第5話:誰にも咎められることのない自由すぎる一日②

 待つこと、うん十分。


「お待たせ」


 最初見せてくれたボーイッシュな格好に着替えた真理那から紙袋を受け取りつつ、次は二人でショッピングモールを気ままにぶらぶらする。

 必要そうな日用品他を買い足したり、真理那が目を惹かれたお店の商品を眺めたり、フードコートでまったりしながらスイーツを食べたり。もやが立ちのぼる熱気から隔絶された快適空間は、大変涼しくて居心地がよい。


「カスタードイチゴ&チョコアイスバナナクレープはどうだ?」

「まあまあね」


 その感想を翻訳すると「かなり美味しい」となる。

 ストレートに言えば良いのに、クールな従妹様は少々捻くれていらっしゃる。


「そろそろお昼ご飯にする?」

「クレープをはむはむしながら訊く事かね。腹の中がスイーツに刺激されてもっともっとーって訴え出したか?」

「あら、このあとお昼だなーってタイミングで食べるスイーツは格別よ。ちょっとした背徳感があって」

「ふっ、甘いな真理那。本当に背徳的な行為ってのはな、お昼ご飯で満たすべき腹をふわふわのクレープだけでいっぱいにするようなもんを言うんだよ」


「でぶ一直線だし、途中で飽きるでしょソレ」

「ちっちっちっ、クレープには甘い物だけじゃなくてしょっぱいのだってあるんだぜ」

「種類豊富な特産品みたいに説明されても、ね。この辺りの名物ってクレープだったのかしら?」

「お茶か肉うどんだなぁ、地域的に」


「都会っぽくないわね」

「どっちも特集組まれるくらいに有名だぞ。近所に専門店だってあるんだ。ちょっくら食いに行ってみるか?」

「うどんか……いいわね、行ってみましょうか」

「よしきた。食べごたえ抜群だぞ」


 オレ達はバイクにまたがって、近所のうどん屋さんへと向かった。

 現地に到着すると和風な昔懐かしさを感じる老舗の前にはそこそこの人が並んでいたが、人の回転が速いのか割とすんなり肉うどん様にありつけた。


「はぐっ、んっ、んぅ。なるほど、これは食べごたえがあるわね」

「だろーう?」


 一本一本が太く大きめなうどん麺はツルツルズルズル啜るというよりも、一~ニ本をしょっぱめのつけ汁にひたしてからよく噛んで食べる形となる。どんぶりに入ってないのが盛りうどんっぽいが、個人的にはつけ麺に近いと思う。

 この手作り自家製肉うどんは麺の量を最初に段階的に選べるので、自分の腹具合に合わせて少なくも多くも出来るのがいい感じである。


「んぅ、あふっ……はむあぐ……はぁ、はぁ……汁が飛び散らないようにするがちょっと大変ね。ちゃんと噛まないと呑みこめないし」

「…………」

「なにか言いたそうね」

「いや、わざとやってるわけじゃないんだなと」

「……はぁ?」


 ただ単にはふはふんぐぬぐ食ってるだけのはずなのに、真理那が無駄に艶めかしく不思議なうどんマジックが発動している。代謝がいいのか薄ら発汗した状態で軽く髪をかきあげながら食べると、率直にいってうなじがイイ。


「ねえ、髪くくってもらってもいい? 食べる際に気になるから」

「あいよ」


 渡されたヘアゴムで簡単に髪をくくってやると、肌白さの残る乱れた後ろ髪とうなじが剥き出しになった。途端に瞬間的だった魅力上昇はフラットへ。不意に目に入るからうなじはいいもんなんだよなうんたらかんたら。


