第15話 その、突然の別れは……(中)2/3








 サシャは、鈍い頭痛とともに目覚めた。


 体中が冷たく、そして痛んでいた。


 眼を開くとそこは、どこかだだっ広く、そしてしんと冷えた屋内空間で、明かりは天井近くに申し訳程度の明り取りの窓がある程度で薄暗かった。屋内には、先ほど見かけたトラックが一台と、ところどころに、大きな木製パレットの上に積み上げられた穀物袋の山が点在していた。


 サシャは、椅子に座らされて、武装を奪われ、後ろ手に手錠を掛けられて拘束されている自分の現状を知った。


 ベンツを無理やり止められて、佐川と二人で車を捨てて逃げ出そうとして、トラックから降りてきた男たちに引きずり出されて殴られて、気を失ったんだったか……?


 サシャは、ろくに戦うこともできずに、男たちの手に落ちたことを恥じた。と同時に、それほどの手練れに今現在拘束されているのだということを思い直した。


 不意に、サシャはすぐそばに、人の気配を感じた。自分と同じように拘束されて気絶している佐川が、二メートルほどの距離にいた。思わず声を掛けていた。


「佐川? 佐川っ!」


 そのとき、存外に近いところで、誰かの声がした。


『お目覚めか?』


 そのドイツ語の声の主は、闇に溶け込むようにたたずんでいる人影だった。サシャが目を凝らすと、黒い帽子に黒いロングコート姿の、外国人らしい体格の良いシルエットが、全部で八つ、サシャと佐川を扇状に取り囲むように立っていた。


『なんだ? 貴様らは……』

『知る必要はない。サシャ・フランベルグ。お前の命は今日限りだ』

『貴様ら……国防軍か?』

『……』

『…………もしかして、その格好は……ゲシュタポドイツ秘密警察か?』


 それを聞いた男たちが、にやりと笑った……ようにサシャには見えた。


 真ん中にいる男の手には、酒のものらしい硝子瓶があった。


『そうか……僕たちを酔わせて殺して、東京湾にでも放り込んで、事故死に見せかけるつもりか……?』

『ご名答だな』


 言うなり男は、乱暴にサシャの顎を掴み、その口に酒瓶の口を突っ込んだ。


 サシャは激しく咳き込んだ。


『飲め。飲め!』


 男は、なおもサシャの喉に、酒を流し込もうとしていた……その時だった。






 *






「おい!」


 サシャだけでなく、黒服たちが一斉に振り向いた先には……祥太郎と田原、鴨井、そして仁川がいた。


 祥太郎はなおも叫んだ。


「サシャ……彼から手を離せ! 彼を解放しろ!」


 黒服の一人が、流ちょうな日本語を発した。


「ここは立入禁止だ。学生は出て行け……」


 祥太郎は、震える膝になんとか力を入れて、一見して外国人とわかる男たちに向けて、胸を張り、なるべく朗々となるように言った。


「そこにいるのは第一高校の留学生、我々の友人だ。友人に危害を加えるのを見過ごすわけにはいかない」


 黒服たちは、聞き入れる様子はなかった。その中の一人が、ドスの効いた声を発した。


「小僧、ケガをしたいか……?」


 後ろに控えていた仁川が、上ずった声で叫んだ。


「こ、ここは大日本帝国の領土内だ! お前らが誰だか知らないが、これは国際問題だぞ!」


 そう言われた黒服たちの動きが止まった。


 そこへ間髪入れず、田原が声を上げた。


「おいサシャ、俺はお前に借りがある。今ここで返すべきだと思うんだが、どうだ?」


 サシャはしばらく瞑目していたが、やがて眼を開けて叫んだ。


「……助けてくれ!」


 サシャの声を聞いた、田原が気合を入れた。


「おっしゃあ……!」


 黒服の一人が、憤怒の早足で田原に向かった。


「ガキどもが、舐めたことを言って……」


 黒服がそこまで言ったとき、田原はすでに、その黒服の懐に入り込んでいた。そして、華麗に黒服を投げ飛ばした……コンクリート造りの、硬い床に。


 鈍い音が響いた。肉の中で骨が砕ける音がした。


「ふう……さあ、次はどいつだ?」


 声も出せずにのたうち回っている黒服には目もくれずに田原がそういったとき、黒服たちは互いに顔を見合わせた。そして、まったく同じ動作で、懐から拳銃を抜き出した。


「銃だっ! 隠れろ!」


 祥太郎たちは、慌てて手近な穀物袋のかたまりのかげに飛び込んだ。


「ちくしょう、奴ら、銃を持ってやがった……!」と田原。

「ああ、やっぱり警察を呼んだほうが良かった!」と仁川。

「しっ……静かに!」と鴨井。


 奴らは撃ってくるだろうか……そう考えて、祥太郎は、撃ってくるであろうと結論を下した。外は雪交じりの風が吹いていて、おまけにこの建物はほぼ密閉されている。音を吸収する穀物袋もある。よほどのことがない限り、近くの民家に銃声が漏れることはない……と。


