補足案件:なぜ講評をくれないのか? 【考察】

 先日、小説現代様が「今回より、すでに何らかの新人賞に応募した作品、およびその改稿した作品については、選考対象外といたします。また、応募は各回1人1作までといたします」と発表した件について考察させて頂いたのですが、そこから発展した考察が表題の〝なぜ講評をくれないのか?〟です。


 ラノベ各社は〝感想〟と称して講評をくれますが、本格的文芸はくれません。なぜなのかと考察して一つの仮説にたどり着きました。


「講評を出すと、作者がそこだけ直した同じ小説を何度も応募してくる」からではないでしょうか?


 なぜ何度も応募してくるのか? そこだけ直せは入賞出来る、と勘違いしているからだと思います。


「俺は編集部の言うとおり、指摘されたところを直したのに、なぜ採用されないんだ!」と云う考えかと。


 講評は問題点を指摘してくれるだけで、正解を示してくれているワケではありません。指摘された点を含め、より面白い作品となっていなければいけません、〝受賞するに相応しい作品〟になっていなければいけないのです。


 本当に指摘されたところを修正して、作品をブラッシュアップしようと考えたら、最初の書き出しから変えていかなければならないのかもしれないのです。受賞出来なかったと云うことは、その作品のテーマから描き方から表現まで、変えなければならないかもしれないからです。


 編集部様ではない、まちかりにはどこまて変えなければならないのか判りません。しかし第3話で申し上げたように〝受賞する作品〟とは〝受賞した作品〟であって、落選した作品ではないのです。


 この仮説を前提にすれば、ライトノベルの作者は講評を真摯に受け止めていると思えます(目に見えないだけで、編集部様は苦慮しているかもしれませんが)。前回の小説現代様の「新人賞に応募済NG、応募した作品の改稿した物NG」とは違い、ちゃんと改稿されたものが応募されているのかもしれません。


 とはいえ、甘く考えてはいけません。過去に囚われず、書いていきましょう!

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