第2話 強くてカワイイ学園最強の魔法使い

 森に訪れるのは、実に五年ぶりだ。

 その場所を囲う木の柵は一メートル半で、身長より少し低い。

 奥に見える森は整備されているのか、それほど荒れている様子では無かった。

 今の森に、それほど脅威となる魔物が生息していないのもあるだろう。

 私は深呼吸を一つし、柵を乗り越え、逃げるように走り出す。

 段々と景色は薄暗さを纏ってゆき、疲労を感じる前に足を止めた。

 木々は多いが、障害物も無い。この場所なら戦闘もしやすいだろう。


 この辺りならば、ツノ兎が生息していると思う。

 ツノ兎とは、野うさぎにツノが一つ生えた見た目の肉食の魔物だ。

 脅威では無いが、群れられると非常に厄介な魔物でもある。

 負けを悟ったら、すぐに逃げ帰ろう。

 と、その時。


 ──ガサッ。


 不意に聞こえたその音に、私は警戒を強めた。


 ──ガサガサ。


 間違いない。

 近くに何かがいる。

 音の方へ耳を傾けると、巨木の影から何かが飛び出す姿が映った。

 薄暗くて分かりにくいが、尖った鋭利なツノがよく目立つ。

 間違いない、ツノ兎だ。


「ギャア──」


 ツノ兎は威嚇の声をあげ、赤い目で私を鋭く睨んだ。

 普段だったらここで逃げ帰っていたところだが、今日ばかりは違う。


「すぅ……」


 一つの深呼吸。

 そして、ツノ兎へと手を掲げる。

 この状況に最適な魔法を探し出し、造形。

 氷属性の魔力を右手に集中させ、私は魔力を放った。


「『アイスニードル』!」


 アイスニードル。

 先端を尖らせた小さな氷を、対象に飛ばして攻撃をする氷属性の初級魔法。

 なのだが、しかし氷は真っ直ぐ飛ばず、ツノ兎の横をかすめ巨木へと突き当たった。

 氷の先端も丸みを帯び、巨木にすら傷をつけることは叶わない。

 思わず溜息を吐きたくなるような光景だった。


 ──ほら、やっぱり。


 負けを悟る。

 けど、悔いは無かった。

 改めて私の実力を、視認できたのだから。


「…………」


 悔いは無い。

 悔いは、無いはずだ。

 なのに足は動いてくれない。

 ツノ兎は苛立った様子で、距離を詰めてくる。

 そのまま飛び掛かるツノ兎に、私はなすすべなく──。


「『アイスランス』!」


 しかし、そんな声と共に、冷たい風が横を通り抜けた。

 細く、けれど鋭利な氷の槍がツノ兎に突き刺さり、巨木にはりつけにする。

 ツノ兎は『ギィ──』と断末魔を残し、その場で息絶えた。


「──え?」


 いつかの記憶が、脳裏をよぎる。

 そうだ。この光景は、金髪の魔法使いの子に出会った時とよく似ていた。


 ──もしかして、あの子?


 そんな期待を抱きながら、振り返る。

 と、一人の少女が、私の方へ駆け寄っていた。

 私よりも一回り小さい彼女は、私の期待した人物では無い。

 しかし──。


「クロエさん、大丈夫ですか?」


 私は彼女を知っていた。


「……えっと、ドロシーさん、だったよね?」

「そ、ドロシーです!」


 ドロシー・アミア。

 クラスメイト兼、学園で最も成績が良い人物。

 その小柄な見た目からは想像できないほど、彼女は魔法を扱うのがうまかった。

 黒髪のストレートは滑らかで、まるでお姫様を思わせるような。

 そんな、強くてカワイイ学園最強の魔法使い。

 でも、どうして彼女がこんなところに?


「助けてくれて、ありがとう。……だけど、なんで?」

「窓の外から、クロエさんが森の方に行くの見えたからさ。追ってみたら、森の中に入っていっちゃって。さっきの教室内の出来事も含めて不安になってさ……」


 ドロシーさんは頬をぽりぽりと掻きながら、軽く微笑んだ。


「そっか、ごめん。だけどほんとに助かった」

「うんうん。だけどピンチの時はちゃんと逃げなきゃダメだよ? けど、クロエさんの方こそどうして森に? 森なんて、すっごく危ないじゃん」


 ドロシーさんの言葉に、私は軽く頷く。

 理由を語るべきかと悩みながらも、まぁいいかと口を開いた。

 それにしても、私が心配だから来てくれたんだ。

 ドロシーさん、優しいな。


「ほら。私、昔からよく言ってたでしょ? 『強くてカワイイ最強の魔法使い』になるって。でもさ、今日のみんな反応みてたら分かっちゃったよ。私の夢は子供らしいんだって。……だから、森で魔物と戦闘して負けたらさ、夢も諦められるんじゃないかって。ドロシーさんも思うよね、私が恥ずかしい人だって──」

