第13話:最もお前に近い場所で精一杯の答えを
この瞬間の真理那からは、オレの下へ家出してきた時にあった苦しさが再び強く感じられた。オレ達は回廊の途中でゆっくりとした歩みを一旦止める。
「どうしようもなく苦しくて、お母さんの言葉が辛くて、ケンカして……私は逃げたわ」
「ああ」
「悪い子よね。色んなところに迷惑かけて。晴兎には特に迷惑をかけてしまったわよね。ちょっとつけてみたら、ケータイは家族や友達からの着信やメッセージでいっぱいだった」
「いいんだよ別に」
正直に返事をしたつもりだった。
ただ不安になっている真理那にその気持ちは完全には伝わらない。こんな時に限って本音は白々しい嘘のようになってしまう。
そんなことはないというのに。
「お母さんからの連絡履歴もびっしり。ほとんどはお怒りのお言葉だったけど、ちょっとだけ……後悔とごめんなさいだけが綴られたものもあったの」
「勝手な話だな」
「でも、お母さんの本心でもある。一部だとしてもね。ケンカした後にずっと無視され続けると、やっぱり悲しくなるみたい。この前美希が預かった伝言を聞いた限りではね」
その話をオレは耳にした覚えがないので、おそらくこの間のプール後に別れた後にあった話だろう。美希ちゃんをメッセンジャーにすれば真理那が無視することはできない。狙ってやってるならかなりの卑怯だ。
わざとらしく叔母さんを否定したオレに対して、真理那は「根っからのイヤな人じゃないのよ」と伝えようとしてくる。
あの叔母さんがね……オレにはにわかには信じがたいが。
「こんなメッセージを見ちゃうと複雑なところだけど……私、今ここにいるのはすごい楽しい。とても満ち足りてる気がするわ」
「この程度で満足するなよ。悪い子なりの楽しさはもっとたくさんあるんだからな」
「それは……楽しみね」
「期待していいぞ」
「ピーターパンのウェンディのようにどこかに飛んでいけるのかしら」
「そりゃまた面白い体験になりそうだ」
真理那が自分から言いたくなるまで、ただただ傍に寄り添う。
せかすことなく、心地よい空気を少しでも保ったままで。
「……ばってん、もう帰らないと……よね」
それがどこへなのかはわかりきっている。
もし、ココでオレがイエスと答えれば――真理那はきっと言われたとおりにしてしまうのだろう。
もう十分遊んだのだから?
気が済んだろう?
それなら、頑張って辛くて苦しい現実に戻ろうか?
そんな、反吐がでそうな正論で突き刺すような、大人の誤魔化しが染みついた言葉のオンパレードにこう返してやろう。
――クソ喰らえだ。
「帰りたくないなら、帰らなくていい」
「……え?」
「もう一度言うぞ。帰りたくないなら帰るな」
「……」
「帰りたいっていうなら止めない。もし、一人じゃ心細いっていうなら付いてってやる。一緒に叔母さんに謝るなり、家出はオレにたらしこまれてやったことにしたっていいぞ」
「そんな晴兎に責任を被せるようなことに何の意味があるのよ。あなたにデメリットしかないじゃない。ただでさえお母さんと仲が悪いのに」
「真理那のためになるなら、そんなのどうでもいいことだな」
今更馬の合わない叔母さんとの関係が悪化したからといって、なんにもならない。当たり前のように真理那の方が大事だ。
「ねえ、思い上がりも甚だしいかしら。私はこんな時に愛の告白をされているのかと感じるのだけれど?」
「そんなロマンチックなもんじゃねえよ。ただの従兄の我儘だ」
「あなた……私の事が好きすぎない? そんな風に想ってもらえるようなことを私はナニカしたかしら? もしや、この間の同衾で責任を取ろうとしてるとか……」
「答えはガキッぽいシンプルなもんだよ。ただ、オレはお前といると楽しい。でもお前が苦しんでるのは楽しくないんだ」
そんな人生で何人いるかもわからない最高に相性のいいヤツを、放っておくような要素はあったとしてもいらない。遠慮なくゴミ箱行きでいい。
「あ、でもオレ相手で大人の階段登るのを望むんだったらやぶさかじゃないぞ。いつでもウェルカムだ」
「変態」
「罵倒も聞きなれると気持ちいい」
「ばかちんばかちん、変態変態」
連呼されると子供っぽさが倍増して可愛くみえるのだから不思議なもんである。
