第11話

何か言わなければ、何か声にを使わなければ。

考えはまったくまとまらない。


「ところでおめぇなんでそんな格好してんでぇ?」


ふいに少年が彼の肩に触れようとした。

少年の手が、当然虚空を掴む。


「なんでぇおめぇ…随分虚ろに慣れてちまって…」


急な同情が驚きと共に、言葉に組み込まれる。


「忘れちまってんだなぁ」


そうして悔しそうに、再度肩に手をかけようとして同じ結果を辿り、


「人の子なのに、虚ろに、慣れちまってやがらぁ」


いやはや変わってやがる。

それは、さきほどと同じ単語だというのに、まったく別の意味をもってして口から吐き出されていた。

落胆の声色に、胸底で忘れていたなにかが揺れた。

忘れていた、なにかが、芽吹いた。

忘れていた、なにかが、じわりと滲んだ。

彼は悔しさを思い出して、血肉を思い出して、皮膚を思い出して。

勢いよく少年の左手首を掴んだ。

掴んだ瞬間。

世界がはじけて狭窄した。

目が乾いて瞬きを思い出した。

唇が乾いて舐めて潤すことを思い出した。

息をしないと苦しいことを思い出した。

重力があり、体には血と肉と骨があり、それなりに体重があるということを思い出した。

肌色があり爪があり、舌があり歯があり、学ランを着ていたことを、当たり前のことを思い出した。

裸足の足が、寒くて痛いということも。

街に広がるは憤怒入り交じる悪臭で、冷たい身を切るような寒さは冬だからで、怒濤の騒音は歓楽街だからで。

五感全てで思い出した。

そうして一気に、視界の右半分が黒で削がれる。

思い出した。

右目がなくて、左半分の世界しか見えていないことも。

思考することを避けていた理由も。

二週間前のことも。

虚実体になった日のことも。

少年の手首を掴みながら、彼は押し寄せてくる現実を処理し続けた。

今までの精算をし続けた。

忘れていた。

ああ、忘れていた。

少女の言った通りだ。

感情を忘れていた。

心を忘れていた。

人間味をすっかり忘れていた。

落ちた神と何が違っていたというのか。


痛みを忘れたかった。


二週間前、儀式の最中ずっと忘れたがっていた。

全部忘れてしまいたがっていた。

母が気が触れたなんて嘘だ。

姉の両腕をもいで、教団に捧げたなんて嘘だ。

神が宿る器に自分を選んだなんて、嘘だ。

右目を、母に刳り貫かれたなんて嘘だ。

刳り貫かれた眼窩に、落ちた神が宿って浄化されるなんてあるわけがない。

目玉を刳り貫かれ暴れ、ろうそくを倒し儀式を執り行っていた平屋は炎上した。

母は宿る宿ると歌い笑い壊れ果て。

掠れたペン先のような悲鳴を上げ血まみれの手を振り回し、信者達に救出された。

彼は炎に包まれ、右目を刳り貫かれた痛みに呆然としながら、願った。

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