「うんうん、ゆっくりいっぱい食っていいからな」

「……そんなに入らないわよ」


 その後。

 食べ終わったらすぐに「ごちそーさん」と告げて外に出ると真理那が感想を口にした。


「とっても美味しかったわ。でも、汗かいちゃった」

「あったかいのだったからな」


 冷たいメニューがないわけじゃないんだが、肉うどんはやはり温かいのがイイ。ただ真理那が服を張りつかせるほどに程に汗をかくとは思わなんだ。


「ほい、タオル」

「ありがと。はぁ~~、少しはびちゃびちゃの不快さがマシになるわ」

「びちゃびちゃになるほど熱くなったのか。汗冷えにならないようよーく拭いとけよ。終わったら返してくれ」

「…………変態」

「タオルを渡しただけでHENTAI扱いは悲しいぜ?」

「言い方がなんかいやらしいし、私の汗が沁みたタオルでナニするつもりよ」

「そう言われると、なんか興奮する」

「うっっっ、想像したらゾワッときたわ。ねえ、私はまだいいけど他の女の子には絶対それ言っちゃだめよ。あと、食事中にジロジロ見るのも禁止」


 バレてたか。別に隠すつもりもなかったが。


「ハッハッハッ、じゃあタオルはそのまま真理那が使ってていいぞ。さーてと、腹も満たされたし、お次は涼しいところで遊ぶぞ!」

「自由ね。それともさすが遊び人というべきかしら? 晴兎はほんとに立ち止まることを知らないのね」

「夏休みだからな」


 それから俺達は、近所の遊び場を廻った。

 ボーリング・ビリヤード・バッティングセンター、ゲーセンにカラオケ。ちょっと珍しいのだと屋内スケート場なんてのもあったが、さすがに夏用の服しかない状態では寒すぎるためまた次回となった。


 今は、市内の大きな緑地にある自然公園とと並んでいる貯水池――景観の美しい湖から見える沈みそうな夕陽を堤防上から眺めている。夏の日は長く、他の季節であればとっくに暗くなっている時間帯であっても夜にはならない。

 聞こえてくる夏の音はいつの間にかヒグラシのものへと変わり、不思議な郷愁感を強めていく。


「たった一日だけのはずなのに…………ん~~~、解放感がすごかぁ~」

「ちったあ楽しめたかよ」


 ぐぐーっと身体を反るように伸ばす真理那が、正面の湖に向けていた視線を隣に立つオレの方へと移動させる。涙ぼくろの位置は下がり、キツめだった顔つきは幾分か柔らかくなっていて、従姉妹の気晴らし度合いを現わしていた。

 ふふっと口元を緩ませる従妹の視線の先に映っているのは湖か、遠くに見える堤防を走る車か、それとも夕焼けの向こうにあるものか。


 その答えは、ぽつぽつと語りだす言葉に含まれていた。


「……私ね、前よりテストの点が良くなかったのよ。順調に上がっていたのだけど、すとーんってね。そしたらお母さんがすごい怒りだして……夏休みん間に学力ば前より上げんしゃい。ずっと勉強ば頑張りんしゃいってまくしたてられたってわけ」

「いつにも増して鬱陶しい様子がありありと浮かぶな。叔母さん、なんかイヤなことでもあったのか?」


「知らないわよ、お母さん自分に何かあっても私達に話さないもの。でも、きっと親戚連中から嫌味を言われたんじゃないかしら。結婚してからずっとそういうところあったし、この前亡くなった親戚のお葬式でけっこうな人が集まったみたいだから」

「つまんない話だな」

「ほんとね……つまらんで、しろしか話ばい」


 真理那の従兄であるオレは、多少なりともその辺の事情を知ってはいる。

 叔母さん――真理那の母・麻衣子さんは経済的な理由もあって大学には進学せず、高校を卒業してからは社会人として働いていた人だった。その後、オレの叔父さんと出会いがあってめでたく結婚。

 ただ、そのまま平穏に暮らそうとしていた麻衣子さんに、やけにつっかかる親戚が多かったのだという。汐凪家は割と由緒ある家系で、古くて頭の固い考えをしている者が「ロクな学校も出てない女が当主をたぶらかした」なんて、やっかんだ。コレは叔父さんが勧められたいいとこの見合いを断りまくったのが関係してたり、長男であるオレの親父が婿養子に行ってしまったのもあるとかかんとか。


 だが、どれも子供として生まれたオレ達には知ったことじゃない。

 そう。

 知ったことじゃない、はずなのだ。


 しかし、やっかみが直撃した叔母さんは精神的にまいってしまった影響もあって、子供達には厳しい教育ママと化した。精神的に不安定なゾーンに入った叔母さんは割とキツめに子供に当たってしまう悪癖を身につけてしまった。


 真理那達だけではなく、子供の頃はオレもよくビビらされたもんだ。

 ある程度成長してからは簡単に泣くようなことはなくなったが、それは涙を流さなくなっただけで悲しくないわけではない。


 耐えきれなくなったら飛び出したくなる時だってある。今回みたいに。

 

「…………晴兎は、あまり訊かないのね」

「ん?」

「どうして家出したんだーとか、今の話だったら成績が落ちた原因は? とか。普通なら気になることばかりじゃない? でも自分からは追求せずに、私から話すまで待ってくれてるでしょう。……そういうの、わかるものよ」


「オレがそうしたいからな。話を訊いて欲しいならいくらでも訊く。そんで、お前が話したいことがあるなら幾らでも相談に乗ってやる。ただ――」


「『オレからあーしろ、こーしろなんて言いたくない』?」

「ああ、そんな感じ」

「なして?」

「そらお前、アレだよ」


 この時のオレは冗談や茶目っ気抜きで、その理由を口にした。






「それが、真理那にとって一番苦しいことだってわかってるから」






 だってコイツは、そういった類の言葉を喰らいまくったたからこそ、今オレの前にいるのだ。九州から東京なんて気軽に移動できる距離じゃないのに、それでもオレを尋ねてきた。


 つまり、頼りにしてくれたんだ。遊び人でとおってるオレなんかをな。

 そんな可愛い従姉妹に『家に帰れ』なんて言えるはずがない。少なくともオレが真理那の立場だったら御免だ!