「もう、なによ。すごい嬉しいわ……油断したら涙がこぼれちゃいそうよ」
「胸を貸そうか」
「……借ったっちゃよか?」
「わかった、どーんとこい」
「………………ううん、ごめんなさい」
まりなの体が離れていく。
「やっぱり止めておくわ」
「いいのか?」
「せっかくの決心が、鈍りそうだから」
「……」
浅草寺のお参り辺りでも感じたが、真理那はやっぱり既に決めようとしていたようだ。苦しんで落ち込んで、悩んで迷って、その末に真理那はやっぱり真面目だった。少しだけ休めば、彼女はまた立ち向かうべきところに立ち向かっていく。
「晴兎」
「おう」
「正直まだ帰りたくないわ。帰ったらつまらないから。またつまらない日々に戻ってしまうから」
「ああ」
「でも……このまま何も言わずに黙ったままじゃ、せっかくの楽しみも台無しになっちゃう」
「お前がそう言うなら、きっとそうだな」
「覚悟が決まったら、美希と一緒に戻るわ。お母さんとちゃんと話してみる」
「……ああ」
「なんで晴兎が寂しそうなのよ」
「寂しいからな」
「あなたには遊んでくれる友達もたくさんいるのに? 夜にいきなり駆けつけてくれる人たちがいたじゃない」
「あいつらは真理那じゃない」
「……そこまで言い切る晴兎は、あたしがいない間どうやって生きてきたのか心配になるわ」
「なんとかなったり、ならなかったりするんだよ。ああ、ったく。心構えもなしにお前と過ごしちまったから、変な郷愁に駆られちまう」
「それって依存症?」
「さて、な。まあ真理那もこっちに居る間はオレがいないとダメなんだから、どっちもどっちの共依存なんじゃね」
シンプルに持ちつ持たれつの方がらしいかもだが。
「ふふふっ、そんなこと言われたらお母さんと対峙するめんどくささもあって、ますます戻り辛いわね。もし、ちゃんと話してもダメだったら……って思うと」
「そんときはたくさん励ましてやるよ」
「それでも挫けそうだったら?」
「飛んで行って、オレも話に加わってやる」
「それでもダメなら」
「したら、強力なカードをぶつけよう。こないだ親父と話をつけてきた。真理那がすごく困ってるらしいから、必要に応じて紳士的に話しをつけてくれってな」
先日の夜。
真理那達と別れたオレが会ったのは、真理那の両親とも縁深い親父だった。
頭も良くて口も上手い。それから叔母さんが真理那に口うるさく言うようになった原因の一人でもあったりするので、真剣にフォローするにはうってつけだ。
「叔父さんまで巻き込むのは、さすがにやりすぎな気もするけど……」
「大事な娘が家出したくなるような家庭にやりすぎもクソもないさ。気軽に頼むのは気が引けるけどな。だから最終手段ってことで」
「そこで終わらなかったどうしましょうね」
「その時は――そうだな」
まるで告白をするかのように、オレは久しぶりに真面目な顔でこう告げた。
今だけは軽薄な演技は一切なしだ。
「まだオレのとこに家出すればいいさ」
「うん……うん……。その時は、頼りにするからね」
真理那で塞がっている方とは逆の手を伸ばして、真理那の手をとる。
いつもの秘密の握手と同じように。ただ、今は隠れてする必要もなければ、そうしたいと思う気恥ずかしさも皆無だった。
言語化できないこの気持ちを、親愛のエールを送るためのシークレットじゃないハンドシェイクを通じて、「何があってもオレはお前の味方だぞ」という誓いの証明とする。
「安心して、任せろ」
そう言いきって安堵の表情を浮かべていたはずなのに。
真理那は、天空回廊の天辺には行かず、途中で立ち止まった。
「やっぱり、次の機会のお楽しみにしましょう。また来れますようにってね」
会話が途絶える頃には、オレ達は天空回廊を下っていた。
わざと楽しみを――未練を残すかのように。
下の天望エリアにいる美希ちゃんに合流する旨を連絡し終えた真理那は、名残惜しそうに東京の――下界の景色を眺めつづけている。
とてもじゃないが。
その後ろ姿から複雑な感情を感じないなんて、オレには無理だった。
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