握力の怪物

狐照

第1話

これは夢だ、と喘ぎながら彼は引き千切り続けた。

彼はいわゆる握力の怪物で、誰にも止めることの出来ない『引き千切りたい』という衝動に日々、頭と心を悩まされていた。


常に不機嫌な面構えは、目の前のモノを千切るまいと耐え続ける証。

ふいに零れる歯ぎしりの音は食欲より強い、もはや三大欲求を超える破壊欲求を堪える抵抗。

均等のとれた巨躯をちぢこませ、人より丈夫な皮膚を噛みながら、彼は耐えていた。


彼は、そう耐えて堪えて我慢ができる子だった。

怯えられ化け物と罵られ、それでも人であろうとした。


高校二年の春、皆上くんが転校してくるまでは。


氷水で冷やし指先の感覚を無くしてから登校した。

日々足のつま先を見つめる努力をした。

耳を塞ぐ、目には見えない何かで。

見つめない視界に入れない聞かないというのは、『千切りたい』という衝動を殺すことよりずっと辛いことだった。

それでも必死で羽化する卵のよに。


皆上くんは無自覚にそれらを、真綿で首を絞めるよう踏みにじった。

彼は耐えきれず、とうとう机をねじ切り床をはぎ取り壁をつまみ上げ、破壊の限りを尽くし、学舎をひとつおしゃかにしてしまった。


それからずっと、拘束服の中。

最初からこうすれば良かったのだ、と人は言う。

それを小耳に挟んだ彼も、こうしてくれれば良かったのだと、目を閉じる。

なにも見えない聞こえない真っ白な部屋で芋虫のようにして。

それこそ羽化を拒む幼虫のよに。


ある日女がやって来て「何を千切りたいの?」と彼に問うた。

彼は、何ももう考えることも想うこともやめていたからか、初めてあった女だというのにも関わらず、今までずっと内に秘めていた欲望をぽろり、零していた。

虚ろな視界で捉えた女は、まるで最初から知っていたかのように「そう」とそっけなく答え厚い赤い唇を歪めた。

その女の顔はどこかなにか大切な誰か似ている気がしたが、もう彼にはどうでもよかった。

だって結局女は皆上くんではないのだから。


あくる日女はプレゼントと称し、彼にあるものを贈った。

彼が欲しいと言ったそれだった。

何故どうして?疑問が目の前を通過するが、人差し指がそれに触れた瞬間もうどうでもよく。


それからはもうただの獣のよにして彼は引き千切り続けた。

ふんわりとした髪が生えた頭。

恐ろしく整った目鼻眉の付いた顔。

時々筋が浮き上がる首。

誰もが憧れるスレンダーな上半身。

頼りがいのある両腕。

包容力を思わせる綺麗な手。

長い優雅な脚。

甲にほくろがある右足。

爪の形さえ整ったそれの対。

それらに詰まっていた綺麗な臓器。


これは夢だ、彼は喘いだつもりで笑っている。

何体も何体も。

彼は見目麗しく整った背高の同級生を、同級生たちを丁寧に細切れに引き千切り続けた。

同級生たちは悲鳴を上げることもなく、冷たい体を千切られ次々床に転がり続けた。

彼は、引き千切り、続けた。


「そんなにその子が嫌いなの?」


いつしか白い部分を探す方が難しくなった部屋に、女の声が響いた。

それは彼に何を千切りたいのかと問うた声の主だった。


「…す、好き過ぎて…カ、カニバリズムに走るのと…お、同じだ…」


千切った頭を、そこについた顔を眺めながら答える。

半開きの瞼、薄茶色の瞳が覇気無くどこかを見つめている。


「…も、もう…お、終わりか…?」


「いいえ…まだまだあるわ…」


安心してと言う女に彼は小さくそうかと呟き、頭蓋骨をいとも簡単卵のよに粉砕した。

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