第15話 その、突然の別れは……(中)3/3









「フランツ……じゃないか!」


 祥太郎たちの驚愕をよそに、フランツはサシャに向き直った。


「サシャ、どうして姿をくらましていた? 心配したんだぞ! お父上が……ノルベルト大佐が亡くなったので、探し回っていたんだぞ……!」

「どうしてお前が、父の死を知っている? 大使から聞いたのか?」

「実は……大佐が乗ろうとしていた電車の先頭車両に、俺は乗っていたんだ」

「えっ……」


 息を飲んだサシャに、フランツは続けた。


「……俺は、大佐と上野の中華料理屋で夕食をとる約束をしていたんだ。だから俺も、地下鉄で上野に向かっていた」

「なぜそんな約束を?」

「……結婚についての打ち合わせだ。万が一、大使館の近くの銀座やらで君と鉢合わせしたら気まずいから、少し遠方で会うことにしていたんだ」


 祥太郎が「え? 結婚……?」と言いかけたのを制して、佐川が口を開いた。


「旦那様は、私にはそのようなことは……」

「執事さん、あんたがこの話に後ろ向きなのは、大佐も知っていた。だから、俺と外で会う予定だなんてことは言わなかったんだろう」

「そうだったのでございますね……」


 そこまで言って、フランツは大きなため息をつきながらうつむいた。


「……ともかく俺は、新橋駅で、一部始終を見たよ。大佐がホームにいるのも、黒服を着た体格のいい男が大佐を突き飛ばしたのも……。電車が完全に停止してドアが開いて、俺は地上までそいつを追いかけた……だが、見失ってしまったんだ。おそらく、ここの黒服どもの中に、そいつがいるはずだがな……。その足で俺は大使館に戻って、大使と武官にことの次第を報告した。そのときの反応を見るに、大使と武官はこの事件には無関係だと俺は思った。当然だ。仮にも国防軍が、俺の頭越しにあんなことをするはずがない」


 残念そうに頭を振っているフランツに、祥太郎が聞いた。


「それにしても、よくここが分かったな?」

「大使館ナンバーの車が、この近くで事故を起こしたと大使館に連絡があった。現場の野次馬から、一高生たち数人がこっちに去っていったとも聞いた。足跡をたどってみれば、この有様だったというわけだ……」


 そう言って、フランツはワルサーPPKを握り直した。


 そのフランツに、サシャが言った。


「あいつら、どうやらゲシュタポらしい」

「ばかな! そんなはずはない。……考えてもみろ。ゲシュタポがゲシュタポと名乗るわけがない。だろう? そう見せかけたいだけなら話は分かるが……」


 サシャが、はっとしたような表情を浮かべた。


「ほら、奴らの拳銃を見ろ。ナガンM1895だ。間違いない、奴らはソ連のNKVDエヌカーヴェーデーだ」

「ソ連の秘密警察か……!」


 サシャは、しばらく唇を噛んでいたが、やがてうなずいた。


「そうか。ソ連は防共協定の報復を……」

「それは……そうとばかりも言えない」

「え? どういうことだ?」


 そのとき、また銃弾が撃ち込まれてきた。まだ戦闘能力のある黒服が、態勢を立て直したらしかった。


「話しは後だ。とにかく、この倉庫を出よう。皆、一列になって通用口へ走れ!」


 フランツの援護のもと、祥太郎たちは、ようよう倉庫から脱出したのであった。


 祥太郎たちは、雪が吹き付ける通りへと集まり出た。


「奴ら……追ってこないな?」

「ケガをした仲間の介抱をしてるんだろう。それより、俺たちも早く安全な場所へ……」

 

 そのとき、倉庫の扉が重々しく開く音がした。


 思わず身構える祥太郎たち。


 やがてエンジン音がして、倉庫の中にあったトラックが、ゆっくりと通りに出てきた。


 その運転台に、フランツはワルサーを構えた。しかし、運転台の黒服は、フランツをちらと見ただけだった。


「やっぱり、傷ついた味方を運ぶのに精いっぱいなようだな。俺たちも、もう長居は無用……」


 そう言ったフランツが、構えた銃を下したときだった。ゆっくりと後尾をこちらに向けたトラックの幌の中から、負傷して横たわっている黒服たちの間に立った一人の黒服が、静かに拳銃を構えたのを、サシャは見た。


