藤
この時期見頃の植物と言えば、これしかない。
「藤を見に行きましょう!」
「それは、いいね」
今日は遠出なのでお弁当を用意した。
自慢じゃないが俺の料理は美味い。
御爺さんもご近所さんもおべっか無しに絶賛してくれる。
なので、是非、有明に美味しいって褒めてもらいたい。
神様がご飯をあまり必要としないのは知ってるけど、褒められたいんだ。
いつもは昼食を済ませてから逢いに来ていたのでお披露目する機会が無かった。
でもデート。
まだ午前中。
正午も一緒。
午後もいつも通り日が落ちる前に月喰山のここへお連れすれば問題ない。
だからお弁当は必要かなって。
…コンセプトはお弁当を食べて頂くデートです、はい。
「ボクのお嫁さんの手料理も、楽しみだ、ね?」
有明さんが本当に楽しみだと言わんばかりに笑ってくれた。
藤よりも美しい笑顔が咲いて俺のお腹は一杯になった。
でもデートはまだ始まってない。
有明さんを楽しませなければっ。
笑顔の有明さんを連れ、俺は車を発進させた。
そもそも助手席に有明さんをお乗せしたの初めてだった訳です。
なので、目的地に到着した俺はグッタリ疲れてしまった。
緊張、した!
有明「鵜篭クン…大丈夫…?」
鵜篭「だ、いじょうぶ…です」
有明さんが優しく俺の背中に撫でてくれたので、すぐに回復した。
荷物を色々用意しようとしたら、有明さんの使い魔が全部持ってってくれていた。
使い魔を見たことは一度もない。
有明さん曰く「ちょっとコワイ見た目をしているから、ね」と配慮の言葉を頂いたので、姿見せぬ働き者たちへ心の中で感謝を重ねる。
「そ、それじゃあ行きましょうか」
「うん」
「有明さんっこっちです!一杯写真撮りましょうね!」
と意気揚々、藤棚へ向かって有明さんと歩き出した。
意気揚々。
デート。
藤の花と有明さん。
俺の全部が砕け散った。
「…ありあげざん…ごめんなざぃ…」
「鵜篭クンは悪くないよ、ね?」
さっきよりも優しく背中を、頭も撫でられる。
嬉しいけど悲しい。
そして自分が愚かしい。
だって。
藤が。
咲いて。
なかったのだ…。
藤棚の下でお弁当食べる計画がっ。
初デートが…。
「ごめんなざいごめんなざぃ」
車の中で藤の花楽しみだねって有明さんも期待してたってのに俺の馬鹿っ。
馬鹿っ。
謝ることしか出来ない俺はどうしようもない。
「…鵜篭クン…目を、瞑って?」
「え…?」
「ね?」
右目が黒目が縦に割れ、澄んだ灰色になる。
有無を言わぬ圧を感じた俺は急いで目を瞑った。
「もう、いいよ?」
「…え…え…?」
言われた通り目を開ける。
言葉を失った。
だってそこは、うねり狂う藤の世界だった。
爽やかな匂いなのに、濃厚な芳香にくらくらする。
「ふふ、綺麗だね」
もう右目は鴇色、下がる目尻から変色の気配はない。
紫の花に、真っ白で真黒な有明さんが神々しい。
酔ったような感覚に襲われる。
「さ、あっちでお弁当食べよう、ね?」
有明さんが微笑んで俺の手を掴む。
「ふ、ぃ」
手、繋ぎ、デートになって変な声しか出せなくなる。
そんな俺を有明さんが優雅な足取り、連れてってくれる。
さわさわと揺れる紫が、有明さんにお似合いで、俺は見惚れてしまった。
本当に酔ってるみたいで、ふわふわする。
いや、地面も雲の上みたいに白くてふわふわしていた。
不思議な空間だった。
なのに不安はなかった。
おそらく有明さんが作った空間なんだろう。
なにせ有明さんは神様だ。
傍に居れば不思議なこと、ひとつふたつ沢山起こる。
神社で肝試し実況中継する連中に、末恐ろしい天罰を下すこともある。
今も、さわさわ揺れる藤の下、俺が用意しておいたレジャーシートがもう敷かれてた。
お弁当を入れた鞄も置いてある。
使い魔さんありがとうござます、心の中でお礼しておく。
有明さんに促されシートの上に座る。
すぐそばに有明さんが座る。
近い。
近すぎる。
心臓が口からまろびでそう…。
