慎ましやかに滅べと魔王が

狐照

世界が滅んでしまえばと、願った。

神様に祈ったんだ。

必死になって、頼んだんだ。

でも、滅んではくれなかった。

だから、この指を伸ばすしかなかったんだ。




「どうして…滅びを望むんだ…」


左腕を切り落とした切っ先が白く光っている。

聖なる力を秘めたそれのせいで、傷口から黒い煙が立ち上ってきた。

そして流れる血も黒い。

肩で息をしている勇者。

傷口の痛みが視界を霞ませる。

彼との距離はそう遠くない、多分間合。

それなのに鋭く強い目をした勇者は、聖なる刃を向けようとはしない。

答えを求めているのだろうか。

戸惑って口籠もると、勇者はもう一度言葉をくれた。


「どうして、滅ぼすっ」


それは、憎しみが込められていた。

当たり前だ、目の前に魔王がいるのだから。

世界を滅ぼそうとした魔王が。

指を伸ばして、世界を暗闇に染め上げた。

森に狂悪を、海に狂獣を、空に狂人を。

全てを闇色に染め上げる、

石化の力を与えて造った。

そうして世界を滅ぼそうとした。

そう、滅ぼしたかったんだ。

答えを再び口籠もると、勇者は抑えていた怒りをついに荒げた。

力任せに、聖なる刃を振り下ろす。

足元に突き刺さる、白い刃。

勢いそのままに胸ぐらを掴まれる。

鋭く強い目の奥が、憎悪で震えていた。

彼はここまで来るのに、多くの仲間を失ったのだろう。

勇者として、ここにいるのではないのだろう。

ひとりの人間として、ここにいるのだろう。

胸ぐらを掴む手の力が、強くなった。

精一杯の、強さだった。

憎悪と悲しみで一杯の。

今にも泣きそうな。


「…願ったんだ…」


勇者の悲しそうな姿に、口を開く。


「…祈ったんだ…」


誰にも言えなかった。


「…頼んだんだ…」


ひとりでずっと、そうしていたから。


「けれど…叶わなかった…」


「…お前は…なにを…?」


剣士の声が、震えた。


「…どうして?」


「え…?」


重い、気持ち悪い、これが不快という感覚なのだろうか。

体から吹き出る煙が、鼻を刺す。


「…どうして世界は…俺の存在を拒むの…?」


勇者がはっと目を見開いた。

掴んでいた悪しき魔王の体が、消え始めていたからだろう。


「…これは…」


驚いた剣士が体を支えようとしてくれる。

掴まれた腕が、砂のように離散した。


「…どうして…?俺は確かにここにいるのに…」


背中の筋肉が崩れ落ちていく。

勇者はマントを掴む形になっていく。

体が煙のように、砂のように、消え去ろうとしていく。

美しい森も。

美しい海も。

美しい空も。

全てが美しい世界は、俺の存在をひたすら否定する。

俺だけを、否定する。


「悔しくて…悲しくて…寂しくて…」


願って、祈って、頼んで。

それなのに、否定される。


「だから、滅んでしまえって…」


勇者が刃を捨て、元居た魔法陣に体を運んでくれた。


「…でも…滅んでほしくなんて…」


唯一許された場所はこの小さな魔法陣。

悪しき魔王の傷は見る見る治り、落とされた腕も再生される。


「…知って…ほしくて…」


世界を闇色の石に変え続けた。


「……殺して…ほしかったのか…?」


勇者が悲しそうに頭を撫でくれた。

勇者は白い刃を拾いに立つ。

どこか憔悴しているのは、どうしてなんだろうか。

魔王を斃し英雄になれるひとなのに。


「…それを…お前は…ずっと…望んでいたのか?」


歩み寄る勇者。

引きずられる白刃。

願って祈って頼んだのは、世界の滅びじゃなかった。

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