たそがれのまちかわたれのとき(仮)

狐照

第1話

彼の姉は余命一週間だった。

正確にはあと八時間と数分程で、このままいけば今日の夕方には命尽きる運命にある。


顔半分を隠す黒い呼吸器からは、機械的な音が零れさも絶望感を誘う。

青白く細い両腕は二の腕から先はなく、三本の管がそれぞれ白い皮膚を突き刺し巻き付きのさばっている。

管の先は点滴に心電図、それから彼には用途不明に見える無音で動く機械だ。

どうやらそれが彼女の生命維持装置らしい。


白くなってしまった長髪を額で分け肩から前へ垂れ流し、ベッドの背もたれに寄りかかり、身動きしないでいるその様は。

身のあることの不自由さを彼に見せつけた。


本当に不治の病に冒された薄幸美女だったら、などと適当なことを思ってみたりする。

意味はまったくないけれど。


白く清潔でやたら灰色な病室は、呼吸器と心電図の規則正しい音だけが響く。

無感動で、無機質だ。

緑の床は傷一つ無く、一色一面のカビにさえ見えてくる。

窓から差し込む黄色の光りに染まる天井を、彼は所在なく眺め時間を潰す。

彼は二週間前から、この病室で生活を送っていた。

部屋の隅に放置された白い革張りのソファが、彼の領地だった。

姉の看病のために、なんていう悲壮感に満ちた理由はない。

社会に居場所を失ったからだ。

社会で生活していくことが困難になったからだ。

頼れるまともな肉親が姉だけで。

姉がここに居るから彼も一緒に居る、というわけだった。


特にすることがない彼は、怠慢に壁紙を眺めて過ごしていた。

有り余る自由な身と時間。

そして有り余る自由時間を持て余す彼に、姉は指示をする。


「そろそろころアいダよ」


呼吸器の隙間から、機械的な声色が零れた。

声帯補助用のスピーカーを喉を裂いて付けられた姉が、黒い皮のベルトで目を覆われながら彼を睨むように顔を向けてくる。

強制的な暗闇で苦痛を、のようだが彼女にはあまり関係ないようだった。


「ぼアっとしてナいで、きょうもいつもどおりダよ」


感情のない淡々とした口調は、まるで機械が話しているかのようで、真意が掴めない。

ただ、彼にとっては唯一無条件で信じて良い人だということだけは、はっきりしている。


外からは相変わらずの黄色い光りが差し込み、やたらとしきりとカラスの鳴き声が強くなる。

なんとはなしに、鼻しか正体を明かしていない姉へ視線を送った。

いつもどおりですか姉様、と意味を込めて肩を竦ませると、


「タっりーことしテんナよ、サっサとヤって行けよっ」


怒号一喝いただいてしまったので、彼はゆっくりベッドへ向かった。

言葉が荒いとも人使いが、とも思わない。


しゃがみ込んでコードに手をかけると、窓から雷光一閃軽やかなメロディが流れ出す。

町に広がる商店や会社が営業開始しますよぅ、の朝礼放送音だ。

軽やかな重低音が今にも朽ち果て滅んでしまいそうな姉を収容する建物を揺する。

本日も真心と笑顔を大事に過ごしましょう、と高音域の雑音を混ぜながら。

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