それでも御重箱を取り出し蓋を開ける。
お花見、ということで、ひとくちで食べられるのが良いと思い手毬寿司を作った。
保冷剤を入れて置いたので温度も調度良さそうだ。
暖かいお茶と冷たいお茶、両方用意してきた。
色んな味と色どりを楽しんでもらおうと思い作りまくってしまった手毬寿司。
御重箱にみっちり詰まってる。
我ながらやりすぎた。
「わあ…どれも美味しそうだねっ」
でも有明さんの楽しそうな反応に作って良かった!って思えた。
「お…おくちにあえばさいわいでふ…」
「うーん…ボクこれが食べたいなぁ」
楽し気に御重箱を見つめていた有明さんが鯛のお寿司を指差した。
「はい、ちょっとお待ちを」
リクエストにお応えしてお寿司をお箸で掴む。
どうぞって用意した御小皿に置こうとしたら、
「あーん」
有明さんが御口を開けてくれた。
助かります。
「…ぁーん…」
助かった俺はその御口にお寿司を入れさせて頂いた。
もぐもぐする有明さん。
どうしよう。
綺麗で恰好良いのに美しいのに可愛い。
有明さん、死角が、無さ過ぎる。
「ん…美味しい、ね。すごく美味しいよ」
その御言葉に、その笑みに、頑張って作った甲斐があった。
「あ…良かったでふ…ふへへ…」
嬉しい気持ちのまま自分も食べようとしたら、
「どれが良いの?」
有明さんが御箸片手にやる気十分のご様子だった。
「これ…でふ」
有明さんが御箸でひょいとお寿司を掴み俺に、
「はい、あーん」
「…ぁーん…」
「美味しい、ね?」
コクコク頷く。
噛んでも味がしないのは黙っておこう。
有明さんが可愛すぎて味覚を感じているどころじゃない。
「ふふふ、かわいい」
その一言で、ここがどこかも忘れ去った。
有明さんばかりが俺の中一杯になった。
その後もお互いに食べさせあった。
有明さんの反応がどれも違ってどれも良かったこと以外、俺の中に留まるものはなかった。
夕暮れに俺は焦った。
そしてがっかりした。
有明さんをお送りしなければ、と。
もう、デート終わりなんだ、と。
「…」
「…」
どうしよう。
泣きそうだ。
楽しくて幸せの反動がこんなに強烈だなんて。
別れるのが、こんなに辛いなんて。
明日も、逢いに来るのに。
はなれたくない。
「あ、りあけさ」
「鵜篭クン」
「は、い」
有明さんが俺を見つめる。
左目は黄色、有明さんが飲んだ月の色。
白目の部分が黒い右目が不安そうに紫、瞬き神聖を保つように灰色、そこから目を伏せて。
愛情の、籠った、鴇色に。
「帰したく、ない」
真剣な口調だった。
いつもはふんわり甘い声。
今のはなんだか本当に神様のようだった。
返事の出来ない俺の手を取り、有明さんが石段を登っていく。
夜空に、大きな満月が浮かんでいた。
俺の知っている月では無いように感じられた。
俺の知っている神社が無かった。
在るのは真っ赤な鳥居。
その奥に見知らぬ御屋敷が見えた。
もしかしてあれが有明さんの…。
「鵜篭クン」
心臓が痛い。
ドキドキが強すぎる。
「帰さない、よ?」
ぎゅうって、繋いだ手に力が籠められる。
宝石の双玉が煌めている。
お月様を背に、
涙が出る程神々しい、
なのに俺を、
こんなに求めてくれている。
言葉を必死に探した。
なのに何も思いつかない。
なのに口が勝手に動く。
「お、おじいさんに電話、します…」
「うん」
有明さんが弾んだ笑顔で俺のわがままを許してくれた。
あ、止まらない。
止められない。
「大好きです有明さんっ!俺も帰りたくないですっ!」
がっついた本心を大声で叫んでしまう。
すごくかっこわるい。
だけど有明さんは、
「うん、ボクも大好きだよ、鵜篭クン」
ふわりと微笑み、そんな俺の手を引いた。
ああ、今日、離れ離れにならなくて済むんだ。
デートが終わらないんだ。
それが嬉しくって堪らなかった。
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