 当の叔母さんから「娘を出せ」なんて電話がかかってきたって、誰が「はい、わかりました」なんて言ってやるものか。時間稼ぎの嘘なんて幾らでも吐いてやる。


「……あの、今私さ、ナチュラルに『オレが一番お前のことをわかってる』って告白されたのかしら? ……顔、あっつい……いきなりなによもう」

「おいおい、訊いてきたお前がそんなんでどうする。あと顔が暑いのは夕陽がガンガンに照らしてきてるからだ」


「そ、そう、そうよね……。あっぶない、情緒がグチャグチャになるとこだった。女の心をかき乱すのが得意なのは昔からかしら」

「人の純粋な気持ちを黒歴史みたいに言うなってのッ」


「うん……ごめんなさい。ほんとに……ちょっとビックリしただけなの。胸がふわって軽くなって……それで……」

「……泣くことないだろ」


 最初はじわりと。時間が経てばポロポロと。

 きっと誰にも見せられなかったであろう溜まっていた心の雫が、薄い涙ぼくろの上から顎の方へと伝っていた。


「だって……嬉しかったけん……。ほんなこつ、嬉しかったと…………」

「……タオルいるか?」


 真理那がふるふると首を振る。

 その手には昼飯後に渡したタオルが握られていた。


 そういえば既に渡していたんだった。こんなことすら思い出せないほどに、オレも慌ててしまっていたのか。

 ……ほんとにオレって奴は、昔から誰かが泣いたら動揺しっぱなしだし慰めるのも下手くそだ。


「繰り返しになるけどな。好きなだけコッチに居ていいからな」

「……うん」


「したいことや行きたいトコあったら言えよ。観光でも遊びでも付いてって、悲しむ暇なんて与えてやんねーぞ」

「……うんっ」


「でも、勉強だけは勘弁な。真理那の方がずっと頭はいいんだから」

「それは知ってるから大丈夫」

「へいへい、そーですかっと。ココで可愛げがあれば、学校や塾では教えてくれない人生のいけない豆知識を伝授してやってもよかったのになー」

「ちょっと、後だしで出してこないでよ。気になるじゃない」


「残念ながら時間切れだ。また今度な」


 夕日が湖の向こうへと沈んでいき、近くの電灯が次々と点いていく。これからは反対に夜が昇ってくるのだ。


「落ち着いたら帰ろう。そろそろ夏の風物詩・蚊が出てくる頃だ」

「嫌な風物詩……気温が高すぎると出てこないんだっけ? だからある程度下がると吸いに来るのよね」

「そうそう。都会に比べて緑が多いし、ここら一帯でかい公園だから油断するとすぐ喰われるぞー」


「やめてよ、私けっこう蚊に刺されやすい性質なんだから」

「さぞ美味しそうに見えるんだろうな。蚊ならまだしも、変な虫に付き纏われないか心配になるぞ」

「その時は晴兎が盾になってね。その代わり――」


 堤防を並んで歩いていた真理那がぐいっとオレの肩を引っ張って身長差を失くして、耳元でこしょっと囁く。


「もし晴兎に変な虫がわいたら、私が追い払っちゃる」

「そりゃ、頼りになりそうだ」


 こそばゆさが先に来る言葉に呆れながら返すと、真理那が「任せなさい」と胸を張った。オレの意志とは関係なく勝手に追い払ってしまいそうなのは、気のせいだと思いたい。


「ところで晴兎は付き合ってる人はいないの? 上京したら都会のいい女を物にしたいとか息巻いてたんじゃなかったかしら」

「中々長続きしなくてなぁ……」

「暗に女をとっかえひっかえしてるクソ野郎に落ちぶれたわけね。すっかり良くない大学生になっちゃってまあ」

「アホか違うわ。単にオレに釣りあういい女は中々簡単には見つからないってだけだ」


「そん言い草が長続きしぇん理由なんじゃ……?」


 ドスッと心に刺さる真理那の呆れ気味な呟きは、聞かなかったことにした。

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