便利キャラしかいない

㈱榎本スタツド

第1話

「あの、惚れ薬ってありますか?」

「ありますよ」


 丸々高校まるまるこうこうの木工室にて。

 丸々高校化学会という組織の一員の僕、井畑由規いばたよしのりは入り口近くで椅子に座り、チョコレートチップスを食べながらまどろんでいた。

 すると、化学会に依頼をすべく、訪ね人がやってきたので慌てて姿勢を正し、いつものように来訪対応をする。

 化学会とは言っても、僕は川神さんに「恩返しをしたまえ」と言われて在籍しているので、化学については全く知らない。むしろ、学問的なソレについては知っていることの方が少ないだろうさえと思う。

 僕がこの世で知っていることと言えば、授業中に寝ても許される先生が誰かということ、それからスーパーでお菓子が安い日ぐらいだ。


 化学会という名前なわけだから、なぜ化学会の部屋が理科室ではなく、木工室なのだろうと思うかもしれない。その質問への回答は単純で、教室が空いていないからだそうだ。既に理科室には理化学研究会という生徒会直轄の組織がいて、使うことができないから、勝手に木工室を使っているらしい。

 我らが化学会の会長である川神瞳かわかみひとみさんは、校内でも名の知れた発明家の内の一人である。そんな天才には特別に部屋が用意されるのだと思っていたが、非公認組織にはそんな特別待遇はないらしい。この学校には他にも有名な人がいるから、天才同士で部屋を喰いあっているのかもしれない。


 というか、それを言い出せば、そもそもこの学校に正式な部活が存在しないのだから個人に対して特別待遇などないのかもしれない。

 生徒の自由時間を確保するという教育的観点と、先生の労働時間を減らすという労働者保護的観点から、この学校で部活動は廃止されたらしいのだ。だから、丸々高校の生徒は勝手に集まって活動しているに過ぎず、それらを勝手に仕切っている組織が丸高生徒連合まるこうせいとれんごうMSUMaruko Students Union)といって、放課後に勝手に集まっている生徒は組織的に結託することで不法占拠の責任問題を曖昧化しているのだった。


 それで僕ら化学会が木工室を使う理由だが、単純で、既に理科室には理化学研究会がいるからだ。端っこに寄せられた丸ノコ、積み重ねられた角イスだけが、この部屋が正しく使われていた頃の名残である。

 今は並べられた試験管、フラスコ、様々な茶ビンがこの部屋の元の性格を表していた。これらの道具は川神さんがどこからか拾ってきたもので、劣化したものが多い。この部屋に相応だといえば、そうである。


「それじゃあ今から準備するので、この紙を書きながら少し待っていてください」


 そう来客に告げ、僕は奥のキャビネットにある惚れ薬を、小さなアトマイザーに移す。

 この惚れ薬は我が化学会の天才化学者である川神さんが作り上げたものだ。どこかから持って来たありあわせの実験器具でもこんな発明をできるんだから、本当に並外れた天才だ。

 でも、似たような活動をしているだろう組織の一つである理化学研究会りかがくけんきゅうかいも重力反転装置とかいう、川神さんの惚れ薬より何倍も難しい発明をしているらしい。ただまあ、一般人の僕からするとどちらも計り知れない天才ということに変わりなく、ちょうど地球から見た月と火星のようなものだ。どちらも遠すぎて果てしない。


 そんな指折りの天才発明家川神さんの発明品である惚れ薬だが、色は無色透明、刺激臭もない。

 都市ガスとかは危険だとわかるように刺激臭を混ぜているというけれど、この惚れ薬には一切の見分けるための手段がない。

 かの天才に危険じゃないのかと聞いたら、


「キミの言っていることもわかるが、惚れ薬はそれとバレないから意味があるんだろう?」


 と言われて、納得したからそれ以上は何も言わなかった。それ以上反論するほど真剣に聞いたわけでもなかった。

 アトマイザーのキャップをしっかり閉める。僕は不安だから作ってもらった惚れ薬の無化薬を体に振り、惚れ薬を求めてきた人にアトマイザーを渡しつつ、説明を始めた。


「これが惚れ薬です」

「これが……」

「使い方は簡単で、香水のように体の一部に振るだけです。できる限り毎日使ってください。でも、効果は絶対じゃありません。恋愛はまずは知ってもらうことが大事ですから、あなたをよく知ってもらうためにも、人に積極的に話しかけるようにしてください」