「恥ずかしい? 恥ずかしいのは、クロエさんを馬鹿にしてる奴らじゃないの? クロエさんは、ちゃんと自分を持っていてカッコいーなって思うけど?」


 ドロシーさんは「それに」と付け足し、


「魔力蓄積量がSなんて凄いじゃん!」


 目を輝かせた彼女は、楽しそうに笑った。

 その真っ直ぐな言葉と眼差しに、思わず顔を背けてしまう。


「……そ、そうかな」

「うん!」

「い、いやでも。適正の方が全くで……。それにドロシーさんの方が凄いんじゃないの?」

「そう思う? じゃあ、見てみる? 私の鑑定結果」


 彼女は言うと、ニヤリと笑った。

 その不適な笑みの意味が分からず、曖昧に「うん」と返す。

 と、彼女はポケットからしわくちゃになった鑑定用紙を取り出し、広げた。


【鑑定結果】

 ドロシー・アミア 15歳


【魔法適正】

 火:C 水:C 風:A

 雷:D 氷:B 土:D

 光:C 闇:F 聖:A

【魔力蓄積量】

 火:E 水:E 風:E

 雷:D 氷:E 土:D

 光:D 闇:F 聖:D


「魔法適正は良いんだよ。でもやっぱりさ、魔法使いになったとして、前線に出されるのは魔力蓄積量がある人間だからさ。私なんて、ほーんと全然なんだよ。魔法ってさ、例えば氷属性の魔法を使ったときでも、他の属性の魔力も分散されるじゃん? だからもう、私の中の魔力は全属性さっきですっからかんなの」

「そ、そんな。全然なんてこと無いし、さっきの魔法も凄かった」


 巨木に突き刺さった氷の槍を一瞥する。


「あはは。ありがと、クロエさん。でも、私からしたらあなたも十分すごいんだよ?」

「で、でも、魔法適正Fだよ。それって、魔法の才能が無いってことじゃない?」

「いーや違う。適正が無い、けど、魔力はある。つまり、魔法の才能はあるってことだよ」

「だ、だけど──」


 と。私は言葉を止めた。


「──?」


 彼女の奥で、何かが動いた気がしたのだ。

 そしてそれはすぐに、気のせいじゃないということに気が付く。


「ギャア!」


 暗闇から、一体のツノ兎が飛び出した。

 そいつは今まさに、ドロシーさんに襲おうとしていた。

 もしかしたら、仇討ちにやってきたのかもしれない。

 思えば、森の中で悠長と話をするのは危険な行為だった。


「ドロシーさん、後ろ!」

「え!? なになに!?」


 反射で振り返ったドロシーさんは「やばっ」と漏らした。

 なにせ彼女は、先の魔法で体内魔力が枯渇している。

 この距離じゃ、周囲の魔力を集めて放つ余裕もない。


「こ、これ──」


 私のせいだ。

 私が、こんな森の中に来てしまったから。

 ドロシーさんに、こんな状況に遭わせてしまった。

 私みたいな人なんて、助けなくてよかったよ。

 でも。そんな優しい人は、ここで死んでいいわけがない。

 彼女は、こんな短い時間に、こんな私に、色々なものを与えてくれた気がする。

 馬鹿げた夢を語る私を、かっこいいって言ってくれて。

 私の凸凹な鑑定結果も、才能だと言ってくれて。

 こんな友達もいない私に、笑いかけてくれて。

 なんだかもう、私は十分だ。

 今度は、私が何かをする番なのかもしれない。

 なら。せめて。魔法を放つための時間稼ぎを──!


「……えっ、ちょっと! クロエさん、危ないよ!」


 私はドロシーさんの前に立ち、飛びかかるツノ兎に両手を向けた。

 魔法は一方通行に進む。だから、両手を向けても意味はない。

 そんなの分かってる──けど、もしかしたら、なんて。

 私の、無駄に高い魔力蓄積量に掛けてみる。

 体内の魔力を、なんでもいいから集中させて。


「────ッ!」


 ただ、力に任せて魔法を放つ。

 スッと、魔力が抜ける感覚と共に、確かに魔法は放たれた。

 右手から出た少量の土が、左手から放たれた静かな風に飛ばされて。

 そしてそれは、ツノ兎の目に突き刺さった。


「ギャッ──!」


 ツノ兎は悶え苦しみ、目を覆う。

 その光景に、私は呆けた声を漏らした。


「…………え?」


 私、今。二属性の魔法を、同時に操った?

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