることも無く、ただ壊れた機械のように笑うだけ。彼女はそれを理解していたのか、同じように笑ってみせました。しかしその笑顔は壊れていませんでした。正常な笑顔でした。新しい機械のようでした。

「私の推しがね、今度ライブやるんだって!私それまで死ねないわあ」

彼女は変わらず話を続けました。私はその言葉を聞き流すことが出来ませんでした。

「それが終わったら、死んでもいいの?」

「うん!後悔しないっ!…あっいやでも、もう推しの顔が見れなくなるのは辛いなぁ…、やっぱ、推しを推しきってからかな!えへへっ」

私はふうんと聞き流しました。ああそうか、そういう考え方もあるのか、と。私は先程、人は人生を後悔しない為に生きていると述べましたが、これは間違いでは無いようです。きっと彼女が今死ねば、推しとやらをもっと推せば良かったと後悔するでしょうから。

「アナタには何か無いの?これがあれば生きられるってこと!」

「そんなの、仲良くしてくれる皆とか家族がいれば、それで十分だよ」

「うへぁ…やっぱり優等生は違うなー」

如何にも優等生らしい発言をしました。恐らく、生きる意味は『周りに自分が優等生であることを認めさせること』なのでしょう。今ここで『生きる意味とは?』の答えを探すことだと答えても良かった訳ですし。それでもそうしなかったのは、周りに『此奴は揺るぎない生きる意味を持っている』と思わせたいという、自分でも形容し難い感情が私の舌に絡みついているからでしょう。

「でも其処まで優等生っぽい発言されると嘘くさいなあ?」

彼女はいとも簡単に例の紙を破いたのでした。家族の者でさえ破けなかった、大きく薄く透明な紙を。私は何故か、少しだけ嬉しかったのでした。きっと誰かに、この紙を破いて欲しかったのでしょう。

「…凄いね、分かるんだ」

「え、何が?」

「え?いや…今の言葉が嘘ってこと」

「……私天才でしょ!?」

「分かってなかったんだ…」

真逆まさか!」

彼女はそう笑って一言だけ言いました。

「『生き方』が分からないんでしょ」

私はこの時ばかりは、心臓が張り裂けそうでした。馬鹿な、私の十年以上破かれなかった紙を__私が何年も追い続けるその疑問を__。

「…ねえ、一緒に行こ」

「…何処に?」

「うふふ、秘密!」

彼女は私の手を取りました。そして駆け出すのです。

「ねえ、学校は__」

「サボる!」

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