「はい!」

「それじゃあ、注意したことを意識して使ってくださいね」

「はい! ありがとうございました!」


 ガラガラと古びたドアを開け、依頼者は出て行った。

 そして入れ替わりに一人の女子生徒が入ってくる。

 伸ばしっぱなしの黒髪に、ところどころ黄色く日焼けした白衣を身にまとったその人は、我が化学会の代表にして、天才化学者の川神さんだった。


「誰か来ていたようだが、キミの客人かい?」

「いや、普通に依頼でした」

「要件は?」

「惚れ薬です」

「なるほど。アレはほんの副産物だったのだが、こんなに人気になるとはね。青春の、異性にかける情熱の激しさには、いささか驚きだね」


 川神さんは角イスを手繰り寄せ、僕の隣に座った。そしてさっきの依頼者の書いた同意書を手に取った。


「ふぅむ。服留翔琉ふくどめかけるか、なんだかボタンの擬人化のような名前だねぇ」

「川神さん」

「ん? なんだい」

「あの惚れ薬ですけど、本当に効果があるんですか」

「前にも説明したと思うが? 君はよっぽどバカか、優秀な懐疑主義者かのどちらかなのかな?」

「どっちでもないです。でも……本当に惚れ薬があるなんて信じられなくて。そんな魔法の道具のようなものが」

「私のは魔法ではなく、説明のつくものだよ。……そうだね、懐疑的な君には言ってもムダかもしれないが、もう一度説明しよう。ところで、君は恋愛には何が重要と思っているかい?」

「それは相手が好みだとか、話してて面白いとか、スタイルがいいとか……」

「それはそうだ。皆自分の志向に基づいて人を選ぶだろうね。ただ、君の恋愛論は致命的な欠陥を含んでいる。それは恋愛対象というものは【 知り合っている人間からのみ選ばれる】ということだ。つまり、人は自分が知っている人間としか恋愛できないのだよ。世界の裏側の見ず知らずの人間とは恋に落ちることはできない」

「確かにそうですけど、屁理屈のような……」

「まあ聞き給え。となるとだ。恋愛において重要なのは【自分の知っている異性にいかに好意を持ってもらうか】ということだね?」

「だからセロトニン?なんですよね」

「そう。一般的に恋愛状態の人間の脳内ではセロトニンが分泌される。セロトニンとは世に幸せ物質と言われているものだ。だから私は研究中に副次的に生まれた、セロトニンを分泌させる液体を調整し、香水を作ったのだよ」

「それだけで惚れ薬として、本当に効果があるんですか?」

「それはわからない。が、一般的に人間は毎日会う人間に好意を抱きやすいと言われているねぇ。だから毎日会うだけで幸せに感じる人間がいたとしたら……?」

「この人が好きなのかと、脳が錯覚する……ってことですか」

「そう。ま、惚れ薬なんて無くても恋愛している人間はいくらでもいるからね。本当に必要なのは「勇気」や「自信」みたいなものかもしれないよ。そのためのお守りとしてでも、機能してくれれば、それでもいいさ」


 川神さんはさっきまで読んでいた同意書を、興味なさげに放った。やがて立ち上がりいつものように、木工室の一番奥で作業を始めるようだ。


「今日は何を作るんですか」

「うむぅ。特に今のところは依頼も無いからね。……そうだ。疑い深い君に信じてもらえるようになる香水でも作ろうか、あっはっは――」

「やめてくださいよ!」

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