第47話初めての哲学講座ニーチェ③
正田講師の講義は続く。
「ニーチェは、ソクラテスの道徳を重視する考え方、それからプラトンのイデア論ですら否定しました」
「要するに、現実世界に、そぐわない、だから現実逃避であると」
「・・・今の若い人たちが好む異世界とか転生物は、現実逃避そのものですが」
「つまり、現実の逃れられない人生を肯定せず、現実を超越した世界を求めるなど、自分の弱さを暴露しただけであって、現実世界において何の成長も見られない、お花畑そのもの」
「例えば、学生・・・あるいはサラリーマンでもかまわない」
「学生で言えば、成績がドンドン他の学生に追い抜かれて行く」
「サラリーマンで言えば、思うような実績が出ず、評価ももらえず、どんどん追い抜かれ、あるいは後輩が上司になるかもしれない」
「そういう時に、あれはテスト問題が悪い、あんな自分が苦手な問題を出した先生が悪い。家庭環境が悪い、母さんが悪い、父さんが悪い・・」
「俺が悪いんじゃない、俺には無理なノルマを課した上司が悪い」
「成果主義が悪い、そのバックにある資本主義社会が悪い」
「つまり、現実を逆恨みするだけに陥る、ルサンチマンとも言いますが」
「そればかりを言って、現実逃避に逃げ込めば、人間としての根源的な力強い生き抜く力を弱めてしまう、と考えたのです」
「現実に自分が生きるこの世界が、実はニセモノで、本当の自分の世界は異世界にあるとしたら、現実の世界では、やる気も向上心もなくなってしまう、ということです」
ここまでの話で、直人は、胸がグサグサと刃物で刺されているような感じ。
「確かに・・・何で俺が、とか思っていたし」
「現実を見ていない、逆恨みも否定できない」
しかし、直人の思索を無視するように、正田講師の話は続く。
「さきほど、ニーチェは、ソクラテスの道徳を重視する考え方、それからプラトンのイデア論ですら否定したと申しました」
「まず、ニーチェは、真理は存在するわけではない、としました」
「真理を知りたいとする人間の真理への衝動があるに過ぎないと」
「難しいですが、真理そのものが、人間が自分自身の都合がいいように、勝手に作り上げたものに、過ぎないとも」
「その意味で、道徳も神も人間の捏造である」
「そもそも、これこそが正しい、と叫ぶ人は多い」
「しかし、何故正しいのか、何故、そうなのか知っているのだろうか」
「本当に神に逢ったわけでもないのに、神を語る」
「死後の世界に行ったこともないのに、もっともらしく語る」
「道徳とて、世界各地で様々、時代でも違う」
「実は、そう思いたいだけなのだと」
「だから、道徳は、時に権力にまでなってしまう」
正田講師は、少し間を置いた。
「一昔前のマスク警察とか」
「現在も他人を誹謗中傷しまくる人も、正義や人間の道徳を説きます」
「その人自身の罪は問われない神のような立場で」
「実に無責任でしかない人たちです」
(直人と、田村涼子は、驚いて声も出ない)
正田講師は、そんな直人や田村涼子を見ることも無い。
「過去から続いて来た哲学、道徳、宗教」
「全て、こうあって欲しい、との人間の願望であって、実際は存在しない虚像です」
「無いから、こうあって欲しいと願望するのですから」
「戦争状態になれば、殺人も強姦も略奪も、特に戦勝国側は何ら責任を持ちませんから」
「その意味においての、神は死んでいる、存在しない、の表現につながったのです」
「そうなると、この世界は、神による世界創造も終末もなくなります」
「生まれて社会に苦しみ、老いて苦しみ、病んで苦しみ、苦しみに耐えかねて死ぬ」
「その永遠の繰り返しが続くに過ぎません」
「こんな世界では、未来への夢も希望もない、と思うかもしれません」
「しかし、ニーチェは、そこから考えました」
「この世をありのままに受け入れて愛せよと」
「めげることなく、逆恨みすることなく、どのような苦しみもありのままに受け入れ、ポジティブに生きよ、乗り越えて生きるべきだ」
「その意味での超人と言う言葉につながるのです」
正田講師は、そこまで語り、大きく息を吐いた。
「沢田さんも、直人君も、よく考えて欲しい」
「点数をつけるための講義ではありません」
「ニーチェの考え方を、短い時間でしたので、完璧ではありません」
「骨子の骨子を説明いたしました」
「後は、田村涼子君と直人君の自由に、討議でも、思索でも構いません」
(正田講師は、そのまま教室から姿を消した)
(田村涼子は、直人の顏をじっと、うかがっている)
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