「フランツ……! 幌の中だっ!」


 サシャが叫び、フランツは銃を構え直そうとした。が、黒服の拳銃が火を噴く方が早かった。


 サシャの左肩から、鮮血が散った。


「サシャっ!」


 フランツはワルサーを手放して、後ろへよろよろと倒れそうになるサシャを抱きかかえるように受け止めた。


 そのフランツの無防備な背中に、二発の銃弾が刺さった。


 一瞬の出来事だった。


 ワルサーを拾った佐川が、トラックに撃ち返し、トラックはスピードを上げて走り去っていった。


「フランツ……フランツっ……!」


 フランツにもたれかかられるように地面に倒れたサシャが、やっとのことでフランツの下から這い出して、フランツを仰向けにした。


 他の皆も血相を変えて、フランツを囲んだ。フランツの背中から流れ出る血が、周囲の雪を深紅に染めていく。素人目にも、フランツが致命傷を負ってしまったことが、容易に見てとれていた。


 フランツは、佐川からシャツの切れ端で止血の応急処置を受けているサシャに、他のものに分からないよう、早口のドイツ語で言った。


『……色々、君には悪いことをした』

『借りを返したつもりか? このばか!』

『婚約者を心配して探しに来たのに……ばか呼ばわりか……』


 フランツは口の端に血をにじませながら笑ったが、すぐに表情を硬くして、絞り出すように言った。


『気を付けろ……! おそらく、NKVDに対して、大佐や君が防共協定の日本における実務者であるという情報を流した奴がいる…………』

『い、一体誰が……?』

『……君の身内だよ』


 サシャの顔が、驚愕で強張った。


『し、親衛隊が……? ばかな!』

『……NKVDが自発的にやるとは思えない。……親衛隊を明らかに敵に回してしまうからな。……ということは、お互い承知の上で、取引か何かがあったんだ。情報提供がなければ、どんなにソ連が報復したくても、こうも早く動けるはずもない…………大佐は、敵を多く作りすぎた。……国防軍は言うまでもないが、平民出が多い親衛隊でも、おそらくは……!』

『親衛隊の誰かが、NKVDを利用して、義父を狙ったというのか……!』

『……大佐だけじゃない。こうして、君だって狙われた』


 そう言って、フランツは咳き込んだ。その口から、血の飛沫が飛んだ。


『フランツ。すぐに病院に運んでやる!』

『俺のことはいい。君こそ、早く病院に行け……』

『フランツ……!』

『君なら、どこへ逃げたとしても、強く生きられる。第三帝国という枷から脱け出して、逃げるんだ……。君には、そのほうがいい……!』


 サシャは、息を飲んだ。


 フランツは、失われていく顔色と、焦点の合わなくなっていく瞳を、夜空に向けて、大きく息をついた。


『今は無理でも……いつか……ご学友と……』


 そう言い終えて、フランツは息絶えた。











 サシャとフランツが運ばれた町医者に、一高から中澤教授と林校長が駆けつけてきた。


 開口一番、中澤は祥太郎たちに怒りの声を上げた。


「ばか者! お前たち、一体どれだけ心配したと思っているんだ……!」


 寮総代の田原をはじめ、祥太郎たちは、怒り散らしている中澤に向かって脱帽し、深々と礼をした。


「先生、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした!」


 そこへ、林が割って入った。


「それよりも、サシャ君とフランツ君は、どうしてこんなことになった? 説明したまえ!」


 控えていた佐川が、口を開きかけた。


「そ、それは……」


 ちょうどそのとき、処置室から白衣姿の男性医師が出てきた。


「皆さんは、患者の縁者ですか?」


 林が勢い込んで言った。


「はい、通学している学校の校長です」

「まずは、背部を撃たれたフランツ・ハイデルベルグという患者について、運ばれた時点ですでにステ……死亡しておりました。お悔やみ申し上げます」


 皆が、しんとなって、うつむいた。


 そのとき医師は、祥太郎の学帽を見て言った。


「おや、一高じゃないですか……ということは、一緒に撃たれたも、一高生なのですか?」


 医者の言葉に、祥太郎たちは、しばらく絶句した。


「は……? 彼女……?」

「え、ええ。サシャ・フランベルグです……明らかに女性の身体をしていましたよ?」


 中澤が、困惑したような声を上げた。


「そ、それはどういう……?」


 それを遮って、林が医師に詰め寄った。


「それはいいから、先生、サシャ・フランベルグの様子はどうなんですか?」

「弾丸は幸運にも貫通していました。しかし、このままでは敗血症を起こす可能性があります。念のため、私どもよりもっと良い病院へ移った方がいいでしょう。紹介状を書きますが、どこかに心当たりは?」


 林校長が、しばらく考えたのちに口を開いた。


「……設備の整っている東京帝大病院へ移そう。そちらへは、私が話をする」


 中澤が、不安げに尋ねた。


「よろしいのですか、校長……?」


 うなずきながら、林は中澤に……そして祥太郎たちに向き直った。


「たとえトラブルに巻き込まれていようと、そして女だったとしても……サシャ・フランベルグは、現在我が校の生徒だ。生徒の身の危機を、我が一高は見捨てたりはしない」





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