第6話 ドロシー・アミアの非日常的な日常

 ドラゴスネーク討伐後──。

 私とドロシーさんは、二人仲良く教師に叱られた。

 森の柵を壊すなとか、無茶をするなとか、諸々。

 けれど、あの個体を放っておいたら、魔除けの魔法関係なしに町を襲っていたかもしれないとも言われ、今回の件は不問となり、私たちは解放された。


「クロエさん、私の家に来ない? お礼させて!」


 正門を抜けた時、ドロシーさんからそんな提案をされた。

 お礼をするのは私の方じゃないだろうかと思いながら、首を縦に振る。

 それで今、ドロシーさんの家の前へとやってきていたのだけど……。


「で、でかい……」


 そう。ドロシーさんの家は、超がつくほどの大金持ちだった。

 遠くからでもよく目立つので知ってはいたが、いざ目の前にすると圧巻である。

 豪邸は三メートルほどの白色の塀に囲まれており、警戒体勢も万全だ。

 輝きを放つ門の横には、鎧を着た屈強な門番さえも佇んでいる。

 その門番に軽く会釈をし、私はオドオドしながらも敷地内へ足を踏み入れた。

 まるで、どこかの貴族の家に招待されたかのようで、若干の緊張を覚える。


「ドロシーさん、いつもこんな凄い家で暮らしてるんだね」


 視界に収まり切らないほどの豪邸は、まるで王都の建物を思わせる作りをしている。

 失礼かもしれないけど、この小さなサニス町にはどうしても不相応だ。


「ねー。自分の家ながら凄い家だと思うよ……あ、私の部屋はあそこね」


 ドロシーさんは二階の左端の部屋を指す。

 私は浮き足立つ思いを抑えながら、ドロシーさんの後を追った。



        ※



 豪華な絨毯、シャンデリア、絵画。おまけにメイドさんまで。

 見える景色は全てが新鮮で、まるで別世界にでも飛び込んだようだった。

 ドロシーさんは部屋に案内すると、紅茶とクッキーを用意し、私に差し出す。

 私はクッキーを一つひょいと口に運ぶと、その美味しさに思わずニヤニヤしてしまう。

 やっぱり金持ちはお菓子も高級品なんだろうな、と思いながら、同じようにクッキーを口に運ぶ彼女へ声を飛ばす。


「今日はありがとう。助けてくれて。それにドロシーさんがいなければ、私、自分の夢を諦めていたと思うから……。ほんとに、ありがとう」


 その言葉を、今日何回言っただろう。

 それほどまでに今日、私はドロシーさんに救われた。


「いやいやそんな」


 ドロシーさんは手を横に振りながら、嬉しそうに謙遜する。

 と、ドロシーさんは「あ!」と思い出したような声を上げた。


「そういえば明日は卒業式だね。クロエさんは卒業したらどうするの?」

「私? えっと私は元々、王都に行く予定だったから。深夜の馬車で王都に向かうかな」

「え、そうなの!? 私も明日から王都に行く予定だったの! ならさ一緒に行かない?」


 思わぬ提案に、私は思わず「え!」と大きな声を出してしまう。

 一緒に行く相手がいない私にとってそれはありがたい提案だ。

 しかし、私なんかがドロシーさんと一緒に行ってもよかったのだろうか?


「ドロシーさんがいいなら、全然。むしろ、私でいいの?」

「もちろん! 私の友達もみんなしばらくサニスにとどまるっていうからさ、正直心細かったの。だから、クロエさんがいてくれると凄く助かる!」

「……そっか。なら明日、一緒に行こう」

「よかった!」


 ドロシーさんは嬉しそうに笑った。

 私もつられるように、頬をゆるめる。


「っていうかさ『ドロシーさん』だなんて素気ない呼び方じゃなくてさ、ドロシーって呼んでよ! 私も、クロエって呼ぶから! 私たち友達でしょ!」

「えっ、えー……。え〜?」


 『友達』という響きが、頭の中でぐるぐるする。

 私はこんな性格なので、学園に友達がいない。

 けれど、こんな性格のこんな私を、彼女は友達を呼んでくれた。

 だからここは一つ、呼び捨てで──。


「ドロシー。……さん」

「さん抜きで!」

「ド、ドロシー……。……やっぱり無理! 私、友達なんていなかったから、距離感とか分からなくて……。もう少し慣れたら、ドロシーって呼ばせて?」

「そっかぁ。じゃあ私は、クロエって呼んでもいい?」

「う、うん。それはいいけど、なんだか──」


 と、ここまで言いかけた時。


 ──コンコンコン。


 ノックの音が、言葉を遮った。


「どうぞー」


 ドロシーさんが言葉を送ると、一人のメイドさんがドアを開いた。


「ドロシー様。お母様がお呼びです」


 その言葉に、ドロシーさんは「はい」と立ち上がる。


「少し、待ってて。すぐ戻るから」


 スタスタと部屋を後にしたドロシーさんの横顔は、ひどく曇って見えた。

 先までの笑顔を浮かべた彼女との変わりように、私は引っかかりを覚える。

 けれどすぐに、ドロシーさんが私のことを『友達』と言ってくれたことや『クロエ』と呼んでくれたことを思い返し、再び浮かれた気分へと戻ってしまった。

 ドロシーさんが戻ってきたのは、それからおよそ十分後。

 私は嬉々とした声を彼女に飛ばした──が。


「ドロシーさん、おかえ──」


 ドアから出てきた彼女を見て、私は二の句を継げなくなった。

 ドロシーさんは泣いていた。涙は拭われてはいたけれど、目尻には確かに大粒の涙が溜まっている。こんな弱々しい様子の彼女を見たのは初めてだった。


「ドロシーさん? ほっぺた赤いよ? 大丈夫?」


 加えて、左頬が異様なまでに赤い。

 白い肌だからこそ、それがより目立っている。

 もしかしたらドロシーさんの母親に、何かされたのかもしれない。

 私は恐る恐ると、彼女に問いを投げた。


「もしかして、森の柵を壊したことで怒られたとか?」

「まぁ、そんなとこ。……けどクロエは気にしないでいいよ。これが私の、日常だから」

「でも……」

「それに、こんなの回復魔法で一瞬だよ。私の聖属性、Aランクだったでしょ?」


 ドロシーは悲しく微笑むと、ベッドへ歩いて枕に顔を埋めた。


「……ごめん。今日はちょっと、一人になりたいかも」


 私の前で、涙を堪えていたのだろう。

 枕の隙間から、ドロシーさんの咽び泣く声が聞こえてきた。

 私じゃ、今の彼女に、何か気の利いた言葉をかけられる気がしなかった。


「ドロシーさん、また明日、会おうね。……一緒に、王都に行こうね」


 それだけを残して、私は部屋を後にした。

 玄関のドアを開けると、目に飛び込む夕日に思わず目を細めてしまう。

 空を見上げれば、オレンジ色のぼやけた輪郭が空を包んでいて。

 間も無く、この町に夜が訪れようとしていた。


 私はしばし立ち止まり、思案する。


「…………」


 ドロシーさんは、母親に怒られることを『私の日常』だと言った。

 あの頬の赤さからして、多分、叩かれたりしたんだと思う。

 だとしたら、酷い。酷すぎる。しかも、日常的にだなんて……。


「……」


 今日私は、ドロシーさんに色々なものを与えられた。

 多分、今日が私の人生の転換点で、彼女がいたからこそ私は良い方へ進めたと思う。

 それなのに。私は彼女に、何も出来てやれやしなくって。

 だから私は、もう一度ドアを開けた。

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