追い腹のっとのんののんのんのん

狐照

鮮血、残花

背骨が折れるかと思うほど咳をして、青年は激痛と嘔吐感に涙した。

実際口から出たのは胃液や吐瀉物ではなく、血。

青年は長らく肺を患い余命後僅か。

貧相なベッドから起き上がり、青年は再び咳をした。

赤い斑点が綿も潰れ掛け布団かどうかも曖昧な布の上に飛び散った。

昨日も散った、前から散ってどんどん増える忌々しい。


お屋敷の屋根裏に作られた、二畳にも満たない隠し部屋は暗く陰鬱。

心まで病んでしまいそうな空間だった。

もう死ぬしかない病人には贅沢ってやつなのかもな、青年は何度もそう言い聞かせる。


好きでここまで落ちぶれたのではない。


拳を握り締める力も気力も無いから、浅く息を吐いた。


「…お願いが、ござまりする…」


清廉な声が青年の鼓膜に触れた。

青年がよろよろとそちらを向くと、暗がりに真っ黒な外套を身に纏い、帯刀し学帽を目深に被った若者が枕元に跪いていた。


「…何だ…」


青年は枯れた声で応える。


「…お供を、どうかお供のお許しを頂きとうござりまする…」


つまるところ追い腹の嘆願だ。

通算何度目か、青年は思い出すのも面倒臭いと言うように疲れた溜息を吐く。


青年を真っ直ぐ弓射るように見つめる若者は、時代錯誤な教育を受けた武士だ。

封建制度という考えはもう古いこの今時分、若者は異質な、けれど異故に羨望を集める漆黒の宝石のような存在だった。

武士故に、風前の灯火な主である青年が死ぬ前に、腹を切って追って良いという許しを得ようと毎度毎日嘆願。

それが忠義と馬鹿馬鹿しい。


青年は病床で日々うんざりしていた。


「…嫌だ」


「なにとぞ」


すかさず、ずずいと傍に、息が掛かる。


この、落ちぶれてしまうしかなかった武家の若者を救ったのは確かに青年だった。

けれど青年は過去の栄光を病ひとつで失った、もはや死ぬしかない身分。


感謝の念尊敬の念、主と従者?お殿様?


出もしない反吐が出そうになる。


そんな感情で追って欲しくはなかった。

もっと別の感情を青年は若者に求めていた。

けれど伝えずに明日をも知れぬ命。


「…嫌だ断る」


「…残りとう、ござりませぬ」


青年はやるせなさに目尻から涙が零れた。

胸が締め付けられ、弱った肺より苦痛。

言葉にしたい。

この想いを口にしたい。


けれど若者は、若者の頭には阿呆な忠義お殿様お守り致しますしかないのだどうせ。


そうではない。

そう、その、好意では嫌なのだ。

止めどなく溢れる涙が鼻に入る。


親や兄弟よりも永く傍にいて、誰よりも想い、誰よりも信頼できなかった。


畜生どこへなりとも犬死にすればいい。


追わせてなるものか。


憎しみにも似た感情を抱き、青年は若者に離別の命令をしようとし、


「愛しき貴方様の無き生に、意味などございません」


そっと、始めて、やせ細った己の手に、若者の無骨な手が重なった。


高熱に驚くが、ひっこめる力も気も無い。


「…どうか、死後もお供させてくださいませ…どうか…貴方様を、永劫、お守りさせてくださいませ…」


一心に熱く想うように紡がれる。

このように風に想ってくれていたのか。

このようにして追うと言ってくれていたのか。

青年は最後の力を使い切るような熱を身体が発しているのに驚き、喜び、笑みのようなもの浮かべた。


「どうか、お許しを…どうか、愛しき貴方様を、私に、私だけに…一生、三千世界お守りさせてくださいませ…」


そんなこんなこれは求婚だ。


青年は最期の熱さに身震いし、震えてしまう唇から言葉を漏らす。


「じゃあ今すぐ一緒に死んでくれ」


震える貧弱な声に、若者が食いつくようにして近寄った。


「別々とか、追うとか追われるとか嫌。今すぐ一緒に死んでくれるなら良いよ」


勢い任せに青年は本音を吐露し、


「はいっ…」


万感の思いを込め若者は返答し、すぐさまそのやせ細った体を抱き絞めた。


胸板の厚みや体の線、鼓動匂いに温もり。

二人はお互いそれらを包み隠すことなく欲望のまま貪り合う。


「…夢にまで、見て、おりました…」


「…ああ…俺も…」


最期の逢瀬の口づけを交わして主微笑めば。

すらり白刃。

そして一閃。

鮮やかに紅。

同時に事切れる。

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