 そう考えていると、祥太郎のすぐそばで、黒服の声がした。


 祥太郎は、思わず全身を凍り付かせた。


「出てこい。今なら無傷で帰してやる」


 祥太郎の頭に回転式拳銃を突き付けた男が、低い声で言った。


「立て」


 男が拳銃の撃鉄を起こした。その音を聞いたとき、祥太郎は、この男の殺意を明確に覚知した。


 倉庫内に、銃声が響いた。


 もう自分はこの世のものではない……そう覚悟した祥太郎は、やがておそるおそる眼を開けた。


 つい今まで自分に拳銃を突き付けていた男が、うつ伏せに、どうと倒れていた。


 祥太郎が思わず見ると、硝煙をたなびかせた拳銃を片手にした男が、サシャのすぐ傍らに走り寄っていた。


 ほとんど立て続けに、二発の銃声が響いた。サシャと佐川の手錠が、銃弾に破壊されて弾け飛ぶ音も聞こえた。


「今だ、やれ!」


 田原の声がした。


 祥太郎は、無意識に、目の前で倒れている男の拳銃を握った。そして、突然の闖入者に向けて射撃を開始した黒服の一人に、狙いをつけた。


 自分に向けられた殺気を敏感に感じ取った男が、祥太郎に向き直る。


 祥太郎は学校教練で山崎教官から教わっていたことを思い出した……銃の引き金は、暗夜に霜が降るごとく引け。


 祥太郎と、黒服の拳銃が、同時に火を噴いた。


 祥太郎の学帽が、拳銃弾がかすめた風圧で弾け飛んだ。


 黒服は、肩を射抜かれて、銃を手放しながらひっくり返った。


 祥太郎は、その場に崩れ落ちるようにへたり込んだ。


「一高生の学校教練を……舐めるなってんだ!」


 闖入者と、戒めを解かれたサシャと佐川は、いつの間にか姿を消していた。

 なおも暗がりに向かって射撃を続けている別の黒服の一人に、鴨井が向かっていった。


 ぱぁん、と銃声。


 鴨井の上体が、びくりと痙攣した。が、鴨井はそのまま、黒服に体当たりした。


 黒服は銃を手放すことはなく、鴨井に向けてその銃口を向け直した。


 その黒服に、仁川が、持っていたこうもり傘を、横合いから剣付鉄砲のように突き出した。男物の傘の鋭い石突は、黒服の鳩尾に刺さった。


 黒服は、悶絶しながら倒れた。


 仁川が真っ青になって叫んだ。


「鴨井! お前、撃たれたんじゃなかったのか?」

「ああ……カントに助けられたよ」


 言いながら鴨井は、学生服の懐に入れていたカント全集を取り出した。全集には、7.62ミリ拳銃弾が食い込んでいた。


 その二人に、黒服たちの注意が向いた。いくつもの銃口が、鴨井と仁川を捉えた。


 銃声が連発して、鴨井と仁川は地面に倒れた。物陰から飛び出してきたサシャが、二人を引き倒したのだった。銃弾は、三人の上を通過していった。


「どこかの遮蔽物に隠れろ。急げっ!」


 鴨井と仁川にそう言ったサシャは、仁川と鴨井が倒した黒服の拳銃を掴み、自分も穀物袋の山の後ろに飛び込んだ。

 そこには、黒服たちの銃撃から身を隠すべく、田原、仁川、鴨井……そして祥太郎がいた。


「ああ、サシャ!」

「祥太郎!」


 二人は、思わず抱き合って無事を喜んだ。


 と、そこへ、新たな人影が飛び込んできた。佐川だった。佐川も、祥太郎が倒した黒服の拳銃を手にしていた。


「皆さま、ご無事ですか?」


 祥太郎が答える前に、サシャが言った。


「佐川、右側を守れ。僕は左側を守る」

「承りました。敵は残るは四人、こちらはまだここに六人もおります。負けるわけにはいきませんな」

「もう一人、誰だか知らないが味方がいるはずだ。僕たちの手錠をはずしてくれた奴が……」


 そのとき、黒服たちが、穀物袋の山の両側から、射撃を開始した。


 サシャと佐川が応射するが、あっという間に弾倉内の全弾を打ち尽くしてしまった。祥太郎が、自分の持っていた拳銃をサシャに渡そうとしたが、サシャはそれを押し返した。


「それは祥太郎が持ってろ。僕は大丈夫だ」

「大丈夫って……どうするんだよ?」

「僕は素手でも戦える」


 そう言って、サシャは、遮蔽物から黒服たちに向かっていこうとした。祥太郎はそれを慌てて止めた。


「やめろ! 自殺行為だ!」

「ここに籠っているほうがもっと危険だ。僕が奴らを引き付けている間に、祥太郎たちはここを出ろ」

「ダメだ!」

「言うことを聞け、祥太郎!」


 そのとき、予想だにしていなかったところから、銃撃がはじまった。穀物袋の山の上に登った黒服の一人が、祥太郎たちをつるべ撃ちし始めたのだ。


 サシャは祥太郎の拳銃をひったくり、上にいる黒服に向けて構えた。しかし、その黒服がサシャに狙いをつける方が早いのを、狙われているサシャ自身が察して身を硬くした。


 サシャは引き金を引いていなかったが、銃声が響いた。そして、上にいた黒服が、脹脛を撃ち抜かれて、派手に床に墜落した。


 いくらか銃声が続いたのち、人影が滑り込んで来た。


「まったく。どいつもこいつも、手間かけさせやがって」


 フランツだった。




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