第2話

彼の体は虚ろだ。

有るのに無い。

虚ろにして実体を持つ。

虚実体。


意識すれば、幻のような希薄な体にも身のある体にもなれる。

他者は触れないが、本人は触れる。

重力も空気の壁も、実体のない彼には関係ない。

無重力なのか水中なのか、決して重くないむしろ軽い世界で影の一塊りのように素早く動き回れる。

なにひとつ恐れる必要もなく。

痛みも呼吸も関係ない。

二週間前手に入れた身のない自由を甘受していた。

自由時間には手をこまねいているが。


そんな彼を背後から捕まえろと、無理だどうやってと、台詞飛び交わせ追いかける若者たち。

彼らを先行独行し、彼は下の部分が削れ三角形状の穴が開いたベニヤのドアを開け放つ。

息をする苦しさに喘ぐ彼らを少しだけ眺め彼は、背中からゆっくり自殺するように外へ身を投げた。

逆さまで見た世界の半分は、今日も途方もなく黄色く重厚な曇天で埋め尽くされていた。

すぐさま空中ででんぐり返り、近場に垂れていた電線に飛び移る。

細く黒くのさばる電線には、真っ赤な目の先客カラスがいらっしゃった。

微かに揺らされ安寧を阻害され、がらがらの声で鳴き叫ばれる。

黒く艶やかなその生き物の声を聞きながら、彼はほんの少しだけ上を見やる。

茶色に何か特別な黒を塗ったような外壁をした、長方形でボロ木造五階建ての建造物を。

そして五階の端、階段が削がれた非常用のドアから身を乗り出し苦痛に顔を歪める男女と、目があった。


「何をやったか分かっているのかっ」


一人の男が強い口調で責めるように発言する。


「彼方のお姉さまを、巫女姫さまを殺すかもしれないのよっ」


一人の女が同じような口調で続けた。

それから矢継ぎ早に、生きた雲を捕らえようと必死の説得を開始する。

この町の神は彼方を許さないだと、巫女さまが選んだ器たることをお忘れなきようにだとか。

口々に様々に。


彼はつい今しがた、姉の生命維持装置の電源コードを引っこ抜いた。

姉にそうしろと指示されてのことだ。

理由は知らない。

聞いたこともない。

頷いて引っこ抜いて、アラームが鳴って医者や看護士が来たら逃げろ、そう言われて。

この二週間彼は言われた通り、姉を殺すような行為を続けていた。

彼は、彼らが言うことなど右から左、まだ鳴く足元の先客を再度見下ろした。

おかっぱの赤い着物姿の少女と、ツインテールの黒いゴシック調のドレス姿の少女が道路で遊んでいるのを見つけた。

姉を収容する建物に住む、正体不明の双子ちゃんだ。

いつも二人で仲良く不思議な歌を歌いながら、小さく跳ねながら歩き回っている。

にやにやと、下卑な笑いを浮かべながら歌っている。

口々に様々な説得話術、濁音ガラスの鳴き声、双子ちゃんの不思議な歌、それらが息の根を殺す住宅地区に響いて回る。

重苦しいそれでいて軽い黄色に包まれた世界に。

暫く彼は、なんとはなしに立ち竦み。

憤慨したカラスが飛び立った瞬間、一緒に虚空に消えることにした。

視界の端で、少女たちが小さな白魚の指で紙飛行機を飛ばす。

にやにやと下卑に笑いながら。

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